谷崎潤一郎の「細雪」を読んでみました。
関西方面は詳しくないので、
京阪神の地名やホテルの名前、
料亭の名前等が書かれていても
臨場感があまりわきませんでしたが、
一気に読んでしまいました。
「細雪」は、船場生まれで芦屋育ちの
斜陽しかけた上流階級の名家「蒔岡家」の四姉妹と、
義兄たち、そして娘、女中、恋人などの日々が
淡々と描かれています。
物語は三女の雪子の見合い話と、
四女の妙子の恋愛などを中心にして進展します。
雪子の見合い話は知人の紹介などで何度も持ち上がるが
そのたびにいろんな理由で破綻し
一緒に暮らす二女の幸子夫婦は気をもみます。
四女の妙子は、手に職をもっているキャリアウーマン。
自由奔放に生きて、しかも恋愛は波瀾万丈。
駆け落ちをしたり、身分不相応のカメラマンと親しくしたり
あげくの果てに素性も知らないバーテンダーと付き合います。
どこにでもあり、どこの家にでも起こるような出来事の話ですが
次はどんな展開になるのかと気になってページをめくっていました。
また、全編に、京阪神の四季折々の自然風景、
伝統、文化、芸能、風俗、慣習などが
ちりばめられていて堪能しました。
なかでも姉妹と義兄が毎年の恒例行事としている
春の京都での花見のシーンは、
目の前に桜の花びらが散ってきそうなほど美しく描かれていました。
幸子はここで、毎年家族で行ってきた花見を来年もできるか、
家族みんながそろって行ってきた恒例行事を来年も同じように行えるか、
そんな心配をしていたけど、
家族恒例の行事を毎年欠かさず行うことがいかに大切なことかと感じました。
* *
また、とくに好きな場面は、
幸子が夫に、何の食べ物が好きかと聞かれて「鯛やわ」と答える件。
愛するもの、好きな物が、ごく普通で月並みなものなので夫は笑う。
さらに幸子は、古今集の昔から桜の花に関する和歌が
昔はなんと「月並み」な歌かと読んできたが
年をとるにつれて昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が
決して「風流がり」ではなく、
身に沁みてわかるようになった、と書かれている。
「魚なら鯛、花なら桜」という月並みなことを言うが、
「月並み」こそ永遠不滅のものであることに気づかされました。
文末にあった解説を読んだら、
誰かが「月並みの美学」と評していたが、
まさにそのとおりだと思いました。
幸子が月並みなものを好きだと言って夫が笑ったように
ややもすると「月並み」はマイナスイメージの言い方に聞こえるけど
月並みでどこが悪い!と思います。
「月並み」は、日本古来からの長い時間と歴史、
人々の感情が凝縮して誕生したもので、これこそ日本の文化だと思います。
* *
物語の最後は、結局雪子は見合いが纏まり、
華族である人のもとへ嫁いで行くが、
解説には、何度も見合いをする雪子は
「竹取物語」を彷彿させるとも書かれていました。
東京へ嫁いで行くシーンで終わるのは、
そういう意味でいうと「月へ帰って行くかぐや姫」だったのだろうか。
また、読者とくに男性読者は、何度も見合いをして
嫁いでいったほうがいいと思う一方、
どこかで嫁がないでくれ、
永遠に無垢でいてくれという願いを抱くとあり、
それもその通りだと、強く共感してしまいました。 ^ ^
関西方面は詳しくないので、
京阪神の地名やホテルの名前、
料亭の名前等が書かれていても
臨場感があまりわきませんでしたが、
一気に読んでしまいました。
「細雪」は、船場生まれで芦屋育ちの
斜陽しかけた上流階級の名家「蒔岡家」の四姉妹と、
義兄たち、そして娘、女中、恋人などの日々が
淡々と描かれています。
物語は三女の雪子の見合い話と、
四女の妙子の恋愛などを中心にして進展します。
雪子の見合い話は知人の紹介などで何度も持ち上がるが
そのたびにいろんな理由で破綻し
一緒に暮らす二女の幸子夫婦は気をもみます。
四女の妙子は、手に職をもっているキャリアウーマン。
自由奔放に生きて、しかも恋愛は波瀾万丈。
駆け落ちをしたり、身分不相応のカメラマンと親しくしたり
あげくの果てに素性も知らないバーテンダーと付き合います。
どこにでもあり、どこの家にでも起こるような出来事の話ですが
次はどんな展開になるのかと気になってページをめくっていました。
また、全編に、京阪神の四季折々の自然風景、
伝統、文化、芸能、風俗、慣習などが
ちりばめられていて堪能しました。
なかでも姉妹と義兄が毎年の恒例行事としている
春の京都での花見のシーンは、
目の前に桜の花びらが散ってきそうなほど美しく描かれていました。
幸子はここで、毎年家族で行ってきた花見を来年もできるか、
家族みんながそろって行ってきた恒例行事を来年も同じように行えるか、
そんな心配をしていたけど、
家族恒例の行事を毎年欠かさず行うことがいかに大切なことかと感じました。
* *
また、とくに好きな場面は、
幸子が夫に、何の食べ物が好きかと聞かれて「鯛やわ」と答える件。
愛するもの、好きな物が、ごく普通で月並みなものなので夫は笑う。
さらに幸子は、古今集の昔から桜の花に関する和歌が
昔はなんと「月並み」な歌かと読んできたが
年をとるにつれて昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が
決して「風流がり」ではなく、
身に沁みてわかるようになった、と書かれている。
「魚なら鯛、花なら桜」という月並みなことを言うが、
「月並み」こそ永遠不滅のものであることに気づかされました。
文末にあった解説を読んだら、
誰かが「月並みの美学」と評していたが、
まさにそのとおりだと思いました。
幸子が月並みなものを好きだと言って夫が笑ったように
ややもすると「月並み」はマイナスイメージの言い方に聞こえるけど
月並みでどこが悪い!と思います。
「月並み」は、日本古来からの長い時間と歴史、
人々の感情が凝縮して誕生したもので、これこそ日本の文化だと思います。
* *
物語の最後は、結局雪子は見合いが纏まり、
華族である人のもとへ嫁いで行くが、
解説には、何度も見合いをする雪子は
「竹取物語」を彷彿させるとも書かれていました。
東京へ嫁いで行くシーンで終わるのは、
そういう意味でいうと「月へ帰って行くかぐや姫」だったのだろうか。
また、読者とくに男性読者は、何度も見合いをして
嫁いでいったほうがいいと思う一方、
どこかで嫁がないでくれ、
永遠に無垢でいてくれという願いを抱くとあり、
それもその通りだと、強く共感してしまいました。 ^ ^