明治用水に蓋 ↓
サイクリングロードの横は明治用水路ですが、流れの幅が広くなっていて、水難事故防止のために水路上に蓋がしてあります。
クズ ↓
クズの花はあらかた終っていて、今の時期は実の莢が垂れ下がっていますが、ここではまだ花が見られました。
エノキ(実) ↓
エノキの実も色づいてきています。この小さい実は甘くて食べられます。
矢作川 ↓
向こう側に矢作川とその手前、河川敷にはさきの台風の増水痕が見えています。
水源橋の頭首工 ↓
ここが明治用水の始めで、取り入れ口となります。「頭首工」という言葉が使われていますが、普通に「ダム」ですね。
橋にもなっていて車の往来も頻繁です。
斜張橋 ↓
豊田アローズブリッジという長さ820mのあの下を潜って来ました。
正式名は矢作川橋といいます。将来は新東名高速道路の通過点になります。
ケイトウ ↓
道路わきに耕作地が有り、こんな花も顔を見せます。
クサギ ↓
クサギの美しい実も見えました。
ダムの上流 ↓
頭首工で堰き止められた上流部はそれらしく静かな水面が見えます。
立体交差 ↓
サイクリングロードの一般道路との交差部分では、安城地内は地下通り抜け式でしたが、豊田地内では跨線橋形式が多用されています。差し掛かるたびに自転車から降りて押していきます。
トヨタスタジアム ↓
ドームの屋根はトヨタスタジアムですね。
このスタジアムは豊田市が所有するサッカーやラグビーなど球技専用のスタジアムです。
黒川紀章設計の開閉式屋根で、収容人員45000人となっています。
明治用水の蓋 都会からいらした聖カタリナの先生が 夜松山で川には蓋があるものと思っていて 暗闇で車が川にはまってしまった とおっしゃっていましたが 都会ではそういう事が多いですね。
矢作川と聞くと懐かしいですね。
台風の爪あと残っていますが被害が出なくってよかったです。
ケイトウ元気ですね。
ダムに水があり安心しました。
豊田スタジアム黒田紀章さんのデザイン 流石に立派ですね。
道後にも黒田紀章さんデザインのホテルがあります。
最近どこかでも見た?聞いた?気がしますが・・思い出せません・・歳です。(笑)
黒川起章さんは若尾文子さんの旦那さんでしたか。
日本だけでなく世界的にも有名な建築家でしたね。
御地では道後温泉の道後館も彼の設計ですね。
ほかにも愛媛県総合科学博物館もそうらしいです。
あのくらいの人になると、奇想天外のデザイン力があるみたいです。
小生はサラリーマン時代に黒川さんの師匠の丹下健三さんの建物に係わったことがありました。
用水の水路に蓋・・・・子供が落ちたら大変ですからね。
しかし、大人が車ではまるなんて大変なウッカリ屋さんでしたね。
矢作川の水量は台風で相当増えたようですね。平地では雨が少なかったのですが。
ここへ来て、.ダムも一息ついているようですね。
今日は運転免許証の更新をして来ました。
視力検査で引っかかり免許証に眼鏡という条件が書き込まれていました。
でも楽しまれたご様子で何よりです。
思い起こせば、昭和49年8月の暑い時期に、ぶちょうほうさんのお住まいの近くを西に向かって自転車で走っていましたね。あの日は磐田駅から出発して夕刻に千種区に着きました。
使った自転車がいわゆる「ママチャリ」ですので、最後の方では向かい風もあり漕ぐのが難儀になりました。
でも、遊びででやったことですので、これも楽しんでしまえました。
昭和49年といえば今から40年位前のことですね。
自転車で京都あたりまで行かれたのでしょうか。その中の一区間なんですね。磐田から千種区までは相当ありそうですね。
もしかすると100kmくらいありませんか。
あの当時自転車(競技も含めて)はブームでありましたね。