陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

立派な警官の痛ましい公務死亡

2007-02-16 00:09:05 | 学ぶべき日本人
 危険を顧みず、自殺志願の女性を助けようとして電車に跳ねられ、重体になっていた宮本邦彦巡査部長(53才)が今月12日午後に帰らぬ人となった。この殺伐とした世情の中、<日本人の鑑>となる振る舞いと言える。まずは、心から宮本氏の御冥福をお祈りします。昨日、2月15日午前10時から、しめやかに葬儀が営まれた。

 事件が起きたのは2月6日であった。宮本氏生前の姿を毎日新聞が以下のように伝える。本当に親切な「お巡りさん」であったようだ。

-------------(引用始め)

<東武東上線事故>女性救助で重体だった巡査部長、死亡
2月12日16時18分配信 毎日新聞

 東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で6日、自殺を図ろうとした女性(39)を助けようとして電車にひかれ、重体となっていた警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(53)が12日午後、板橋区内の病院で亡くなった。職場には、地元の住民らから「交番の宮本さん」の復帰を祈る手紙や折り鶴が届けられていたが、願いはかなわなかった。12日夜から13日午前にかけて、200人以上が交番で記帳した。
 宮本巡査部長は事故後、意識不明のまま集中治療室で治療を受けていたが、12日午後2時25分、家族にみとられながら息を引き取った。遺体を乗せた車は板橋署の正面玄関前に到着。整列した署員約60人が敬礼で迎えるなか、同僚らがひつぎを署内に運んだ。遺族は涙ぐみながら、そのあとに続いた。
 常盤台交番や板橋署には事故後、近所の人らから140件を超える励ましの手紙・メール、千羽鶴、花束が届けられた。訃報を聞きつけ、交番にはさらに多くの人が訪れ、記帳や献花をした。遺族も12日夕、交番と事故現場を訪れ、花束をたむけた。
 13日朝、記帳に訪れた男性(84)は「以前、宮本さんに運転免許証の更新の手続きを教えてもらった。温厚で誠実そうな方で、お礼を言いたかった」と言う。練馬区の小学3年生の男子児童(9)は、自宅から20分かけて自転車で交番を訪れ、折り鶴3羽を警察官に手渡した。児童は「命がけで相手を守った宮本さんはすごいと思った。宮本さんみたいなお巡りさんがいるのを知ってうれしくなった」と話した。
 安倍晋三首相は12日夜、板橋署を弔問に訪れた。遺族らと面会した後、記者団に「危険をかえりみず、人命救助に当たった宮本さんのような方を本当に誇りに思う」と語った。
 宮本巡査部長は北海道出身。76年に警視庁に採用され、94年に巡査部長に昇任。04年2月から板橋署に配属され、常盤台交番には05年2月から勤務していた。今月17日には、54歳の誕生日を迎えるはずだった。
 岩間功副署長は「まじめで無口だが、責任感の強い人だった。地元の人からは宮本巡査部長というより、宮本さんと呼ばれていた」と地域に親しまれた巡査部長をたたえた。警視庁は宮本巡査部長を12日付けで警部への2階級特進とした。
 ▽滝沢慶二署長の話 職責をまっとうしようとした宮本巡査部長は、私ども板橋署員の誇りであります。回復を願う多くの激励を賜りました地元をはじめ全国の皆様方と献身的な医療行為を頂いた病院の皆様方に対し、心から感謝申し上げます。
 ◇
 宮本巡査部長の葬儀は15日午前10時、板橋区舟渡4の15の1の戸田葬祭場戸田橋第二斎場で執り行われる。自宅は埼玉県春日部市大沼2の34の9。

 ◇安倍首相「緊急叙勲に値」
 安倍晋三首相は13日午前の閣僚懇談会で、宮本邦彦巡査部長について「強い正義感と職務を全うせんとする強固な意志から助けようとして亡くなった。緊急叙勲に値する」と述べた。政府の「勲章の授与基準」では「生命の危険を伴う公共の業務のために従事し、その職に殉じた者」を緊急叙勲の対象としている。

最終更新:2月13日13時21分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070212-00000018-mai-soci

-------------(引用終り)

 宮本氏は、6日以来妻と大学1年生の長男に見守られながら、集中治療室で治療を受けていたが、意識を取り戻すことはなかった。今月17日には、54才の誕生日を迎えるはずであった。

 別な報道によると、

 12日夜には常盤台交番に記帳台が設けられ、この夜から13日夜にかけて同交番や板橋署で記帳した人は約1700人に上った。

 安倍首相も同署へ弔問に訪れた際、「総理として、日本人として誇りに思います。息子さんには、お父さんを見習って頑張って下さいと申し上げた」と語った。自らの命を顧みず、何とか女性を助けようとした宮本氏に、首相は心から感じ入ったのであろう。緊急叙勲で旭日章が授与され、12日付で巡査部長から警部へ2階級特進したとの事。

 宮本氏の棺が13日午後、板橋署から葬儀場の戸田葬祭場(同区舟渡4)に搬送された途中、常盤台交番の前を走り、現場近くの駅前ロータリーを1周した。沿道に集まった人々は手を合わせて冥福を祈ったと言う。

 通夜は14日午後、同区舟渡4の戸田葬祭場で営まれた。雨の中、約630人が参列した。遺族や警視庁職員らが参列。交番の近所の住民らも、花に囲まれた宮本警部の遺影に手を合わせた。事故現場近くの事務所に勤める男性(77)は「われわれ市民も動かなければならなかったのに、身代わりになられたような思いがする」と報道記者へ語っている。

 葬儀の報道によると、棺は千羽鶴に飾られていたらしい。

------------(引用始め)

<東武東上線事故> 宮本警部の葬儀に住民ら550人参列
2月15日17時13分配信 毎日新聞

 東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、自殺を図った女性を助けようとして電車にひかれ、死亡した警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦警部(53)=2階級特進=の告別式が15日午前、同区舟渡4の戸田葬祭場で営まれた。伊藤哲朗警視総監はじめ警視庁職員や交番近くの住民ら約550人が参列し、宮本警部に別れを告げた。

 友人を代表して同期の鍋田陽一・同庁2機動捜査隊副隊長が「あなたは何よりも好きだった警察官の使命を全うした。あなたの正義感、警察官魂を引き継いでいくことを誓います」と弔辞を述べた。妻礼子さん(53)は「私たちは夫の行動を誇りに思います。全国の皆さんからご厚意をいただき、心より感謝しております」と涙をこらえながらあいさつした。会場には宮本警部が好きだった森山良子さんの曲が流され、会場を出るひつぎに千羽鶴がささげられた。【河嶋浩司】

最終更新:2月15日17時13分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070215-00000018-maip-soci

------------(引用終り)

 宮本氏は、年齢から考えると昭和29年(1954)の生まれ、昭和51年(1976)に22才で警視庁警官として奉職、巡査部長になったのは平成6年(1994)40才の時だから、あまり昇進を気にしないお人柄だったのだろう。交番勤務が長いようで、困っている人達には親切そのものであったようだ。

 昨今、警官が盗撮をしたり、窃盗をするなどの不祥事が報道されている。だが、交番勤務の多くの警官は、宮本氏のように目立たない形で地域に溶け込み、人々に親切にして頼られている場合が多いと聞く。自分よりも公を大切にする、そうした心映えの警官がこの国には沢山いることに改めて感謝したいと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 竹島問題の決着をつけよう | トップ | 安倍首相は、竹島問題をどう... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

学ぶべき日本人」カテゴリの最新記事