今日も冬ばれ。
気温は低いが風がないから、陽だまりはぽかぽか。
だが、国政には相変わらず寒風が吹き荒れ、隠蔽体質も一向に改善されない。
ここ宮城では、昨年から梅原仙台市長のタクシーや公用車の不正使用が騒がれている。
マスコミからも追求され、その対応が流されてくるが、
「筋トレジムに通うのも視察のための公用である」などと、まるで悪がきのような態度だ。
今年に入って、土井石巻市長も大量のタクシー券の私的利用が追求され、認めた。
梅原市長は、まだ突っ張っている。 いやはや、どんな感覚の持ち主たちか?
さて、こちらの“隠蔽”は同じ“いんぺい”でも庶民の知恵。
昨年、ある退職者グループが年に一度出している薄い連絡誌に、全国級のものが投稿されていた。
紹介しよう。
『 「萱葺き屋根の囲炉裏端」 (O.R子さん)
濁酒(どぶろく)をにごり酒などと上品には言わない。エンペェ、密造ゆえに「隠蔽」が訛ったものか。
戦後しばらく村に偵察が来た。税務署員らしき男たちが通ると、すぐさま村中一斉に伝令が飛ぶ。
連絡網は、村に唯一ある学校の電話。
子ども等は、家へへと近くは走る、自転車を飛ばす。電話のないは軒下に吊るした鳴り木(大きな板)をたたく。
それに気づくと床下に樽を隠す、裏山の穴へ、寺の位牌堂へと、こういう時こそ村人は結束するのである。
長い冬を男たちは、薪をくべつつ囲炉裏端に茶碗を並べ、白い一升瓶を回す。女たちは筵を編む。
太い梁からつるした自在鉤の途中に組んだ井桁の囲い木に、藁沓やかんじぎを干すのであった。
雪は積もり、ふぶき乱れ化ける。
家畜はすべて家族と一つ屋根の下で春を待つ。萱葺きは温(ぬく)いが、火を落とすと隙間風は一本の細い吹き溜まり作りの芸を疲労する。
だが、茅不足と職人の激減で、在りし日の生活を支えた夫の実家の萱葺き屋根は、二年前に取り壊した。 』
なんとほほえましい「いんぺい」ぞ。
授業中でも伝令に走らせる先生たちや子どもたちの様子が目に浮かんでくるようだ。
学校もお寺も、の人たちが一つになって生きている。
大変な時代だったろうが、温い心がを覆っていたのだろう。
さて、昨年3月の同窓会用に仕込んだ小生の「エンペェ」。
この戦後と同じことが、昨年夏の終わり頃だったか?に起きた。
税務署員男性2人が突然やってきた。
「どぶろくを作ったか」と訊くので「うん」と答えると、
「許可なく作るのは違反です」と言うので
「日本中たくさんの所で作っているよ。農文教は“どぶろくの造り方”を出版し、裁判もやってくれているよ」と、少しやり取りをする。
「ええ、それをブログに書かれると困るのです」と。
それで「分かった。ブログに書いたり、おおっぴらにしなければいいんだね」と言うと、
言いにくそうにして帰っていった。
終始おだやかに応対していたが、何でも訪問したのは、3度目くらいだったようだ。
こんなことで大の大人二人に3度も足を運ばせたとは。なんとも言いがたし。
これまた今の世のほほえましさか・・・
ところで、去年の“エンペェ”は、去年の夏には、表面は白いカビに覆われ、咳き込むほどに酸っぱかったのだが、今はアルコール分はほとんどぬけて、少し甘味のある“す”に変身していた。
酵母が生きているといろいろと変わるのだ。中身は何ともない。
飲むのではなく、ペットを飼っているか実験をしている感じで楽しんでいるのである。
早く“エンペェ”が、悪者のレッテルをはがされ、伝統的な食文化の一つとして特区ではなく一般的に認められる日がくることを願っている。
気温は低いが風がないから、陽だまりはぽかぽか。
だが、国政には相変わらず寒風が吹き荒れ、隠蔽体質も一向に改善されない。
ここ宮城では、昨年から梅原仙台市長のタクシーや公用車の不正使用が騒がれている。
マスコミからも追求され、その対応が流されてくるが、
「筋トレジムに通うのも視察のための公用である」などと、まるで悪がきのような態度だ。
今年に入って、土井石巻市長も大量のタクシー券の私的利用が追求され、認めた。
梅原市長は、まだ突っ張っている。 いやはや、どんな感覚の持ち主たちか?
