ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

目の前へ放り出す、奥村晃作。

2011-11-28 12:14:07 | 独り言
恥ずかしながら、こっそりと、女芸人
だいたひかるのブログを読んでいるのですが♪、
そこで紹介されていた歌人・奥村晃作という人の短歌に
すっかり引きつけられました。

事実を事実としてそのまま放り出す、圧倒的な強さがあります。
あるいは、潜在意識の中にある何かを掘り起こされるような感覚。
うまいこというなとニヤリとしたり、ウンそのとおり!と納得したり、
そんな視点があったのかと驚いたり。
不思議でユニークで、ちょっとクールな独特の世界観に、
目からウロコでした。
図書館には置いてないのでネットで検索したら、
いろいろ紹介されてました。

 * * *

ラッシュアワー終わりし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある

さんざんに踏まれて平たき吸殻が路上に在りてわれも踏みたり

結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだに発明されず

大根が身を乗り出してうまさうな肩から胸までを土の上に晒す

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

どこまでが空かと思い結局は地上スレスレまで空である

 * * *

ほかにも、してやられた!という短歌がたくさん。

どんな人かと経歴をみたら、びっくり。
昭和11年長野県飯田市生まれ。地元の人や。。
肩書きもいろいろ付いていて
短歌の世界では、知る人ぞ知る人なのか?
だいたひかるに、感謝でした。
コメント (2)
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ブータン、龍の国。

2011-11-24 10:28:15 | 
「心の中にいる龍とは人格で、経験を重ねて龍は成長していく。」
先日来日したブータン国王が話していたことだ。
そして、王妃も美しかった。。。

そこで、ブータンという国のことが気になり本を借りてきた。
大橋照枝の「幸福立国ブータン」。
ブータンではGNPではなく、GNHで国を計る。
GNHとは国民総幸福量。
どれだけ幸福を感じる国になるか。前国王が考えた指針。

ブータンでは、知足少欲、相助相恵、
中庸など仏教の教えが生活の基本にあり、
その上にディグラム・ナムジャ精神という精神が息づいている。
これは助け合いの心を大切にして、
社会のセーフティネットにしていこうという精神だ。
大事にしている人に喜びを与え、
思いやりを持ち、いろいろなものを分かち合い、
自らの欲を制御するところからはじまる。

こうした国の政策により、ブータンでは
幸福と感じる人が国民の97%だという。
決して裕福な国ではないブータン。
金銭、富よりも、人とのつながり、思いやり精神が、
充実した生活、心の満足になっているのだろう。

そういえば、先日読んだ安曇野・第四部のなかでも、
石川三四郎が「人間も相互扶助で美しい生活を
送っている昆虫社会に倣え」と説いていたが、
どこか通じるものを感じた。

また、ブータンは龍の国でもある。
龍が昇るのを見た縁起のいい出来事にちなんでいる。
龍の国ときいて、我が故郷、天龍村も「龍の村」であったと気づく。
人々は温かで、お隣りを心配する気遣いにあふれている。
相助相恵、助け合いの精神で生活している。
誰もいわないが、幸福立村と言えなくもない。。。
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昭和の戦争を生きる、安曇野・第四部。

2011-11-17 16:29:27 | 
臼井吉見の「安曇野・第四部」読了。
三部まで読み終えて、いよいよ昭和の戦争時代に突入かと思い
ちょっと気が重かったが、今年中に全巻読まねばと再開しました。
第四部は、大正の終わりから太平洋戦争集結の昭和20年まで。

大正後期から活発になってきた共産党運動に
脅威を感じた政府が、1925年に治安維持法を制定。
折しも相馬家の虎雄が共産主義に入党。警察沙汰をおこす。
ブラジルへわたった四男の文雄は客死する。

安雄・和子夫婦は結婚して、十二社・中村屋寄宿舎の敷地で暮らしていた。
腹違いの妹、千鶴子も同居。
二女の千香子は東京市電気局に勤める四方謙治と婚約する。
長男の安雄は犬に熱中して
日本シェパード犬協会に参加し、育軍用犬の飼育をはじめる。
その後、愛蔵・良夫妻は、平河町から西五反田・袖ケ崎に移転。
空いた平河町の家へは安雄夫妻がはいる。

木下尚江つながりで、無政府主義者である
石川三四郎の主義・主張や、
各地での講演内容が紹介されている。
彼は8年間ヨーロッパへ行っていて
ルクリュ、カーペンターなどの思想に影響を受けて、
大正9年10月に帰国する。

この石川三四郎という人、無政府主義者だが
なかなかいいことを言っている。
地上のすべての動物、植物は自治生活を行っている。
蟻は働いて一生懸命蓄え、仲間の間で
相互扶助的に美しい生活をしている。蜂も然り。
これら昆虫社会の生活こそ、人間生活の模範だ云々。
農民自治運動もこれに倣って行われるべきだと言う。

無政府主義は、ただ世間を乱すものとばかり思っていたが、
それだけではない。共同体の一人ひとりが自ら節度をもち、
相互に助け合いながら自治社会をつくって
生きていこうという理想が伺える。
これに関連して、昭和初期の長野県などの
農民自治運動が紹介されている。

昭和6年の満州事変後、中国本土で戦争が拡大中というのに
中村屋のある新宿界隈は、賑わっていた。
映画館やダンスホールができ、カフェや遊郭が増えた。
中村屋では、かりんとう、栗羊羹、
カステラ、支那饅頭などが売れていた。

