陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

伊藤和也氏の死を悼む:アフガンに消えた心ある日本人の魂(追記あり)

2008-08-29 22:19:56 | 学ぶべき日本人
 荒れたアフガンの土地で、5年前から農業指導(薩摩芋の育成)、そして植林や井戸掘削に努力した日本の若者、伊藤和也氏(31)が現地人(強盗orタリバン?)に誘拐された上で殺された。彼は、NGOの「ペシャワール会」のメンバーで、地元の人達に相当に信頼されていたと言う。何とも痛ましい話で、伊藤氏の逝去に心から哀悼の意を表します。

 それにしても、NGOの危機管理体制はどうなっているのだろうか。「ペシャワール会」の現地代表、中村哲医師(61)は、「憲法9条があるから、タリバンは襲わない」と公言して憚らない人物。幾ら信念に燃えたボランティアの若者でも、命を落としてはその熱い信念を貫く事は出来ないわけで、特にアフガンへ行くNGO組織の責任者は若者の安全を確保することに十分に気配りをして欲しい。
http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php

 毎日新聞によると、

アフガン拉致:「大地に緑を」志半ば 伊藤さん遺体確認

 アフガニスタンで拉致された非政府組織「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)は、捜索が再開された27日午前、遺体となって現地の渓谷で見つかった。5年にわたり、乾いたアフガンの大地に水と緑を与えてきた若者の善意に対するあまりにも非情な仕打ち。無事救出を祈ってきた仲間は深い悲しみに包まれたが、意義深い事業から今後も撤退する意思のないことも強調した。【朴鐘珠】

 27日午後2時過ぎ。「伊藤君をよく知る現地の村人が身元を確認しました」。ペシャワール会の本部が入る福岡市中央区のマンションで、そう切り出した事務局長の福元満治さん(60)は両手を握りしめ、怒りで顔がこわばっていた。

 会見は約1時間に及び、現地のスタッフから、現地代表の中村哲医師(61)を通じてもたらされた情報が明らかにされた。福元さんは「最悪のことが、起こってほしくないことが、やっぱり起こった」と語り、中村医師が静岡県掛川市の伊藤さんの実家に「遺体発見」を知らせたことも告げた。

 事件が報じられた26日午後から繰り返された記者会見。それまで冷静さを失うことのなかった福元さんの声が一段と大きくなったのは、政情不安が高まるアフガンで、活動を続ける是非を問われた時だった。「ここで挫折しては絶対にだめだ。非難の声は甘んじて受けますが、これでやめると日本人はだめになる」。ほおには悔し涙がこぼれていた。

 伊藤さんの訃報(ふほう)を伝えてきた中村医師は電話口で「良くない方の推測になった」とつぶやいたという。誤報であってほしい願う半面、遺体を確認したのが現地の村人だったと聞き、希望は絶たれた。5年間、共に畑で汗を流した伊藤さんの顔を、村人が間違えるはずはない。その後、ペシャワール会のスタッフも身元確認をしたという情報も入り、望みは打ち砕かれた。

 現地スタッフは、拉致された伊藤さんを捜索するため、1000人もの村人が総出で山を登ったことを伝えてきた。その話を紹介した福元さんは「伊藤君、つらかったなと。でも君はやったなと、そう言ってやりたい」と語り、一瞬救われた表情を見せた。
http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20080828k0000m040146000c.html?inb=yt


 アフガンへ覚悟して渡った伊藤和也氏の信念も立派だが、この悲劇を迎えた父親・正之氏の姿勢には頭が下がる。

アフガン拉致殺害:中村医師「ご両親に申し訳ない」

 「伊藤君のご両親には本当に申し訳ない気持ちだ」。28日午後、ペシャワール会スタッフの伊藤和也さん(31)の遺体とともにアフガニスタンの首都カブール入りした同会現地代表の中村哲医師(61)は、日本大使館で記者会見。目を潤ませながら遺族への謝罪を繰り返し、「伊藤君は現地に溶け込み、人々にとても好かれていた。このことをしっかりとご両親に伝えたい」と語った。

 悲報を伝えた中村代表に対し、伊藤さんの父、正之さんは「息子は固い意志でアフガンへ行った。迷惑をかけてすいません」と逆に謝罪したという。「私も6年前に10歳の息子を病気で亡くした。子供を失った親の気持ちは痛いほどわかる。ご遺体を早くご両親の元に届けてあげたい」と言葉を詰まらせた。

 中村代表は、この日カブール大で行われた遺体の検視結果をもとに、「伊藤君は両足を銃で撃たれた後、がけから転落し、死亡したのではないか」との見方を示した。

 中村代表が聞いた検視結果によると、伊藤さんの左足には8~10カ所、右足にも数カ所の銃弾を受けた跡があった。また、顔面に岩で打ったようなひどい打撲痕があった。中村さんは「遺体は高さ数メートルほどのがけの下にあったと聞いた」と語った。

 中村代表は28日朝、パキスタンから拉致現場に近いジャララバードに入り、初めて伊藤さんの遺体と対面した。ひつぎに入れられた遺体の顔を、何かを語りかけるように見つめ、手を挙げて遺体に向かい敬礼した。

 ◇村の有力者ら500人以上祈り

 ジャララバードにあるペシャワール会の事務所では同日、中村代表も出席して伊藤さんの葬儀が営まれた。福岡市で会見した福元満治事務局長(60)によると、伊藤さんが農業支援をしていた村の有力者ら500人以上が集まって祈りを捧げた。

 地元の人々による弔辞では、伊藤さんを「立派な男だった」とたたえる声に交じって、「恩を仇(あだ)で返すことになって非常に恥ずかしい」、「犯人と自分たちが同じアフガン人とは思わないでほしい」など、哀悼と謝罪の言葉が相次いだという。
 この日参列したのは村の長老や現地警察関係者らが中心で、会場に入りきれなかった一般の村人向けに、後日改めて葬儀が計画されているという。

 福元事務局長によると、同会は遅くとも9月中に、アフガニスタンとパキスタンに派遣している日本人スタッフ13人を全員一時帰国させる方針を固めた。再派遣の是非は治安の回復状況をみて判断するが、福元事務局長は1年以上の空白期間が生じる可能性も示した。その間も農作が継続するよう、一時帰国前に現地住民へ業務を引き継ぐという。【朴鐘珠、カブール栗田慎一】

毎日新聞(最終更新 8月29日 1時59分)
http://mainichi.jp/select/world/news/20080829k0000m040129000c.html?inb=yt

(追記:8月31日)

 伊藤さんの遺体は8月30日に帰国(中部国際空港)、御両親と家族の出迎えを受け、翌日に通夜がしめやかに行われた。

【アフガン邦人男性殺害】「残念で言葉も出ない」伊藤さんの通夜しめやかに
旧友ら悲しみの対面
2008.8.31 19:37

 アフガニスタンで拉致、殺害された非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)の伊藤和也さん(31)の通夜が31日夜、実家のある静岡県掛川市内の斎場で営まれた。昨年7月以来、約1年1カ月ぶりの“帰郷”は、志半ばで無言の帰宅となっただけに、参列した遺族らは改めて悲しみに包まれた。
 参列者によると、斎場では伊藤さんが好きだったという坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」が流れ、司会者から「以前帰国した際、両親に『アフガンの星はきれい』と話していた」と説明があったという。

 農業高校時代の同級生という会社員、沢野孝さん(31)は「こんな形で再会するとは思っていなかったが、同級生の誇りです」と目頭をおさえた。1日には同じ会場で「お別れの会」が開かれる。

 一方、静岡県警は31日未明に伊藤さんの司法解剖を実施。その結果、左ふとももに2カ所の貫通した銃創があり、うち1つが動脈を切断していたことが判明。これが致命傷になったとみられる。また、左下腿部にも銃創があり、内部から破裂した銃弾とみられる金属片2つが摘出された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080831/crm0808311946014-n1.htm

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