陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

春を迎える我が心

2015-04-16 14:47:42 | Weblog
 3月末まで残雪が多かった我が家の庭も、今はそれがすっかり消えた。4月12日(日)に人を頼んで雪囲いを撤去した。3人のプロが縄を切り解き、長い添え木を担いで順次積み上げる。背後板も添え木の間へ巧みに入れて、コンパクトに纏める。

 大小20箇所以上ある雪囲いは、11月中旬に2日掛かりで作業が行われたが、それらを外し整頓するのは僅か3時間、呆気無く終わった。私は、力仕事は最早無理なので、縄切りを少々手伝ったり散乱した小枝などを集めるのみ。雪囲いを外すと、庭がスッキリし、ようやく春の到来を実感する。

 クロッカスは既に姿を消したが、蕗の薹があちこちに顔を出している。玄関脇の白木蓮が大輪の花を咲かせ、梅桃(ゆすらうめ)の淡く白い花は7分咲きとなった。黄色い山茱萸(さんしゅゆ)は今が満開に近い。これは、4月末まで咲き続ける。

 7本の啓翁桜は、蕾を付けているだけで、連翹、花蘇芳、山吹もまだ眠ったままである。これらも10日後には見事に花を咲かせるだろう。

 2階ベランダから斜平山(なでらやま)の残雪を眺め、雪解けで増水した最上川の川音を聞き、早春の庭の風情を楽しんでいると、果たして来年もこの景色を見ることが出来るのだろうかとの想いがふと過(よ)ぎる。それは、古希を迎えてから毎年感じる様になった。別に長生きしたいという欲望がそうさせるのではない。

 次第に衰える四肢、そして著しい視力低下の我が身に、突然の事故が起きればこうしてベランダに立つことも出来なくなる。事故でなくても、脳梗塞や記憶喪失あるいは認知症に襲われるかも知れないのだ。私の心の奥底では、それを期待している節もある。

 まあ、今こうして元気でいる内に、自然の齎(もたら)す春の恵みをたっぷりと味わうことにしよう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 加藤達也・産経新聞前ソウル... | トップ | 人民元の国際的地位確保を目... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事