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時間よ止まれ




セカイ通信の次号を書くためにロンドンの美術館をうろうろ。

書きたいこと、知りたいことは山ほどあるが、知力が100週遅れくらいで全然追いつかず、相変わらずの泥縄作業中なのである。

しかしこの泥縄方式、わたしにとってはかなりおもしろい作業だ。

あれを知ればこれを知りたくなり、これを調べたらあれも調べたくなり、こっちを見たらあっちも見たくなる。

わたしはこういう作業が一番好きなのだなあとつくづく思う。


そのワクワクする作業も、どこかで一旦区切りをつけて書く方に取りかからねば永遠に何も書けなくなる。知りたいことは芋ヅル式で永遠に出てくるからだ。

知らないとさえ知らないことでこの世は満たされている。
そう考えると、あー、わたしすごく満たされる。


で、そろそろ...と思っていたら、ナショナル・ギャラリーでこんな絵を見かけた。

イタリア・ルネサンス期のロレンツオ・コスタの作品だ。

この人たち、何をしているかお分かりになりますか?


正解。「合唱」しているのです。

漫画だったら五線に音符を散らすシーンですな(そう考えたらますます漫画ってすごいメディア)。


15世紀のイタリアでは、「歌」を絵画に瞬間冷凍保存してみせる技が流行ったそうだ。これについては全然知らなかった。

もちろん「歌」は目に見える形で残すことができない。
それをなんとか「象徴」を(例えば歌はアオイデー、合唱のテレプシコラーなどのミューズ)介在させずに絵に残したのがこちらだ。左右の人物は指でビートを打ってさえいる。

「アート」の起源は実用品であり、絵画や彫刻などは呪術に用いる実用品であったと言われているが、われわれ人間がどうしてもとどめることのできない「時間」、これを無理くりにとどめようと試みたらそれはどうしても「アート」の形をとるしかないのではないかと。

「芸術こそは、人間の欲望のもっとも端的なあらわれである」(福田恆存著「藝術とは何か」中公文庫)より。


ああ、人類の至宝ナショナル・ギャラリー。汝に賛美歌を捧げたい。
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