我が家のヤエベニシダレザクラ(エドヒガンの園芸種)が満開になった。
昔、京都御所より塩釜市の塩竈神社に下賜され、1895年に当時の仙台市長遠藤庸治氏が平安神宮に献上したものといわれる。(日本の樹木:山と渓谷社より)
少し遅れて咲き出したヤマザクラも今朝満開に。
例年になくきれいに咲いた。
近づいてみると、
ミツバチがたくさんやってきている。(中央やや上)
どこかで飼っているのだろう。最近にないことだ。
ヤマザクラの花は、ソメイヨシノより飽きがこない感じがする。
「ぼちぼち村」のある不忘(ふぼう)地区の開拓者“A”じいちゃんが亡くなった。
享年81才<emoji code="a005" />
昨夜、通夜だった。
“A”じいちゃんは、満蒙開拓から引き上げてきて、昭和23年に不忘開拓として入植し、たくさんの苦難を乗り越えてきた。
それにしても、晩年は辛かった<emoji code="a005" />
細々と酪農をやっていたのだったが、奥さんが病気で亡くなり、その半月後に跡取りの息子さんが喘息で亡くなった。
それから残された嫁さんと孫2人との生活が続くかと思われたが、3年ほどたって嫁と孫はじいちゃんを残して町場に下り、一人暮らしとなった。
それでも、みんなとゲートボールなどして元気に過ごしていたが、また不幸が襲った。
ある日、仲間とゲートボールの試合に出かけた。
ところが仏壇にあげたろうそくか線香が倒れたのか、火事になってしまった。
思い出のつまった家は、あっという間に燃えてしまった。
知らせを受けて帰ったじいちゃんは、道路の縁石に一人座ってぼんやりしていた。
『じいちゃん、何とかなるからね』と声をかけると『おら、どうしたらいいかわかんなくなってしまった・・』とうつむいてしまった。その時の後ろ姿浮かんでくる。
それから持病の喘息がひどくなり、入退院を繰り返すようになった。
こうして、今日に至ったのだ。
通夜の式が終わって集まってきた孫たちの中に、“A”じいちゃんと小学校(不忘分校)を卒業するまでいっしょに生活をしていた“ユウ君”もいた。
彼は、自分の気持ちをしゃべることがあまりない。だから、誤解も受けやすい。
ほかの孫たちはへらへらと話しかけてきたが、にこにこと黙って立っていた。
見ると、口元はべそをかきそうだ。あとほんの一言で、表情の少ない顔が崩れそうだ。
おい、ユウ君。涙がこぼれるぞ・・・<emoji code="a005" />
でもいいんだ。じいちゃんとのお別れだ。
遠慮することはない。思いきり泣いていいんだよ。
泣けないなんて辛すぎるぞ。
おれは雨の中へ逃げた・・・