昭和12年、青少年店員を育成する研成学院を設立する。
その開校式で、早大総長がヒトラーを讃える演説をする。
頭山満が万歳三唱をする。
その後、中村屋会館も落成する。

昭和12年に、木下尚江が死去。
昭和15年には、愛蔵、黒光夫妻は千駄ヶ谷の新居へ引っ越す。
安雄が肺炎になって入院する。
良の体調も悪化して一時は生死をさまようも持ちこたえる。
良は娘・俊子の葬式を執り行った僧侶・渡辺海旭との縁で
増上寺の日曜講演に通っていて
彼の死後は、仲間で「壺風会」という故人を偲ぶ会を開催していた。

太平洋戦争間近になって、中村屋では餡パンや羊羹などの販売を中止。
食料雑貨店のような品揃えになる。工員も徴兵されて激減する。
遂に太平洋戦争が勃発する。

時代は前後するが、日中戦争(支那事変)が始まると、
インド独立へ向けてラス・ビハリ・ボースが運動を始める。
ドイツに亡命していたもうひとりのボース、
チャンドラ・ボースも運動に加わる。
ラス・ビハリ・ボースは日本各地で講演を行い、
長野の飯田でもやっている。
この二人のボースが、インド独立に貢献する。

グアム、硫黄島などが玉砕して本土への空襲が激しくなるにつれ、
相馬家は、五日市市に疎開。新宿中村屋は空襲で消失してしまう。
8月6日、広島に新型爆弾が落ちて、終戦を迎える。
満州事変からの暗い時代の中で、
それぞれの人が、それぞれの立場で一生懸命生きていた。
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淡交深絆。

2011-11-13 14:05:04 | 出来事
多摩ニュータウンに住んでいる
姉の子供(男三人兄弟)、つまり甥っ子ですな、
それが長男、次男と、二人ばたばたと入籍したというので
お祝いの席に呼ばれてきました。

長男とは今年の正月に田舎で会っていましたが
次男とは15年以上会っておらず、
その時次男は小学生で、今回いきなり
立派な社会人になっていたので、少々とまどいました。

つくづく、時間が経つのは早い、
子供が育つのは早いなぁと実感しました。
姉夫婦とはあまり深い付き合いはしておりませんが
それだけお互いに平穏無事に過ぎてきたことの証。
歳を重ね、これからはいつ何が起きるかわかりませんが。。
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秋刀魚、牛皿、庶民の味。

2011-11-06 13:06:32 | 
中禅寺金谷ホテルで虹鱒のソテーを食べ、
束の間の贅沢をさせていただきましたが
帰ってきてからは庶民の味が続いています。。

秋刀魚の塩焼き(100円ローソンの冷凍2匹入り)、
ナスと玉葱の甘味噌炒め、牛皿など。
牛皿、つまり牛丼の具ですが、
これは吉野家などの店舗で食べるものには
ワインなど隠し味がいろいろ入っているようですが、
家では牛肉、玉葱、出汁、酒、砂糖、醤油、
ショウガをすりおろして入れるだけのシンプルなもの。

牛肉300gのパックをざるに移して、さっと湯通し。
鍋に出汁と水を合わせて200~300cc入れ、
玉葱1~2個を適当に切って入れる。
煮立ってきたら牛肉を入れ、適当に酒、醤油を入れ、
10分くらい煮たら、味見して、ショウガを入れて出来上がり。
気になることといえば、牛肉の灰汁をとらなかったこと。
湯通ししたし、まあ、あまり気になりませんでした。。

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虹鱒ソテー@金谷ホテル。

2011-11-01 11:51:38 | 出来事
日帰りバスツアーで、日光中禅寺湖へ行ってきました。
関越自動車道沼田ICを降りて、金精峠を抜け、
中禅寺湖、華厳の滝を見て、帰りは東北自動車道で帰ってきました。
高いところの紅葉はもう終わりかけてましたが、
それでもまだ赤、黄に輝く山を堪能してきました。

昼食は、中禅寺金谷ホテルで虹鱒のソテー。
金谷ホテルといえば、伝統あるフランス料理の一品、
虹鱒のソテーということで食べてみましたが、
やや甘めに仕上げた上品な味わいでした。
ナイフとフォークで虹鱒を食べたはの初めてでしたが
なんとかうまく処理できました。。。

その後、中禅寺湖畔に佇むイタリア大使館別荘へ行きました。
アントニン・レーモンドという建築家の設計で
周囲の自然にとけ込む和風の趣を取り入れた建物で、
湖畔を一望できる広い窓ガラスが特徴的。
室内もとてもいい雰囲気でした。

かつて中禅寺湖では、イタリア人などの外国人が
ヨットや水上ポロなどをしながら、避暑を楽しんでいました。
長崎のグラバー邸で有名なグラバー氏も
ここで西洋式鱒釣りを初めて楽しんだとか。
別荘内の説明パネルには、あるイタリア人の日記が紹介されていて、
中禅寺湖をコモ湖のようだと形容しています。
中禅寺湖と男体山、そして青空。
こんな風光明媚なところで、避暑生活ができる人生、憧れます。。

華厳の滝は、「ただいま増水中」という看板が目につきました。
炭酸飲料水のキャンペーンかっ!と、突っ込みたくなりました。

〈写真 虹鱒ソテー/中禅寺金谷ホテル/イタリア大使館別荘/
別荘内/別荘前/華厳の滝〉

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