ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

去年マリエンバートで。

2009-06-29 15:55:52 | 音楽・映画
「去年マリエンバートで」を観た。
ずっと廃盤になっていたが、今回DVDが再リリースされた。

簡単に言ってしまえば、
一年前にあなたと出会っています、という男と
いいえ、会っていないわ、という女の話。

昨日のお昼に何を食べたのかも、
すぐ思い出せなくなっているオイラには
そんな一年前のことまで覚えているかぁ~という
投げやりな気持ちにさせる、危険な映画♪

交りあわない二人の記憶を、男が思い出話をしたり
写真を並べて証明しながら女の記憶に迫る。

ヌーベルバーグでも異彩を放つ映画で
最初観たときは、ここはどこで、今は現実なのか、
それとも一年前のことなのか・・と
狐につままれたような不思議な感覚を覚えた。

いまあらためて観ると、そういう不思議な感覚よりも、
男と女は理解しえないことで存在しているというか、
女は過去を偽り、覚えているのに
わざと嘘を言ってはぐらかす性をもち、
それがまた美しいというか。。。

この映画の美術、音楽、演出等は、
いろんなところで語り尽くされているので詳しく書かないが
今回なるほどと思ったことは
解説書に書かれていたことで、
「登場人物の多くがフレームの外へ視線を送っている」こと。
じっと動かず、フレームの外へ向けて視線を投げることで
無意識のうちに空虚感というか、
不安定感を醸成させていることに気がついた。

余談だが、ヒッチコックの「サイコ」では、
浴室にあるトイレを撮ることで、無意識のうちに
観客に不安感を与えていることに成功したという。
トイレつながりでいえば、石井隆の「死んでもいい」でも、
深層心理をえぐるトイレシーンがあった。

それにしても、マリエンバートとは、
あやふやな記憶をたどる男女の会話の中で、
1~2回ぐらいしかでてこない町の名前。
この実存感のないマリエンバートという名前を
タイトルにした時点で、
この映画を包む霧をさらに濃くしている。

最後に、公開時のインタビューで、
脚本家のアラン・ロブ=グリエは、二人はおそらく会っていないと言い、
監督アラン・レネは、たぶん会っただろうと言った。
この「意見の相違」を(ワザと?)残したことで
この映画に対する解釈の堂々巡りがはじまったと書かれている。
しかし、アラン・ロブ=グリエは、
そんな疑問は何の意味もないとも言っている。

意識/椎名林檎
http://www.youtube.com/watch?v=Wc1JGSPc8i8

マリエん.jpg

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« LDK「二つの午後」。 | トップ | 変化なし。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽・映画」カテゴリの最新記事