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ロマンティックが止まらない




ロマンティックが止まらない人(夫)と、彼の大好きなラファエロ前派を見にギルドホール・ギャラリーへ。

ラファエロ前派の作品はテイト・ブリテンが有名だが、こちらも有名な作品を筆頭に大変充実している。
何よりこぢんまりした規模と、人が少ないのも魅力だ。
シティにあるせいか特に週末はこの辺り一体が眠ったようになる。
霧吹きのような雨が降り注ぐ静かな街角がロマンティックだと彼は喜ぶ。たしかに散文的で雰囲気たっぷりだ。

ラファエロ前派の作品は、わたしにはロマンが過ぎる(ラファエロ前派が分類される象徴主義は、ロマン主義のゴシック的部分から派生)が、もちろん「美」を見学するのはいつでもどこでもおもしろい。いや他にこれ以上おもしろいことがこの世にあるだろうか。

どうなのだろう、こういう絵を見ることによってロマンティックな部分が目覚めるのだろうか、それとも元々ロマンティックを受け入れる素養が必要なのだろうか。夫を見ていると、彼が持っているある感受性の空洞にたまたまラファエロ前派がぴったりはまった、という感じがするから両方か。

わたしも大概妄想が好きなタイプだが、わたしのロマンはこういうところにはない。もっと抽象的で曖昧で、どうにでも解釈でき、「ええっー?」と唸るところにある。ロマンって結局何なんでしょうね...
ロマンティックの定義である、「理性/合理主義とは反対の感受性と主観を重視する」を鑑みれば、わたしは決して決して理性/合理派ではないのだけれど。


今回一番おもしろいと思ったのはイエス・キリストの少年時代を扱った聖家族の日常を描いたHerbertのThe Youth of Our Lordで、マリアがイエスを見る「この子...やっぱりちょっと変わってるのよね」「検査に連れてった方がいいかしら」という母の素のまなざしがたまらない。


もうひとつの目的は今年、築120年を迎えるタワー・ブリッジに関する展示会を見ることだった。こちらは他に候補になったデザインや、19世紀の祝祭の様子が興味深かった。


さらに、ロマン男をひきつけてやまないのは、この建物の地下に保存されているローマ時代のアンフィシアター(円形闘技場)だ。「ロマンティック」が「ローマの庶民文化」に語源を持っているように、やはりこれが基本、好まずにおられようか、という(こじつけだけど)。


彼は試験前で家で留守番をしている娘に今日もお土産を買う。娘には
「...パパ、お金がなくなりますから毎日お土産を買ってくるのは止めて下さい」だって。

(お土産、数百円で夢一杯、ラデュレのケーキ)
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