もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

妻の闘病記 90

2011-08-31 11:33:33 | Weblog
  <初めてのラブコール!>
 今朝、電話あり。
 Kさんかと思ったら、?・・・つま。

 きのう、小銭入れに10円玉を10枚と100円玉を入れて渡した。
 そして、食堂の公衆電話から誰もいない我が家に電話をかける練習をしたのだが、0224・・・と言ってやらないと思い出せないでいた。
 
 だから期待はしていなかったのだが、それが刺激になったのか「もしもし、わたし・・・」
とつながったのだ。
 傷だらけの脳みそが、今と少しずつ対応を始めだしているのだ。

 <でも?・・・>
 日記帳に亡くなった彼女の父親の名前と実家の住所が書いてあった。
 彼女の字だが「書いたの?」と訊くと「ちがう、だれだか書いていったの」と答える。
 「お父さんあの世から心配してきてくれたんだよ」と言うと、笑い出した。

 でも、これでいいんだろう。
 今日も昼から面会に行く。 
 

夏のおわりに

2011-08-30 12:08:33 | Weblog
 今日もいい天気だ。
 ミンミンゼミの声はだいぶ少なくなったが、力強く鳴いている。
 合間を縫ってアブラゼミも鳴いている。

 我が家の庭では一週間ほど前からセミの死骸が目につく。
 DSCN6555.jpg
 アブラとミンミン。ほとんどがメス。
 羽がもげたものも目立つ。
 
 久しぶりに九二一っつあんの工房に行った。
 彼は相変わらず元気で、窯詰めをしていた。
 工房の少し下からの展望は一級品だ。
 DSCN6550.jpg
 そば畑の向こうに阿武隈川が光っていた。

 おとといの江払い(堀の草刈り)の草はからからに乾いた。
 DSCN6552.jpg 
 気持ちのいい風が吹き抜けている。
 

古里の八朔行事ー“不知火”(しらぬい)

2011-08-29 22:46:06 | Weblog
 

 小生の古里では旧暦の八朔(8月29日)の夜は“不知火”現象で賑わう。
 子どものころ、毎年ひいじいさんの家のベランダから眺めていたものだ。

 

                               熊本日日新聞:くまにちコムより
<神秘の火・不知火が出現 宇城市で恒例の観望 2011年08月29日>

 旧暦の八朔[はっさく]に当たる29日未明、宇城市不知火町の八代海沿岸で恒例の不知火観望があった。見物場所の永尾神社境内と天の平農村広場では、多くの人が海上に現れた神秘の火に見入った。

 不知火は八代海特有の地形や気象に伴う光の屈折現象。いさり火や集落などの明かりが明滅、分火するなど変化して見えるとされる。

 永尾神社境内では午前0時半ごろ、河野暁子宮司(67)が不知火の出現を告げた。見物客は上天草市龍ケ岳町方面の海上に目を凝らし、明滅する光を確認。約50年ぶりに見たという上天草市大矢野町の倉本淳治さん(67)は「一昨年に見逃して、3年がかりで見ることができた」と喜んでいた。(吉田紳一)

 <
古代の故事を再現 宇城市で海の火まつり  2011年08月28日>

 宇城市不知火町の八代海沿岸で28日、「不知火“海の火まつり”2011」があった。旧暦の八朔[はっさく]に合わせて毎年開かれており、古代の故事を再現した催しが訪れた人を魅了した。

 千数百年前、九州巡幸中の景行天皇が不思議な火に導かれ、無事に海岸にたどり着いたという伝説に基づく。

 景行天皇に扮[ふん]した篠崎鐵男市長らを乗せた巡幸船が永尾神社の海中鳥居に姿を見せると、海岸の3カ所から矢が放たれ、海上のかがり火が点火。古代装束姿の約60人が巡幸船を出迎え、たいまつを手に祭り会場の松合新港まで約1・1キロを練り歩いた。

 総おどりや海上打ち上げ花火もあり、大勢の人でにぎわった。東日本大震災の被災地へ送る義援金も募った。(吉田紳一)
 


 ※ 永尾(えいのう)神社は魚のエイを祀った珍しい神社。
  神社の裏は浜になっていて、昔はアサリがたくさん獲れた。


地区の共同作業にも高齢化の波

2011-08-28 21:44:02 | Weblog
  <地区の共同作業にも高齢化の波>
 今朝は5時半から二つの堀の草刈り。
 今年3回目。(これまでは2回)

 最近はご多分に漏れず高齢者が8割を超える。
 そんな中でこのきつい作業を続けられるか話題になった。
 
 一番若い人で49歳。(今回の震災で引っ越してきた人)
 みんなが気になりだしたのだ。

 なのに、この声を行政に届けるとなると二の足を踏んでしまうのだ。
 
 
 


