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Brugge Style
そして今夜も白鳥の湖
エヴゲーニャ・オブラスツォーワ(Evgenia Obraztsova)がボリショイ・バレエにプリンシパル待遇で移籍したのを聞いてからもう3年も経つのか...
わたしにとっては、彼女のプリンシパルとしてのパフォーマンスを見られる初めてのチャンスが巡ってきた。
...がっかりだった。
マリインスキーからボリショイへの移籍でプリンシパルに昇格したことと、DVDやYouTubeや写真、またタンブラー上の人気などからも相当期待していたのに。
まず優雅は優雅、そしてあの愛らしい美貌は認めよう。ロシアの「腕」も十分堪能した(オシポヴァ(Natalia Osipova)はロシアン・バレエの腕の使い方が英国では不人気なのを知り「自分だけ腕の使い方が違うので改良したいと思う」とインタヴューで言っていたが)。
しかし、2幕目のグラン・アダージオの後のオデットのヴァリエーションから、パが完全に遂行できないのが何カ所も目立ち、3幕目のグラン・パ・ド・ドゥでは32回転が音楽に合わせて回りきれなかったのはボリショイのプリンシパルとしてどうなのだろうか? わたしは、スピードが速いとかたくさん回転できるとか、高く飛べるとか、そういうことにはあまり重きを置かない観客だが、あの一番盛り上がるシーンでいまひとつ、というのはオディールの魅力を削いでしまう。
全体的にあまりぱっとしないオデット/オディールだった。
先日、来週予定されている彼女の2回目の公演が取り消しになるとアナウンスがあった。実家ボリショイで怪我人の代役として立つため、急きょ帰国させられるのだそうな。
ロイヤル・バレエのサイトを見ると、「がっかり!」という書き込みが多く、いやいや、もし昨夜のレベルが彼女の「ゲスト・プリンシパル」で踊る時の本領ならば、全然がっかりすることはないと思う。
プリンシパルとは言え、機械ではない。調子の悪いときも失敗もある。人間だもの当然だ。昨夜はたまたま調子が悪かっただけ、と思いたい。
(彼女の美しい写真は名前で検索したらいくらでも出てくるのだが、写真はroh.org.ukより)
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母の日だった。
英国は昨日が母の日だった。
しかし娘が母の日のコンサートでピアノを弾くというので朝7時起き
ベッドで10時頃紅茶とパンケーキの朝食にしたかったのに...
ロンドンはどこもかしこも幸せそうなお母さんでいっぱいだった。
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今夜も白鳥の湖
今シーズンのロイヤル・バレエ「白鳥の湖」、ナタリア・オシポヴァ(Natalia Osipova)のオデット/オディールに2度目馳せ参じる。
出かける前、ひとりで盛り上がってマリインスキーのユリアナ・ロパトキナ(Ulyana Lopatkina)とロイヤルバレエのマリアネラ・ヌネツ (Marianela Nunez)のバージョンをDVDで見た。だから今日だけで「白鳥の湖」を3本も見たことになる。三度の飯より好き。バレエだけは「だんごより花」。
オシポヴァが登場する前なぞ、娘の楽器のリサイタルでもここまで緊張はしないだろうくらいに緊張、心臓はティンパニよりバクバク、自分が踊るわけでもないのに...ひとりで盛り上がってひとりで緊張して、ひとりで飛び跳ねたくなるほど喝采を送って、ほんっとに忙しいのです。
昨夜もオシポヴァは素敵だった。特にオディールが。オデットはもっとねっとり、もっとねっとり暗くてもいいのではないかと思う。
例えばヌネツのオデット/オディールの最高に素晴らしいのと比較すると、ヌネツには抜群の安定感とバランス感覚があると思う。もちろんヌネツも大好きなダンサーなのだが、わたしがオシポヴァを特別に好きなわけは、極めて優れた才能の中にどこかかすかな危うさがあるからかもしれない。
ダンサーそれぞれの個性や解釈の違い、これこそが楽しみの一つなのだ。
次はボリショイにプリンシパルとして移籍したEvgenia Obraztsovaのオデット/オディール、楽しみ楽しみ!
(写真はroh.orgから。この写真、広告にも使われているものだが、もっと他にいいのがなかったはずはないのになぜ? と思っている)
バレエの記事は読んで喜んで下さる方は少ないと思うので、実際鑑賞したものの7割くらいしか書いていないのだが、先日「ブログを読んでいるうちにバレエを見てみたくなった」とメールして下さった方がおられた。こんなに有り難いことがあるだろうか。
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ニーチェかサルトルか
来週、北欧に遊びに行くので天候などを調べる。
3月下旬、北はまだ寒いようだ。
今日のオスロは最高気温7度、最低気温マイナス1度。
(ロンドンは13度と3度。この冬もついに防寒のための帽子や手袋は必要がなかった)
パリで「おまけします」につられて買ったサルトルのバイカーブーツ、必要に駆られて買ったわけではないのでずっと箱に入ったままだった。ありがちだ。断然ハイヒール派だし。この旅行をきっかけに下ろしてガンガン履こう。
日本でもずいぶん前から流行りらしい「サルトル」のブーツで喜んでいるなど、ニーチェ的にはわたしは畜群とか奴隷だろう。なるほど自分はブーツを選ぶという状況下でミーハーな決断しかできないという点で(どんなに自分は個性的であると誇っていたとしても)単なるミーハーなのである、とサルトル的には断罪されてしまう...そういうデタラメを考えつつ、防水スプレーを思い切りふる。
この行程が大好きだ。
スプレーをふってほれぼれと眺める。
靴ってなんて美しい造形なんだろうか。
しかも新しい靴は新しい場所へ連れて行ってくれるそうですね...
(「そそソクラテスかプラトンか...ににニーチェかサルトルか」が哲学者の名との最初の出会いだった人、挙手)
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モネを千枚売った男
Iventing Impressionism/The man who sold a thousand Monets
印象派の価値を見いだし後援し続けた画商デュラン=リュエルの功績を、印象派の作品群によって解き明かすというステキな展覧会に2回目行ってきた。
デュラン=リュエルに関しては何年か前にパリでも展覧会を見たことがある。
最近では「セカイ通信ロンドン」を書くために芸術パトロンについての本を読み返したのですごくいいタイミング!
デュラン=リュエル家は元々パリで文具店を商っており、絵の具を扱うことから画家との付き合いができ、1840年頃から本格的に画商となった。
最初はコローやバルビゾン派などを扱っていたが、普仏戦争下ロンドンへ避難していたモネとピサロに出会ったのをきっかけに印象派と深く付き合うようになった。彼はバルクで作品を買い、貧しい画家への援助を惜しまなかった。財政危機に陥った時、画家たちの提案で第一回印象派展覧会が開かれ(この時のモネの作品「印象、日の出」が揶揄されて「印象派」となった)、結果は散々であったが、その後、米大富豪の娘カサットの助力もあり、アメリカに市場を開拓したことが印象派成功の鍵になった。
今となっては一番人気とも言える印象派の作品は当時は全く受け入れられず、それどころか罵倒され続けたというのが「印象」深い。
...,..
娘は最初「印象派は好きじゃない。物語がないから」と言っていたが、結局すごく楽しんだらしい。最近見て特に良かったレンブラント展やルーベンス展よりもおもしろかった! と。そうか、自分の狭い世界に印象派が隣接していなかったせいで、好きじゃない、と簡単に片付けていたのか。
この一言で、人ごみの中をハイヒールで牛歩したせいで足先が痛み出したわたしの気分も、印象派の空のように晴れたのである。
知性や教養というのは、何をどれだけ詳しく知っているかで測られるのではない。自分が何をどれだけ知らないか、自分は何に興味がないかをどれだけ詳しく知っているかで測られる。また、どこを当たれば欠けた知識が得られるか知っていることも重要なポイントだ。
すなわち、いわゆる知性的でない人や、または小さい子供が往々にしてknow it all(自分は何でも知っている)なのは知っている世界が単に狭いからなのだ(ああ、このブログのことだ!)。
両親から「こだわりがあるのは品のないこと」とよく言われたが、知性についても同様なのかも...
先週も書いたばかりだが、娘には「分からないもの」「興味のないもの」をどんどん見せ、アメーバのように世界を広げて行って欲しい。
印象派を頭から拒否し続けた当時のエスタブリッシュメントのようにはなって欲しくない、と。
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