もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

ヒヤリ!

2011-12-30 22:10:13 | Weblog
  昨日から今日にかけて餅つき。(機械づき)
 一臼目はうまくいったが二臼目から調子が悪くなる。
 
 餅が下の水だめに落ちるのだ。
 それで時間がかかり今日までになったのだ。
 その時間のロスが、焦りを誘い危うい事故つながったのだ。
 
 というのは、妻とタカ(今日から正月休み)と3人で“からしれんこん”を「ぼちぼち村」周辺のお世話になったところに配達しての帰り、車がスリップして逆ハンドルをきってガードレールで止まったのだ。
 
 車の向きは進行方向と逆向きになっていた。
 降りてみると、路面はつるつる。
 妻を4時までに病院に戻すため気が急いていたのだろう。
 
 ひとつ間違ったらとんでもない事故になっていた。<emoji code="a009" />
 左後部に擦り傷とへこみ少々で、3人とも体には異常なしですんだ。
 ガードレールの前にある雪かきの雪の山がクッションになっていたため軽傷ですんだのだ。

 でも車は前輪駆動の2躯のため脱出できず。弘さんにケイタイでヘルプ。
 彼が到着する前に通りかかったガスやさんがスコップで雪をかき泥をまいて脱出。
 そこへトラクターで弘さんがやってきてくれた。また迷惑をかけてしまった。
 
 タカは笑っていたが、妻からは「助かったね」と慰められた。
 なさけない<emoji code="a004" /> 今年は車の事故に始まり車でヒヤリで終わる。
 もう反省である。

 病院には1時間半遅れの5時半となった。(4時に連絡を入れておいた)

正月準備に欠かせぬ妻

2011-12-29 22:16:28 | Weblog
  例年の15%に過ぎないが“からしれんこん”作った。
 これまで仕上げはほとんど妻がやってきので小生は自信がない。

 そこで妻を病院から引っ張り出して指導してもらった。
 最初はこつがつかめずこげてしまった。
 油の温度が高すぎたのだ。

 明日は餅つきを予定している。

妻の闘病記 131

2011-12-28 22:48:34 | Weblog
  妻の交通事故の事情聴取が、入院している病院で行われた。
 事故から10ヶ月以上経った今頃になったのは、妻の状態によるもの。
 
 事故当時のことについて訊かれたが、事故の瞬間から意識不明になっているので何も答えられない。
 ただ、「目の前が暗くなって分からなくなった」とこれまで聞いたことのないことを言ったのが心に残った。

 警察官はこれ以上は聞き出せないと思ったのか「これで終わりとする」と2尾分くらいで引き上げていった。

 終わってから「何も怖いことなかったでしょ」だって。

浜の畑がたいへんだ!

2011-12-27 11:26:46 | Weblog
  今朝、大河原土木事務所から電話。
 昨日、浜の畑の問題で要望したことへの返事。

 一週間前、ボランティアの帰りに浜の畑に寄ったら・・・<emoji code="a006" />
 背丈ほどの枯れ草がぼうぼうだったのに、畑一面ぺしゃんこ!
 大きなキャタピラの跡が縦横に走り、隣の畑に瓦礫が積まれていた。

 ああ、やっと生き延びた「カキ・フヨウ・ブルーベリー・ヤブツバキ・シキミ」など影も形も見当たらない。
 1・2年後、緑地化や公園化?するとき塩分に強い植物選定に役立つと思っていたのに!

 春に山元町役場と土木事務所から橋の架け替え工事の資材などを置かせてほしいと言ってきたので二つ返事で了承していたのだったが、所かまわず歩かれるとは<emoji code="a004" />

 そこで、「新しい作業をするときには連絡をするように」要望しようと役場に連絡をすると管轄は仙台土木事務所と言う。
 電話をすると、うちではなく大河原土木事務所だと言う。

 そこは近いので連休明けの昨日行ってきた。
 どこが窓口だかわからず、廊下で会った職員に話したら彼が調べることになった。
 業者名が分かればとか二次処理は管轄が違うとか・・・二時間近くかかって不明。

 その時点では、お役所のたらい回しという感じ。
 土木事務所の職員2人が我が家まで訪問しているのに・・・?
 分からないと言うことが分からない。何時間もかけることではないと思うのだが。

 組織が複雑なんだろうけど、今日までかかって調べてくたるのはありがたい。
 けど、この人の本務は何なのだろう?と考えてしまう。
 

 
 
 

妻の闘病記 130

2011-12-26 11:07:10 | Weblog
  ここ数日、毎晩うっすらと雪が積もる。
 日が昇るころには青空が広がり、昼を過ぎるころには解ける。
 気温は上がらないけれど、日が差せばやっぱり暖かい。

 昨日は妻の外出許可をもらって、タカと3人でクリスマスパーティをやった。
 メインは妻の希望で「ちらし寿司」を作った。
 初めて作るので材料は簡単にできる「散らし寿司の素」。

 レシピ通りにやればいいのだが、一応脇で妻指導。
 錦糸卵がないというので、これは大急ぎで手作り。
 飯は炊いておいたので混ぜるだけ。

 妻はうまい、うまい食べたが、タカはトッピングだけつまんでほとんど食べず。<emoji code="a004" /> セット物の酢がきつかったのか?・・・
 
 すし屋のすしは食べるのだが、我が家ではこれまでも食べないことがあった。
 彼は匂いには敏感で、大きな要素になるようだ。
 
 小生にとっては、あまりうまいものではなかった。
 具材の中のレンコンが気になった。
 またこの“素”を使うことはないだろう。次は手作りだ!

熊本名物がいっちょ(ひとつ)きゆってたい(消えるそうだよ)

2011-12-25 22:06:10 | Weblog
  今日の「くまにちコム」(熊本日日新聞の電子版によると、熊本市の名物饅頭がなくなるという<emoji code="a006" />

 江戸時代から続く味、閉店へ 熊本市の慶徳饅頭 2011年12月25日


来年1月下旬で150年以上の歴史に幕を下ろす老舗甘酒まんじゅう店「本家慶徳饅頭」の吉永美知子さん(左)と弟の徳一さん

 熊本市慶徳堀町で150年以上続く甘酒まんじゅうの老舗「本家慶徳饅頭[けいとくまんじゅう]」が来年1月下旬、のれんを下ろす。鶴屋百貨店(同市)内の店舗は今月31日で営業を終了。弟と昔ながらの手作りの味を提供してきた吉永美知子さん(76)は「後継ぎもおらんし、自然の流れタイ」と言うが、なじみ客からは惜しむ声が尽きない。

 創業は江戸末期。「当時、市中心部で甘いものを売る店と言えば、朝鮮飴[あめ]が園田屋さんともう一軒。あとはうちぐらい。細川家にも御紋入りのお重で納めよった。祖母や母から聞いた話タイ」と美知子さん。

 1945年7月の熊本大空襲。10歳だった美知子さんは花岡山から見た光景をはっきり覚えている。「見渡す限りの焼け野原で、うちの店も赤いレンガの煙突しか残らんかった」。戦後は砂糖が手に入らず、両親はバラックを建て、まんじゅうの代わりにたばこやげたを売った。

 戦後6年経ってようやく現在の店舗兼住宅を建て、まんじゅう作りを再開した。その2年後に「6・26水害」が発生。被害も受けたが、店は繁盛した。

 「当時、長六橋につながっていた店の前の道を、多くの人や車が通った。家の修繕をする大工さんへの差し入れも多く、まんじゅうは作るだけ売れた」

 鶴屋には73年に出店。母は誘いを拒んだが、美知子さんが「私がする」と申し出た。本店は79年、母の骨折を機に弟の徳一さん(63)が6代目として継いだ。隣には明治初期創業の「元祖慶徳堀饅頭」があり、「本家と元祖の対決」と喧伝[けんでん]された時期もあった。

 ただ、92年の長六橋の架け替えに伴う一帯の道路整備により、店の前は「裏通り」に。通行する車、人が減り、売り上げも落ちた。よきライバル「元祖」も02年に廃業した。

 美知子さんと徳一さんが作る「慶徳饅頭」は、米こうじともち米でつくった甘酒で小麦粉をこね、砂糖だけで練り上げたこしあんを包み、発酵させて蒸す。素朴な甘酒の香りと味が常連客を引きつけてきた。

 「寂しくなりますね」と閉店を知った客から声が掛かるようになった。「まんじゅう屋のあったなぁ、うまかったなぁ、と時々思い出してもらうなら、それでよか」。まんじゅうを蒸す白い湯気の向こうで、美知子さんが笑った。(田川里美)
                      (熊本日日新聞「くまにちコム」より)   
 この饅頭屋は熊本市電“慶徳校前”?電停の前に並んでいた。
 子どものころ、熊本の土産にいただくととてもうれしかったことを思い出す。
 
 江戸の時代から続く甘酒饅頭というのがなんとも残念である。
   


妻の闘病記 129

2011-12-24 20:41:50 | Weblog
  朝からすばらしい冬晴れ。

 タカと二人のクリスマスイヴ。
 巷はクリスマスだと景気を盛り上げようとしているが、我が家は関係なし。
 
 と思って妻の面会に行ったら。
 「タカがいるのに何もしないの?ケーキ買って散らし寿司ぐらい作ったら・・・」
 だって<emoji code="a004" /> 

 「昔みたいにケーキは大量に売っていないよ。散らし寿司なんて作ったことないし・・・」と言うと、
 「わたし作ってやるから」だって。
 口(意識)はずいぶん達者になってきたようだが、体はついてこないのだ。

 タカに訊くと、両の人差し指で丸を描いてケーキを要望。
 しかたがないケーキはショートケーキにし、散らし寿司のもとを探して作ることになった。
 
 今日はできないので、明日外出許可をとって我が家で3人で盛大に行うことにした。
 これもリハビリの一つになるだろう。

オーストラリアからのメール

2011-12-23 21:27:41 | Weblog
  昨日オーストリアで小学校の教師をしているM子さんにメールで被災地の様子を知らせた。

 今日M子さんから返事が届いていた。
 向こうはもう2ヶ月の夏休みに入っているのだそうだ。
 
 彼女の周りでは、原発事故についての日本政府の態度は信用されていないとのこと。
 それから29日から1月4日まで単身で実家に帰ってくるという。
 会えるかもしれない。

 今日はたかが帰省している。
 これからお風呂だ。
 





妻の闘病記 129

2011-12-22 18:06:51 | Weblog
  <妻の外泊>
 我が家の風呂場は広いので寒い。
 それで毎回、入りたいか確認をするのだが「入る」と言う。
 できたらパスしてもらいたいのだが・・・ 

 でも、昨日は順調にいった。
 いつも入浴が大変なのだが、ずいぶん楽に入れられるようになった。
 寒さも雪降りでやわらいで助かった。

 ところが、
 起きるとすぐ“おしっこ”。
 さぁ大変だ!腕をつかんで立ち上がらせ、2メートル先のポータブルトイレへ。

 ところが間に合わなかった。
 途中からポト ボト・・・どさっ!と座ろうとしてひっくり返ったのだ。
 このポータブルトイレは(通販で購入)軽くて不安定ではあるのだが・・・

 抱き起こして座らせた。
 怪我はなかったが大便ももれていた。
 昨夜の薬で“カマ”(便秘薬)を迷いながら飲ませたが、その薬効だろう。

 シーツや着衣も汚れたので選択へ。
 “うんこ”騒動はお昼前にも。
 “うんこ”の状態は良好。こびりつくのでバケツの掃除も大変。

 こうして午前中はてんてこまいで終わる。
 出ないより出たほうがいいのだが、コントロールが難しい。

 本人が一番つらいのだろうと思いながらも、つい愚痴が出てしまう。
 国の施策は当事者に薄い!<emoji code="a003" />

 

妻の闘病記 128

2011-12-21 21:10:19 | Weblog
 15時ころから降り出した雨は、暗くなるころには雪になり積もりだした。
 
 今日は妻外泊。
 子どものように喜んで病院を出る。
 
 今夜のおかずはちゃんこ鍋。
 初めての挑戦に、妻何度も除きにくる。
 
 出来合いのスープなので味は平均的。
 途中、ごぼうを買いに走ったりしたが、「うまい うまい」と食ってくれる。

 食べ方もうまくなってきたものだ。<emoji code="a004" />