ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

6月の部屋で。

2013-06-28 10:43:29 | 独り言
ある日の昼食。
サバのみりん漬け、きゅうり・もずく酢、
筑前煮(3日くらい食べ続けている・・)など。
昼はしっかり食べて、
夜は蕎麦や冷やし中華の麺類など
軽いもので済ましています。

そして帰省すると必ず食べている
南信州の名物「とりじん」。
先日、食べたくなり、
自分でもあの味を作れるのではないかと
醤油、みりん、味噌、砂糖、片栗粉、
ニンニクと生姜のすりおろし、胡麻油など
いろいろな調味料を入れて作ってみました。
甘辛く、ご飯がすすむ味。
それとなく似たような味に仕上がりました。


除湿器の話。
寝室が北側あり、むしむしするので
近くの電器店でコロナ除湿器を買いました。
ブゥーと運転音がして、ちとうるさいけど、
ぐんぐん部屋の湿気を吸い込み快適です。
2時間ぐらい運転しておくと
70%くらいの湿度が50%くらいまで下がります。
そして、湿度が気になりだすと
ますます気になるもので
室内のあちこちに除湿器を持ち歩き
湿度管理に厳しくなりました。

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一日も欠かせない日々。

2013-06-06 15:52:37 | 
町から町へ流浪する旅職人の話、
ヘルマン.ヘッセの「クヌルプ」を読みました。
ページはそれほど多くなく、
小説は3部に分かれています。

第一部は、クヌルプが放浪を続ける町で
知り合いの皮なめし職人に会ったり、
ホームシックにかかっている少女を元気づけたり。
人あたりがよく、みんなに愛される
クヌルプの性格が書かれている。
そこで最初の話は終わり、
なんだかあまり盛り上がらないなと思いつつ次の部へ。


第二部は、クヌルプと「私」が過ごしてきた
青春時代の思い出話。
ふたりは、いろんな話をして過ごす。

本当に美しいものは、満足とともに、
悲しみや不安をかかえている、
というような話をする。
花火は、ちょうどいちばん美しくなったとき、
小さい弓形を描いて消える。
花火はすぐに消えてしまうという
不安をいだくから美しい。

また、クヌルプはこんな話もした。
しばらくぶりに故郷へ帰った夢を見た。
しかしそこはどこか違っていて、違和感があり、
町の人たちや、かつての恋人も知らないそぶりをした。
そんな「疎外感」を感じた話。

また、こんな話もした。
ひとはそれぞれ魂を持っている。
それをほかの魂とまぜることはできない。
人は皆、孤独を抱きしめ
自立して生きていくしかない。

また、クヌルプと「私」は
ある日、料理店で飲み始めた。
クヌルプとは、ビール1本だけを
飲む約束をして飲み始めたが、
「私」は、ついつい2本目を注文した。
クヌルプは約束の1本を飲み終えると
店を出ていった。
私は旅館へ帰り、つぎの朝起きてみると、
クヌルプはもう寝床にいなかった。
彼は約束を破った私を見捨てた。
きのう、2本目のビールを飲んで約束を破った私に
嫌気がさして去って行ったのだ。
その日から、私は孤独を味わった、と。

この話は、かなりショックでした。
ほんの軽い気持ちで2本目を飲んだだけなのに
友達はそれだけで去っていったなんて。
自分がいいと思ったことも、
友達から見たら、耐えられないことが
あるんだということをあらためて教えられました。


第三部は、最後の放浪を続けるクヌルプの話。
自然の中を歩き続けたために病気になり、
知人の医師と出会って病院を紹介されるも、
病院へ向かう途中でまた逃げ出し、
吹雪のなかで神さまと語り合う話。

いまの自分は、すべての物事が正しく運ばれ、
すべてあるべきとおりなのだと神さまに諭される話。
そうだ、すべてが成るようになって、今がある。
この神さまの話にも、心打たれました。
圧倒的な自己肯定に打ちのめされました。

「自分が生きてきた若かりし頃の、
一日でも欠けていたら、たまらなく惜しい」
という一行には、
ふと自分が歩いてきた人生を振り返り、
あんな日もあった、こんな日もあったと
つい昔を懐かしみ、そんな日がすべてあったからこそ
いまという自分があるのだと、
とても晴れ晴れしい気持ちにさせられました。

ページ数も少なく、あまり期待しないまま読んだ本なのに
こんな感動的な言葉に出会えるとは知りませんでした。


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