goo

鬼神を敬して之を遠ざくる




今週末からベルギーへ1週間行く予定が延期になってしまったため、カレンダーに大きな空白ができてしまった。

これを奇貨に、懸念の掃除や、日本旅行の写真の整理や...思い出の続きを、と書き始めた。
いつまで続くかしら...




伏見稲荷大社は、外国人観光客の間で、日本一の人気スポットなのだそうだ。

ベルギー生まれ英国育ちの娘も、インスタグラムで写真を何度も見たことがある、「スタジオ・ジブリ」作品を想起させるなどとという。
すなわち、隣り合わせになっているが、普段は忘れているもうひとつの身近な世界、自分がそこから来たような懐かしい世界だと。

わたしがそのように感じるのは、そうかなあと思ったりもする。そして日本には一度も居住経験がない娘にとっても、「ジブリが好き」という外国人にとっても、そうなのだという。

あのシリーズはローカルでありながら、ローカルであるからこその普遍性があるのかなあ、まるで村上春樹の作品のようだ。




前回、2021年に伏見稲荷大社を訪れた時は、コロナ禍の、外国人は入国が許されていなかった時期だった。
まるで人影がなく、うっかりするとあちらの世界へひょいと渡ってしまいそうになる感覚があった。

このように聖と俗が分かち難く入れ子になっている街、わたしはもうひとつよく知っている...

イスラエルのエルサレムだ。
懐かしい。




今回は、まずは修学旅行生の多さに驚き、上へ登れば登るほど日本人がだんだん減っていき、登山する気で満々の服装をした外国人ばかりになるという状況がおもしろいなと思った。

たぶん、外国人は、「ここで引き返したら、『この次の瞬間にあるもっと不可思議でもっと現実離れした景色』を経験できない...だから下山のタイミングが永遠に測れない...」というジレンマに陥っているのではないかと思う。想像だけど(笑)。







本来、稲荷神は稲に象徴される農耕神だという。
なるほど、狐様は稲の穂をくわえておられる。

「本来の「田の神」の祭場は狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)だったと推測されるが、近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった」(Wikipediaより孫引き)

赤い鳥居の両脇のおそろしい顔をした狐様については、「狐は稲作の害獣を取って喰うから、神様のお使いとして大切にお祀りする」と子供の頃聞いたものだった(他にも諸説あり)。

そしてふと思った。




わたしが住んでいる英国南東部サリー州の丘陵地帯には、狐が隣人としてしばしば出現する。

野良犬野良猫は全然いないが、夜の運転中には絶対に最低一匹の野生の狐には出会う。
化かされたことは...たぶんないと思う(笑)。
ゴミは狐に荒らされないよう注意しなければならない。庭にも迷い込むし、怪我をした小狐を介護したこともある(英国の狐には例の寄生虫はいないそうです)。

そんな身近な隣人なのにもかかわらず、ここでは狐は悪名高き「狐狩り」、つまり人間の娯楽、ブラッド・スポーツ(血まみれのスポーツ)の対象になってきた。

本邦では祠を建ててお祀りをする狐穴を、英国では狐が穴に隠れてしまわないよう穴をふさぎ、行き場のない狐を馬で追うのですからね! この違い。

日本でも仏教伝来とともに、人間を化かす妖怪としての扱いもされたわけだが、「鬼神(きしん)を敬して之(これ)を遠ざくる」という態度には変わりがないのでは...
(たった今、内田節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という超面白そうな本を買ってしまった)




夏に旅行したインドネシアのバリ島の高床式倉庫が、日本の神明造り、端的に御稲御倉(みしねのみくら)に酷似している(当然といえば当然か)のに驚いたのだが、あちらに狐はいるのかどうか、聞けばよかった。

なお、あちらの、一昔前の日本の原風景を思わせる水田は、どうも日本占領時期に広まったようである。
バリ島の人の姿形顔つきや礼拝の作法を見ていると、日本人にそっくりで、日本人のルーツはここにあるのか? と思ってしまいそうになるけれど。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )