もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

健康診断

2011-09-29 22:38:27 | Weblog
  午前中に町の「健康診断」を受けに行った。
 明日が最終日なのでさぞかし込んでいるかと思ったらガラガラ。
 待つこともなくすいすい・・・

 でも、そうは問屋ガおろさない。
 「腹位測定です」だって!
 「意味がないので拒否する」と言うと、
 「私もそう思います」と予防医学研究所の職員。

 脇から「自己申告で去年より増えた?減った?同じ?」と3択でやってきた。
 「すみません、これ書かないと検査してもらえないんですよ。お願いします」だって。
 仕方がない「1センチ減だな」で終りとなった。<emoji code="a002" />



妻の闘病記 104

2011-09-28 23:05:33 | Weblog
 ゆうべは疲れてPCを開く気になれず着どころ寝(この辺の方言普ー段着のままごろ寝すること)。2泊3日は本人も疲れたが、小生も疲れた。

 おとといの続き。
 
<ゼネラルマネージャーと話す>
 院長ではなく、ゼネラルマネージャーがやってきた。
 
 訳の分からないのに院長を出すわけには行かないのか、と思いながら前述したことを話す。
 彼は病院サイドの人物だから、医者の立場をかばおうとするかと思ったら、小生の言うことをほぼ認めた上に、
 「彼らは学生時代90点以上を取っている人たちで、人の心が分からないのですよ。言葉の使い方も分からないのですよ。」と。

 2つの病院の脳外科医は暗いよ。挨拶をしてもまともに返すことは無い。ちょっと笑顔を作って声をかけるとどんなに力づけられることか・・・これも治療の一つになると思う。更に理念には立派なことが並べられている・・・と言うと、
 「まったくお恥ずかしいしだいです」とあっさり認めたが、改善策はでなかった。
 
 これらのことを今入院している病院の相談室で話をすると、これらの批判を認めて。

 こういう病院ばかりではないと思うが、患者のための病院にしていかねばならないと思う!

妻の闘病記 103

2011-09-26 19:52:10 | Weblog
  昨日のこと、一昨日のことは後日書きます。

 <なんだ?この医者!?<emoji code="a003" />
 妻の腰痛の診察に、朝から出かけた。
 
 なんとか傷みを和らげてもらいたいと出かけたのは、隣町の岩沼市にある「総合T病院」の整形外科。
 受付から1時間経って腰部レントゲンを撮り、更に1時間ほど待って診察。
 若い医者だ。

 どんな診察をするかと思ったら、紹介状を読みながら、
 「交通事故で半年。頭部をやられている。それに(生まれつきと言う)統合失調症・・・
写真を診ると脊椎に骨折やずれは無いが、骨が薄くなっていてどうしようもないね。こんな骨じゃ回復することは無い・・・」とだめさ加減を羅列。

 どうしたらいいの?と訊くと
 「先ず、精神から直さすしかないけど無理だね。それから運動不足だから運動すること・・・」患者の状況を聞いたり、触診をしたりということは全く無い。
 だんだん頭にき痛いから歩くのも大変になっているのだよと言うと、
 「いたいのは我慢して運動しなきゃ今の状態も維持できなくなって寝たきりになる。そんな人いっぱいいるんだから。中には20代の人もいる・・・」と羅列。
 
 訳けが分からなくなってきたので、とにかく傷みを何とかしてほしいんだと頼んだら、
 「この薄くて弱い骨は、5年後には必ず骨折するから・・・。鎮痛剤が出されていないなら出しとくから・・・と。」

 なんだこりゃ!?だ<emoji code="a003" />
 看護師が「ほかにありませんか」と声をかけてくれたが「ないよ」と言って席を立った。

 会計を待つ間に、案内書に行って「院長に会いたい」と頼みに行った。

 この続きは明日にします。
 昼飯が遅くなったので、これから遅い晩飯。その後風呂に入れねばならないのです。
 
 
 
 

生健会の全国交流集会に参加して

2011-09-24 22:40:39 | Weblog
  昨日から今日にかけ東京浅草で「全国生活と健康を守る会の事務局長交流会」が開かれた。
 台風15号の大雨で陸の孤島となって外部に出られないでいたが、機能の早朝やっと軽トラで脱出できる所まで水が引いた。

 しかし、在来線が普通だという連絡。
 それで、仙台までい行き新幹線で東今日をめ座した。r

野分さって

2011-09-22 12:13:30 | Weblog
  昨夜、台風15号は南から東へ回りながら我が家を震わせ、駆け抜けていった。
 10時頃から停電。
 風呂に入らず寝る。

 夜中パソコンが踊りだしていた。午前2時半。
 電気が通ったのだ。外は静か。
 電源を切りベランダに出ると、雲間から半月と星が光っていた。
 
 朝、水に囲まれていた。
 DSCN6730.jpg
 大きな五間掘りの水はなんとかもったが、左のポンプ小屋のある堀はあふれ、実りの稲は完全に水没。
 
 我が家は、予想通り陸の孤島になった。
 DSCN6729.jpg
 お隣も
 DSCN6732.jpg
 裏も完水。完全に陸の孤島。
 DSCN6719.jpg
 外出禁止!<emoji code="a004" />
 水は少しずつ流れてはいる。
 DSCN6733.jpg
 ミンミンのメスが流れていった。
 
 困ったな、妻の病院に行けず。<emoji code="a004" />
 腰の治療についてはなしをせねばならないのに。
 通行できるのは明日中になりそうだ。

 その上、明日から2日間、生健会の交流会で東京に行かねばならない。
 どれも水の引き加減にかかっている。
 

台風15号接近!

2011-09-21 17:23:03 | Weblog
  降り続く雨は3日目。
 我が家の前の五間掘りでは、朝一から消防団による土のう積みが行われた。 
 DSCN6703.jpg
 土のうを数台の軽トラで運んでは積んでいた。
 ここが終わるや直ぐに次の場所に移動して行った。
 一部では音をたてて流れ出していた。

 小さい堀は完全にあふれ、実った稲穂が浸かっていた。
 DSCN6692.jpg
 ここまで順調に育って、今度の3連休に刈りとりを予定していた所も多かったろうに・・・
 作業も大変になるし、品質も落ちる。
 残念だろうなぁ~~

 近くではコサギの群れが、
 DSCN6705.jpg
 早朝から夕暮れまで水に浸かった刈田で、雨に濡れながらじっとえさを待っている。
 DSCN6693.jpg
 すごい集中力だ。と思うのは人間の勝手だな。

 台風が通過するのはこれからだ。
 夕方になって、風が騒ぎ出した。
 時折り消防車が見張りにやってくる。

 今日、妻の見舞いはお休み。
 

妻の闘病記 102

2011-09-20 21:41:16 | Weblog
  台風の影響で朝から冷たい雨。
 堀の水が増えて冠水の心配があるので早目に病院に行く。


 <また突然の入れ替わり>
 病棟に行く前にケースワーカーにS病院での報告をしによる。
 彼は、「連絡を待つしかないですね」という考えだった。

 病室に入ると、あれっ?妻のベッドの前のEさんがいない。別の人が入っている。
 山形から来た人で、折り紙でいろんな物を作ってプレゼントしていた人。
 そしてケイタイの使い方が分からなくなった妻にかけ方を教えてくれていた人だった。
 妻に訊いても、どうして代わったのか分からないという。

 やっとコミニュケーションガ取れるようになったのに、よくなって退院されるのなら喜びもできるのに・・・<emoji code="a004" />
 
 <今度は妻の番>
 「今日は近いところまでね」といつものように散歩に出かけた。
 昨日は玄関までいけなかったので無理しないでと言ったが歩き出した。
 エレベーターで1階へ。

 下りて直ぐ右折。10m歩いて右折。
 ところが方角を確認していて、いす、イスと言いながらしゃがみこむ。
 腰が痛いと言う。もう限界だ<emoji code="a004" />

 通りすがりの医師?が声をかけてくれるが、大丈夫だと立ち上がる。
 こんなことは初めてだ。よほど痛かったのだろう。
 直ぐ病室に戻る。

 病院は食べ過ぎによる下腹部の太りすぎが要因の一つ。湿布薬を貼って様子を診ると言う。
 しかし、だんだん悪化しているように思える。
 これでは歩けなくなってしまう。

 そんなことを考えていると、看護師長が「ちょっと~」と呼びにくる。
 こんな時にいい話はない。
 「この前のS病院の話はどうでした?」と
 ・「院長は風邪をひいて欠勤で、結論はきけませんでした」
 「自宅退院をしてもらわないと・・・」
 ・「今の状態では無理ですよ。腰痛は悪化しているし」
 「腰痛はここでは治療できないですよ。もうここで治療できることは無いんです。次の患者がまっているし・・・」と。
  ・「(病室を回ると、あっちこっち空いているじゃないの)」と言いたいのを飲み込む。
 「あした先生から話してもらいます」

 あと10日あまりで3ヶ月。
 病院は焦ってきているのだろう。患者より経営の方が大事なのだ。
 こんな病院はさっさとでていきたいが、行きたい病院が見つからないのだ<emoji code="a003" />
 国民は護られねばならない。権力に押しつぶされてはならないのだ!
 

“炊き出しと何でも相談会”

2011-09-19 12:50:32 | Weblog
  今朝は霧雨。昨日の気温より10℃くらい低い予報。
 あの暑さは何だったのか?と言いたくなるようだ。

 <17日の炊き出しと何でも相談会>
 主催は、宮城災対連・東日本大震災共同支援センター・宮城農民連・全農協労連・宮城民医連・新建築家技術者集団・生活と健康を守る会。

 妻を病院にもどし、10時半前に仮設住宅に着く。
 
 もうテント張りが始まっていた。生健会の仲間も4・5名駆けつけていた。
 神奈川からは貸し切りバス2台での応援部隊も。

 場所を確認し軽トラを横付け。カボチャの袋を下ろす。
 物資は買い物袋に詰めるという。
 400個のカボチャを詰めるには手が足りない。
 出番に間があるボランティアに手伝ってもらって、11時オープンに間に合わせる。
 DSCN6654.jpg
 右側がカボチャコーナー。
 見回すと長い列!
 DSCN6658.jpg
 カボチャは3種類。でかいの白いの(伯爵)にぼっちゃんかびちゃ。
 DSCN6663.jpg
 食料類は農民連関係からが大半。我がカボチャだけは宮城生健会有志から。大繁盛!
 差し入れ先は鹿児島県「さつまいも」、大分県「かぼす」、熊本県「米」ほか「梨」・「ごぼう」・「大根」・・・
 DSCN6664.jpg
 大きなカボチャをもらったばあちゃん。うれしいなぁ!
 荷物がいっぱいになって大変になったお年寄りにはボランティアが配達を手伝った。
 カボチャも好評で、途中で足りなくなってしまった。

 その他の物資は食器、衣類、ティッシュペーパーなどの雑貨もあった。

 集会所では「生活相談」、「健康相談」、「建物相談」などが平行して行われた。
 また、生健会はメンバーが仮設の全戸に生健会のチラシを配布した。

 11時半、山形は庄内の「いも煮」800食が出来上がり!
 DSCN6676.jpg
 「庄内いも煮」は「山型いも煮」とは違って豚肉と味噌を使い、こんにゃくとごぼうのほか厚揚げの角切りがと入っていたのが大きな特徴。もちろんサトイモは庄内産。
 とてもいい味だった。2杯いただき!<emoji code="a001" />
 それでも食べ切れなかったものは、家庭の鍋でもらっていってもらっていた<emoji code="a002" />
 DSCN6673.jpg 
 テントの中で食べる人。
 DSCN6666.jpg
 家に持ち帰る子どもも。

 暑い日差しの中だったが、有意義な“炊き出し”ができたと思う。
 
 片付けが終わって、横浜と庄内の人たちの希望で亘理から山元町にかけての被災地視察の案内をSさんとする。駆け足だったが県内でもひどい所を見てもらえたと思う。
 
 今回の主催は災対連 
 カボチャを提供してくれた川崎町のKさんには、その日の夜大盛況だったと報告をした。