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Brugge Style
maurizio pollini to celebrate his 75th birthday

いたたまれなかった...
わたしはただのクラシック音楽好きで、理論構築的な審美耳は全く持っていないが、それでも、やんやの歓声に違和感を感じるほどだった。
いや、歓声があってありがたかったのだ。あれがなかったら気まずさに耐えられず、逃げ出していたに違いない。
実際、インターバルの時に帰ろうかと思ったほどだった(結局帰らなくてよかった。後半のドビュッシーのプレリュード第2巻は、やはりどんなに優れた講義を何時間を受けるよりも勉強になったと言わざるをえなかったから)。
ポリーニの演奏から、いい意味で「機械的」とさえ評された人間超えクオリティが消えたと言われてからもう何十年も経つと思うが、彼の特徴である早さに、身体機能がついていけず、「早さ」ではなく、「前のめりで転びそう」。
最初のショパンの2つのノクターン(Op.27)を聞いている時は、冷や汗が出そうになった。
特に、彼が歌いながら弾く様子が、「気の毒さ」を助長し、エイジズム的ななことは決して言いたくないのだが、「おじいちゃん、もういいから、あなたはかつて素晴らしかったのだから」と思ったほどだった。
バラード3番でもちなおし、4番はまた前のめり、子守唄はすばらしく、スケルツォ1番...
しかしもちろん各所に何かが降りてきているのかというような輝きはあり、アルページオの正確さと繊細さにドキッとなり、という場面も。
娘は、「事実とは全く違うと思うけど、(ショパンは)まるで何十年も前に暗譜した曲を、それ以来一度も楽譜を見ることなしに弾き続けた人の演奏であるかのよう」と表現した。
ポリーニといえば、技術的に難しいと思ったことは一度もないという逸話が有名で、毎日の練習では、当然作曲家の意図を汲むための練習をしているそうだから、つじつまの合わないことである。
後半のドビュッシーから、アンコール3曲(最後はバラード1番で、最後にあれを演奏し尽くすというのはやっぱりすごい)は乗ってきた感じで、ドビュッシーはむしろ若々しく、驚いた。
去年、日本へもツアーで行ったとおっしゃるから驚きの精神力と体力である。
後半は安心して聞けたが、ほんと、ヒヤヒヤしましたよ。
娘が公の場で弾く時は、今でもドキドキして倒れそうになるわたしだが、そんな感じ(笑)。プロがそんなことを観客に心配させてはいけない。
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