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オーロラ姫は何者か、あるいはカラボスとは何者か




今シーズンのロイヤル・バレエのプログラムには「眠れる森の美女」がある。

2月中旬から始まるこの演目、ものすごく楽しみにしている。

(右写真はwww.roh.org.ukより、怒りのカラボス)


このブログはブルージュ...というだけあって、ブルージュの記事検索が常に一位だった。
しかし去年あたりから、2014年の3月24日の記事、「眠れる森の美女」、カラボスとは何者かという記事が一番よく読まれている。

驚いている。なぜなのだろう。
どこかでさらしものになっているのだろうか。

そこでわたしの考えをもういちど整理したいと思う。


結論からいうと、悪のカラボスと、善のリラの精は同一人物であり、死と再生を司る神だとわたしは思っている。


以下、待望の姫の誕生パーティーに招待されなかったという理由で癇癪を起こし、「姫は美しく育つが、16歳の誕生日に死ぬ」と予言する「悪」カラボスとはいったい何者なのか、オーロラ姫の役割を考えつつ、わたしの2つの解釈を書く。



ひとつ目は、自然を説明するアプローチ。

オーロラ姫は死と再生のシンボルであると言える。
例えば、ギリシャ神話で言えば、豊穣神デメテルの娘、ペルセポネに当てはまる。ペルセポネの夫は冥界の神ハデスである。

四季の変化というのは大昔から人々のサバイバルに関わる重大事だった。
大地は春に目覚め、夏から秋にかけて豊かな収穫をもたらすが、やがて不毛の冬が来る。しかし冬は永遠に続かない。季節は一度死んで、春に再び生まれ変わるのである。

ギリシャ神話は、冥界の神と結婚したペルセポネが地上へ里帰りする春、母である豊穣の女神デメテルが喜びで大地を満たし、ペルセポネが冥界で夫と過ごす冬の間、地上は過酷になると説明した。

ペルセポネは豊穣の神の娘であり、かつ、冥界の神の花嫁なのだ。


オーロラ姫はカラボスに呪われ、と同時にリラの精にその呪いを軽減され、100年の眠りにつく。
100年というのは「長い時間」というような意味合いであって、カレンダー通りの100年という意味ではない。八百万の神が800万柱の神という意味ではなく、無限にたくさんの、という意味であるのと同じだ。

オーロラ姫は不幸なことに16歳で死ぬ。
いや、100年の「眠り」につく。

この眠りは率直に「死」(死ぬことを「眠りにつく」という)であり、100年間とは、姫が転生するまでの不毛な時間の長さの表現である。
リラの精は、姫が眠る城を茨(眠りの森の美女の別名は「いばら姫」だ)で覆う。茨はあの世とこの世を分ける「垣根」であり、昔話ではこの世とあの世はしばしば茨の垣根によって隔てられている。ちなみにゲルマン語で「魔女」とは、人間の生死の境を扱う「垣根の上にいる女」という意味だ。

ということは、姫の死に一番関係の深いカラボスはまぎれもなく冥界の神である。
カラボスは「100年」の長い間(つまり冬の間)、姫を冥界に連れていく。

しかし、リラの精は姫を再生させ、世界を光で再び満たす(なんせ名前も「オーロラ」ですもの)のである。


おもしろいのは、もともとは冥界の神ハデスこそが、豊穣神と冥界神を兼任していたことだ。


つまり、カラボスは冥界の神であると同時に豊穣の神リラの精であり、死と再生のサイクルを司っている。
カラボスは地上を枯らせ、地上を再び豊かにする神なのだ。
のちに、枯らせる神と、実らせる神の仕事が2柱の神に振り分けられたが、季節の変化を「巡るもの」ととらえたら、この神がもともとは1柱であったというほうが説得力がある。

カラボスとリラの精は同一人物である、とわたしが結論するのはそういう理由でだ。


「眠れる森の美女」の第一幕で、侍従は愚かにも、姫誕生パーティー招待状をカラボス/リラの、善の顔にだけ宛てて出してしまった。
神は「全」であり、全には善悪の区別はない。善悪の区別は人間がつけるものにすぎない。「死」「冬枯れ」は人間の目から見てだけ「悪」なのである。

16歳の姫が死んでしまった。
待望の16歳で死ぬのは悲劇だが、春に大地が再び芽吹くように転生して生まれ変わるのだから嘆くことはない、と。

死んでいる間、オーロラ姫はペルセポネのように冥界の神の妃かもしれない。
そうだとしたら、「古代の王」の人格を帯びた王子が、霊力を手に入れるために冥界に下り、霊的な成長を遂げて帰還する、という英雄冒険譚もきれいにまとまる...



2つ目は社会的なアプローチ。

オーロラ姫が100年の眠りにつくのは、大人になるために子供時代を捨てて生まれ変わるメタファーだ。

物質的に豊かになった今では、若者に十分なモラトリアム期が与えられるため考えにくいが、昔は共同体を運営・存続させていく「大人」を切実に必要とした。
子供は自然に大人になるわけではない。「今日からあなたは大人!」と人為的な強制があって初めて大人になるのである。それが世界各地に残るイニシエーション(通過儀礼。元服とか割礼とか)である。

通過儀礼に際した変化の過程が、象徴としての「100年の眠り」である。
社会構造に組み込まれた役割「子供」に決別し、別の役割「大人」に変化する、「死」と「再生」の旅が「100年の眠り」に象徴されているのだ。

つまり、今の感覚でいうと差別的だが、歴史的に女は結婚式の日に、慣れ親しんだ古い人生を捨て(死)、新しい人生を歩み始める(再生)。もしよろしければこちら「白無垢とは」を。
オーロラ姫が目覚めてすぐに結婚式が挙げられるのは偶然ではない。

このデンでいっても、カラボスもリラの精も、やはり死と再生の神であり、ハデス的同一人物だとわたしは結論する。



...とはいったものの、物語を説明し尽くすなど野暮なことはせず、バレエ「眠れる森の美女」の全体的な美を楽しむのが最優先だと思う。
特に前回、負傷のためオーロラ姫を一度も踊れなかったナタリア・オシポヴァの回が楽しみ!
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