陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

光市母子惨殺事件の再審に思う

2007-05-27 07:53:29 | Weblog
 1999年4月に、山口県光市で起きた本村弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(11ヶ月)母子惨殺事件、容疑者の元会社員の男性被告(26)=事件当時(18)=に対する1,2審は無期懲役判決であった。上告により、2006年6月20日に最高裁は、2審・広島高裁判決を破棄し差し戻した。その控訴審の初公判が5月24日午後、広島高裁(楢崎康英裁判長)で始まった。

 1、2審判決では、被告の年齢が18歳と30日で、少年法が死刑の適用を禁じていない「18歳」に達した直後であるとして、無期懲役を選択。しかし、最高裁は昨年6月、下級審が死刑回避にあたって考慮した事情を「十分とはいえない」と退け、「特に酌量すべき事情がないかぎり、死刑を選択するほかない」と判示した。(以上、産経新聞の記事を参照)


 さて、その控訴審の意見書であるが、弁護側の陳述は何とか「傷害致死罪」に持ち込もうとしているけれども、その理由は将に噴飯ものである。ただ、彼らの法匪(ほうひ)振りに呆れる外は無い。犠牲者二人の霊に対する鎮魂の気持ちは欠落し、遺族の夫、本村洋氏(30)の悔しさを益々掻き立てる。裁判における弁護士の役割は、詭弁を弄することにあるのかと暗澹たる気持ちになる。


光市母子殺害 差し戻し審初公判 意見書要旨
5月25日8時0分配信 産経新聞

 ■成人と区別する合理的根拠ない

 【検察側】差し戻し審では最高裁判決が認定した各犯罪事実を前提とした上、情状面において、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかに焦点を当て、迅速に審理することが求められている。

 本件は強姦(ごうかん)目的で主婦を殺害した上、姦淫(かんいん)し、生後11カ月の乳児まで殺害したもので、その慄然(慄然)たる犯行はおよそ少年特有の非行行為とはかけ離れている。その責任と量刑判断において、成人と少年を区別すべき合理的根拠はない。また、少年法は精神年齢などの精神的成熟度を要件としておらず、死刑を適用する場面において、そもそも精神的成熟度を検討する必要性はまったくない。

 本件は犯罪行為自体の客観的な悪質性のほか、遺族の被害感情、社会に及ぼした影響などを適正に評価し、国民の健全な法感情を考慮して判断すれば、極刑以外に選択の余地がない。1審判決は死刑適用の判断方法を誤り、過去の裁判例と形式的に比較し、被告の更生可能性の有無に集約させた主観的事情を殊更重視して無期懲役刑に導いたものであって、著しく正義に反し不当であり、すみやかに是正されなければならない。

                   ◇

 ■強姦殺人ではなく、傷害致死罪

 【弁護側】弁護人はこれまでに2つの法医鑑定と犯罪心理鑑定、精神鑑定を依頼し、その結果、1審判決および旧控訴審判決はもとより、上告審判決も事実の認定や量刑に誤りがあることが明らかとなった。当公判廷において、それらの誤りを正すとともに、被告が反省し罪を償うために、今後どのように生きていこうとしているかを明らかにしたいと考えている。

 弁護人が明らかにしようとしている事実の概略は、(1)強姦殺人ではなく、失った母への人恋しさに起因した事件であり、被害者に対しては傷害致死罪にとどまる(2)被告の精神的な未発達がもたらした偶発的な事件であり、被害児に対しても殺意は存在しない(3)被告は極度の退行状態にあり、成人と同様に非難することはできない(4)被告は自分の過ちを現実感をもってとらえることができなかったが、26歳になり、反省と贖罪(しょくざい)の意を深めている-である。

 最高裁の審理は被告の弁護を受ける権利を侵害する異常にして異様なものだったと言わざるを得ない。また、永山基準を逸脱し、実質的な判例変更に該当するにもかかわらず、これを小法廷で審理、判断したことは違法である。

最終更新:5月25日8時0分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070525-00000011-san-soci


 この事案には、冤罪の可能性は全く無い。被告は、二人の被害者に対し、自らの死を以ってその罪を償うべきであろう。精神的な未発達がそれを回避する理由にはならない。兎に角、我が国の被告人権尊重の雰囲気には行き過ぎたものがある。被害者の人権はどこかに飛んでしまい、遺族の悔しさは無視される。

 要するに、「甘え」が根底にあるのだ。人を殺せば、必ず死刑になるとの気持ちが行きわたれば、犯罪者も減ると思うけれど、今回のような詭弁の塊のような弁護士共が跋扈し、人権尊重の裁判官が多ければ鬼畜のような人間が増殖するだけである。

 夫である本村洋氏の強い念願のように、被告に対し広島高裁が迷う事無く死刑判決を下すことを祈っている。

注:「法匪」とは、法律を建てに取り、詭弁を弄して金銭を稼ぎ人々を苦しめる輩を言う。現在、大きな辞書からもこの言葉が省かれているのは、どこからかの圧力があったものと思われる。昨今の弁護士に、法匪が目立つと思うのは私だけであろうか。
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