さて、こちらの“隠蔽”は同じ“いんぺい”でも庶民の知恵。
昨年、ある退職者グループが年に一度出している薄い連絡誌に、全国級のものが投稿されていた。
紹介しよう。
『 「萱葺き屋根の囲炉裏端」 (O.R子さん)
濁酒(どぶろく)をにごり酒などと上品には言わない。エンペェ、密造ゆえに「隠蔽」が訛ったものか。
戦後しばらく村に偵察が来た。税務署員らしき男たちが通ると、すぐさま村中一斉に伝令が飛ぶ。
連絡網は、村に唯一ある学校の電話。
子ども等は、家へへと近くは走る、自転車を飛ばす。電話のないは軒下に吊るした鳴り木(大きな板)をたたく。
それに気づくと床下に樽を隠す、裏山の穴へ、寺の位牌堂へと、こういう時こそ村人は結束するのである。
長い冬を男たちは、薪をくべつつ囲炉裏端に茶碗を並べ、白い一升瓶を回す。女たちは筵を編む。
太い梁からつるした自在鉤の途中に組んだ井桁の囲い木に、藁沓やかんじぎを干すのであった。
雪は積もり、ふぶき乱れ化ける。
家畜はすべて家族と一つ屋根の下で春を待つ。萱葺きは温(ぬく)いが、火を落とすと隙間風は一本の細い吹き溜まり作りの芸を疲労する。
だが、茅不足と職人の激減で、在りし日の生活を支えた夫の実家の萱葺き屋根は、二年前に取り壊した。 』
なんとほほえましい「いんぺい」ぞ。
授業中でも伝令に走らせる先生たちや子どもたちの様子が目に浮かんでくるようだ。
学校もお寺も、の人たちが一つになって生きている。
大変な時代だったろうが、温い心がを覆っていたのだろう。
さて、昨年3月の同窓会用に仕込んだ小生の「エンペェ」。
この戦後と同じことが、昨年夏の終わり頃だったか?に起きた。
税務署員男性2人が突然やってきた。
「どぶろくを作ったか」と訊くので「うん」と答えると、
「許可なく作るのは違反です」と言うので
「日本中たくさんの所で作っているよ。農文教は“どぶろくの造り方”を出版し、裁判もやってくれているよ」と、少しやり取りをする。
「ええ、それをブログに書かれると困るのです」と。
それで「分かった。ブログに書いたり、おおっぴらにしなければいいんだね」と言うと、
言いにくそうにして帰っていった。
終始おだやかに応対していたが、何でも訪問したのは、3度目くらいだったようだ。
こんなことで大の大人二人に3度も足を運ばせたとは。なんとも言いがたし。
これまた今の世のほほえましさか・・・
ところで、去年の“エンペェ”は、去年の夏には、表面は白いカビに覆われ、咳き込むほどに酸っぱかったのだが、今はアルコール分はほとんどぬけて、少し甘味のある“す”に変身していた。
酵母が生きているといろいろと変わるのだ。中身は何ともない。
飲むのではなく、ペットを飼っているか実験をしている感じで楽しんでいるのである。
早く“エンペェ”が、悪者のレッテルをはがされ、伝統的な食文化の一つとして特区ではなく一般的に認められる日がくることを願っている。