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「職業体験」探し体験




今年の9月、娘が6thフォームに進級する。

6thフォームというのは、4年半前、娘が中学校に上がる11歳のときに英国で進学させるまで、わたし自身も全く知らなかったのだが、


大学入学前の準備期間で、この2年間は大学で専攻したい分野関連の科目、数科目に絞って勉強する。
大学の教養課程にあたると説明するケースもある。義務教育ではない。
2年間の最後にAレベルという「一般教育修了上級レベル」国家試験があり、大学入学資格になる。
ものすごく乱暴に当てはめるなら6thフォームが日本の高等学校か。
ちなみに日本は中高で3・3の6年だが、英国は7年。


前置きが長くなったが、9月に6thフォームに進級したら真っ先にせねばならないのが「職業体験」だそうだ。
今年の頭から準備期間が始動した。

英国の学校(私学は、と言ったほうがいいのかも)は、日本やベルギーに比べてとにかく「ハードルが多い」。
ハードルの設定を低くしたり高くしたりするのは自由だが、とにかく「あれをするためにはまずこれこれをクリアして、こっちに働きかけて、これを準備して、級と認定を取って、資格を取って...」というのがほんとうに多い。

もしかして親のコネクションや、要領、知性を試しているのか? というような嫌味なハードルもものすごく多い。
すごい! と思う認定や資格も多い一方、「こんなん最終的に履歴書をできるだけ粉飾するだけのためやん...」というものも多い。
結果が数値で出るからだろうか(数値は履歴書に書きやすい)、コンクールや競技もとても多い。


とにかく人に一歩先んじるためには、勉強ができるのは当然、スポーツと芸術に堪能であるのはもちろん、口がうまく、人当たりが良く、行動力があって、リーダーシップがあって、交渉能力が高く、問題解決能力に長け、独創的なアイデアにあふれ、コネを作る能力があり、根性と思いやりがあって...という人間像が期待されているみたいだ。

しんど! と思うのはわたしに向上心やコミュニケーション能力が欠落しているからだろうか。


あ、また前置き2弾が長くなった。

で、職業体験だ。

獣医を目指す生徒は動物病院に、弁護士を目指す生徒は弁護士事務所に、会社経営を目指す生徒はパパの社長室に、金融はシティの銀行へ、政治はホワイト・ホールの官庁へ、俳優は...うーんどこに行くのだろう?

そんな具合に、実社会で1週間を過ごす。

わたしなら例えば有名企業のオフィスには行かず、わざと地元の地味なスーパーなんかに行って、はいつくばるようなカスタマー・サービスを経験し、それをプレゼンで10割ましにまとめるのだがなあ。あざとい? でも、審査する大人を喜ばそうとしたら絶対にそっちでしょう!


で、その受け入れ先を自分で探さないといけない(いや、親がでしょ?!)のだ。

しかし、16歳の子供を受け入れてくれるような精神的余裕のある会社組織というのは(日本では考えられない)多くはなく、余裕があっても複数を同時にオッケーというところも少なく、おまけに自分の希望の特殊な専門分野で...となると、とにかくコネをもって探さないと不可能、とアドバイスされた。

当然、人気のある職場はすぐに埋まってしまう。

ちなみに英国のこの需要を当て込んで、東欧の医療機関などがバカ高いツアーを組むケースさえあるそうだ。
しかも、このツアーに参加したことが漏れたら、試験官の心情的にマイナスになるというのだから恐ろしい。もっと恐ろしいのは、試験官がほんとうにマイナス判定するのかどうかというのが誰にもわからない、といことかもしれないが。


「そんな、実社会でとゆうて、一週間で何がわかるん? そんなん遊びやわ。それやし親にコネと地位があるような子ばっかりがすごい職業体験をしてきて大学の面接で優遇されるはずがないやん。それ、ホンマやったら不公平やん。ありえへんわ。履歴書の飾りみたいなもんやろ。どこでもええねん。何を体験するかやなくて、どう体験するか、やねん。パパのオフィスに行っとったらええやん」とわたしは思っていた。

が、わたしが考えるよりずっとシリアスなのだ、と説得された。
簡単に説得されたのは単に、わたし自身に英国で進学した実体験がないから、ゆえに試験官が何をもって審査するのかを誰よりも知らないから、そしてゲームボードを取り替えられない限り、このゲーム盤の上でゲームを続けるしかないから。


「一週間で社会の何がわかるん?」というのは、英国の教育機関とて含み込みだ。ということは彼らが求めているのはその一週間の体験そのものではないのだろう。

短い体験から最大限のものを汲み取る能力?
ハンデをアドバンテージに変える能力?

あるいは当局が何を意図しているのか、それが何かを知るために行くのだろうか?

いや、それよりも「何でなかったか」を知るために行くのだろう。
自分の予想や期待に対して「何でなかったか」を知るのはものすごく貴重な体験だと思う。
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