妻の闘病記 89

2011-08-27 23:11:00 | Weblog
 

 <外泊2日目>
 早朝から朝飯の心配。

 「塩鮭を焼いたらご飯と味噌汁はチンするだけ。」と言うと、朝食の準備は何とかできた。
 
 朝食の後は昼過ぎまでお昼寝。

 昼食はそば汁。

 食べ終わると施設と病院に戻る準備。

 3時に出発。

 4時にはタカを、5時には妻を送り届けた。

 やっぱり大忙しだった。

 

 


妻の闘病記 88

2011-08-26 21:38:55 | Weblog
  <妻とタカの一時帰省>
 妻とタカは今日と明日我が家で過ごす。

 先ほど(8時過ぎ)やっと夕飯の片付けが終わったところ。
 そこへ妹と次女から電話。
 二人ともタカのお気に入りなのでタカと長話になった。
 
 これからお風呂だ。
 

妻の闘病記 87

2011-08-25 22:27:02 | Weblog
 <陶芸家JFさんのこと>(先日書いたかもしれないが・・・)
 先日、妻が「JFさんどうしている?」と突然言い出した。
 JFさんんはポルトガルの人。
 小生も今年に入って会っていない。

 気になっていたので、電話を入れる。
 奥さんが出る。
 
 事故による入院を伝えると、ビックリ!
 
 益子では8割の窯が壊れたそうな!びっくり!

 

 

妻の闘病記 87

2011-08-24 21:29:24 | Weblog
  <待っていたよ!>
 背中をポンとたたくと、少し驚いて「待っていたよ!」とにこにこ。
 幼児のようだ。

 声の大きさ、言葉のもつれに変わりなし。
 散歩に出たら自分から階段を下る。
 しかしスピードコントロールがうまくできない。調子はよくなさそうだった。
 
 変わりのないことを良しとしよう。
 

故郷の夏祭り

2011-08-24 11:04:41 | Weblog
  しばらくぶりに夏がかえってきた。
 薄日が差してセミの声も響きだした。

 故郷熊本の夏の祭りにつきものは、中心街での「造り物」大会。
 「造り物」の題材は、昔話などの古典的なもののほか今話題になっていることも多い。
 材料は茶碗や皿などの生活雑器を中心に木や竹などの自然物が使われる。

 熊本の地元紙「熊本日日新聞」に載っていたので紹介します。

 「お地蔵さん横丁」お目見え 宇土市で地蔵まつり 2011年08月23日
最優秀賞に輝いた城之浦1区の「はばたけ日本」=23日夜、宇土市(石本智)

 宇土市の本町通りなどで23日、「うと地蔵まつり」が始まり、呼び物の大掛かりな「造り物」や新設された「お地蔵さん横丁」などに大勢の人が詰め掛けた。24日まで。

 まつりは1646(正保3)年、宇土藩主細川行孝が子どもの疫病を鎮めるために地蔵尊を祭ったのが始まりとされる。

 通りには、地区ごとに住民や商店主らが制作した造り物30基と、学童クラブなどによる5基が並んだ。審査もあり、最優秀賞にはワシとツルが羽ばたいている姿で東日本大震災からの復興の願いを表現した「はばたけ日本」(城之浦1区制作)が選ばれた。

 江戸時代の風情が漂う船場川沿いでは、市内で作られた地蔵と竹灯[あか]りを並べる「お地蔵さん横丁」が新設され、来場客は幽玄な空間を楽しんだ。

 3千発の花火大会は24日に延期となった。同日は民踊パレードなどもある。(後藤幸樹)

 子どものころ、宇土(うと)市は隣町だった。
 ここの“地蔵祭り”は夏休み最後の大きな祭りだった。
 夏休みも終わりに近いため、角々でたたく子どもたちの鐘の音が寂しく聴こえたことを思い出す。
 
 

妻の闘病記 86

2011-08-23 11:10:09 | Weblog
 

 気温少し上がり、ミンミン弱々しく鳴く。

 <銀行の暗証番号思い出す!>
 受傷後、妻宛の請求書が届いたことがあった。
 そのとき、妻のカードから引き落とそうと暗証番号を訊いたが分からなかった。
 それは立て替えて払っておいたが、その後も思い出すことはなかった。

 しばらく忘れていたが先日思い出して訊くと、それらしい番号を答えたが外れていた。
そしたら昨日、番号はこれだと言い出した。
 いっしょに確かめると、試しの金額を引き出すことができた。

 思い出したのだ!
 脳も少しずつ回復しているのだろう?<emoji code="a009" />