陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

小野田寛郎氏の愛国心

2008-03-15 14:51:23 | 学ぶべき日本人
 ブラジルへ渡った小野田寛郎(ひろお)氏、間も無く86歳を迎えるようだが、元気に来日して招待講演を行った。

 彼は、陸軍中野学校を終えて陸軍少尉に任官、1944年(昭和19年)12月にフィリピン・ルバング島へ上陸したのが22歳の時だ。以後、1974年(昭和49年)2月まで諜報活動と米軍基地へのゲリラ襲撃を繰り返す。昔の上司の谷口義美元陸軍少佐の命令で「戦闘を終了」し、52歳にして日本へ復員した。約30年間にわたり、帝国陸軍の士官として任務を果たしたのである。

 当時政府から見舞金100万円が出されたが、小野田氏は受け取りを拒否、全国から寄せられた多額の見舞金と共にこれを靖国神社へ全額寄贈した。(以上、Wikipedia より要約)

 その後、結婚してブラジルへ渡り、<小野田自然塾>を主催して青少年の育成に努力を尽くしている。彼の講演内容については、

日本会議創立記念講演=小野田寛郎さん、日伯を語る=妻町枝さん「日本女性の会発足を」

 ブラジル日本会議(小森廣理事長、上野アントニオ会長)はこのたび、団体として正式登録・発足するにあたり、南マット・グロッソ州に牧場を持つ小野田寛郎、町枝夫妻を招き、記念講演を行なった。約二百人が会場となった文協小講堂を埋めた。

 小野田寛郎さんは、陸軍少尉としてフィリピン・ルパング島に着任、戦争終了後も二十九年間、山中でゲリラとして潜伏し続け、七十五年に帰国、国内外で大きな話題を呼んだ。

 その後、町枝さんと結婚、次兄のいたブラジルに移住、マット・グロッソ・ド・スール州で牧場経営のかたわら、二十年ほど前から、「健全な日本人を育成する」ことを目的に『小野田自然塾』を主宰、現在日伯間を往復する多忙な日々を送っている。
 〇四年に、ブラジル空軍から、日本人初の「サントス・ドゥモン勲章」、翌年には日本政府から藍綬褒章を受章している。

 上野会長の紹介で壇上に立った小野田さんは現在八十五歳。よく日に焼けた精悍な表情と真っ直ぐに伸びた背筋は、年齢を感じさせない。

 三十三年前に移住した当時の話や、キャンプなどを通じて、青少年を育成する『小野田自然塾』の活動を披露。

 北朝鮮による拉致問題などを引き合いに出し、「昔ならば、戦争になっているところ。人権問題としてマスコミは報じているが、〃国権〃の問題。最近の日本人は、『国』という意識が低く、情けない」と厳しく日本の外交政策なども批判した。

 「権利や自由を優先し、自分の自由のために親や子を殺す状況となった今、国とは何かを考える日本会議の主旨は大事」と同会議の発足を祝った。

 昨年就任した斉藤準一空軍総司令官について、「個人を守る医者や弁護士ではなく、国防のトップに日系人が選ばれたことは日本人・日系人がブラジルで尊敬、信頼されている証」と軍人ならではの視点で語り、今年四月に神戸で行なわれる百周年式典に斉藤総司令官を招待する働きかけを行なっていることも明らかにした。

 ブラジルに移住するきっかけについて、帰国後に送られた見舞金や義援金の使い途を聞かれたことや、それを靖国神社に寄付したことで、「戦争を美化する行為」などとマスコミに書き立てられたことを挙げ、「三十年間、国にために戦ってきたが、もう日本には住めないと思った」としたうえで、「移民、二、三世のためにも本国である日本がしっかりして欲しい」と強く語った。

 「戦争で人間の強さ、弱さを見てきた。子供たちには『夢を持て』と言っている」と約二十分にわたって語った。

                 ■

 「ブラジルに来て、日本人が優秀な民族だと知った」と話す町枝さんは現在、「日本女性の会」の会長を務める。

 日本全国で行なう講演会などで、「教育や家庭の荒廃した日本で有識のある女性たちに『ブラジルの日系人も祖国のために祈っています』と話している」という。

 北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さんや、四五年に靖国神社に祀られた小野田さんの生存を信じ、陰膳を供え続けた母タマエさんを「無償の愛を持つ母の強さ」と称え、「女性の力がこれからは大切。来年には、日本女性の会ブラジル支部を発足させたい」と会場に協力を求めた。

 講演後、小野田夫妻は子供たちから花束を贈呈され、来場者からの質問に答えていた。

 来場者の一人、二十代の日本人男性は、「(小野田さんのことは)本などで読んで知っていた。直接体験談を聞けるなんて」と講演後に興奮した面持ちで話していた。
http://www.nikkeyshimbun.com.br/080311-72colonia.html


 小野田氏の85年の人生の中で、日本で過ごしたのは22歳までと2年間の帰国生活だけである。フィリピンで30年、そしてブラジルで30年、計60年間以上を外国で過ごした事になる。その中で一瞬も揺るがぬ日本への熱烈な想いは、将に尊敬に値する。

 私は、小野田氏の存在を大切にしながら、日本とブラジルの友好関係が益々発展する事を願う。
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2 コメント

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日本人とは (八目山人)
2008-03-16 00:31:25
 ノモンハンの記録を読んでも、当時の日本人の国を思う気持ちは、今の我々には想像も付きません。特に若い人は、今の日本人の考えで、戦時中の事を語るので、違和感を感じます。
 この様な人達がいたから、あの大東亜戦争も戦い抜く事が出来たのでしょう。翻ってこれからの日本人は、どの様に身を処したら良いのかと、常々考えております。
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戦前の教育 ()
2010-11-02 20:12:12
旧陸海軍軍人の回顧録や戦後の活躍を見
、その言動や精神に触れると如何に戦前の教育が良い意味でも悪い意味でも強烈なものだったかがわかる。今に比べると個人的には良い点の方が圧倒的に多かったと感じる。残念なのは軍が力を持ちすぎたこと。また世界一優秀な潔い下仕官たち(だと私は思います)を要しながら、虚勢を張った上官たちのせいで大量の犠牲者を出してしまった事などです。
戦前の教育を受けられた方々が共通して言われる事の一つに、「弱い己に打ち勝ち、日々奮励努力し己を磨きあるべき自分であること」ということ。戦後、変えなくても良いところまで変えられてしまった(殆ど改良ではなく改悪)。今、この捨て去ってしまった文化や伝統、教育や精神性を全て拾う事は出来ないにしても出来る限り復活させなくてはいけない時代に来ていると思う。
今の時代の日本に必要なのは自分の国はしっかり守り、近隣諸国(主に中、ロ、韓国)にはしっかりとした意見を述べていく事。支配したいとかではなくて、自分の国内の事をしっかり整理した上で近隣諸国と対等に信頼関係を築いて行かなければならない。今の日本政府は余りにも無様である。国民は政府に対して諦めや、焦り、怒りを感じているだろうが、国民全体が「俺がやってやる。俺が国を良くしていくんだ」という気持ちで日々戦っていかなくてはならない!
人生之修行なり!の精神で頑張っていきます。
小野田さんせめて100歳までは元気で生きておくれ!貴方は日本の国宝だと思う!
第二次大戦で無くなった日本軍、連合国軍、ならびにアジアの一般庶民の方々の御冥福を祈ります。
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