先日、うしろめたい気持ちで
図書館から大量にゲットしてきた日本文学全集。
さすが日本文学全集である。いい小説ばかりである。
さっそく、国木田独歩「武蔵野」「忘れえぬ人々」読みました。
「武蔵野」を読んでいたら、小金井公園の真ん中を突っ切る
樹影で薄暗くなっている坂道が頭に浮かんできました。
20代の頃、三鷹のアパートから見ていた夕陽が思い出されました。
そして、そのあとに続いていた数ページの「忘れえぬ人々」。
これは、なんの前知識もなく読みはじめたが
完全にヤラれてしまいました。すごい!名作だったんですね!
* * *
概略は、ある3月の晩、無名の文学者「大津」が多摩川近くにある
溝ノ口の旅館「亀屋」に投宿した。
そこの宿の主人と、二言三言会話したあと、部屋へ通される。
部屋へ行くときは、主人はもう何の挨拶もせず、後ろ姿も見送らない。
それきりであった。
大津は、部屋へ入ると、しばらくして隣の部屋に
投宿していた画家の「秋山」と話し始める。
外は風が吹き、雨が降ってきた。
これでは、明日旅立つのは無理だろうと、
二人は美術論、文学論など夜更けまで話し込む。
そして大津がもっていた「忘れ得ぬ人々」という
原稿を秋山に読んで聞かせる。
「忘れ得ぬ人々」には、大津がそれまで印象に残った
忘れられない人のことが記されていた。
「忘れ得ぬ人々」とは、忘れられない人のことで、
「忘れてはならない人」とは違う。
忘れてはならない人とは、親、子供、知人、恩師などのことで
「忘れ得ぬ人々」とは、恩も義理もない赤の他人でありながら、
なぜか自分のなかで忘れられなくなった人のことである。
大津の忘れ得ぬ人々の1人目は
19歳のときに瀬戸内海を船で旅したとき
ある島の磯で、しゃがんでは何かを拾い、籠か桶に入れていた男。
島から遠ざかるとともに、男は黒い点のようになってしまった。
2人目は、阿蘇山の麓の村で、俗謡をうたいながら
荷車をひいてきた24~5歳と思われる屈強な身体をした男。
月の光を背にして黒い輪郭が今でも目に浮かぶ、その男が2人目。
3人目は、四国の三津ヶ浜の魚市場近くの
店先で立って琵琶を弾いていた僧。
むせぶような琵琶の調べとともに
沈んで濁って淀んだような声で謡う僧。
だれもこの僧の琵琶の音に耳を傾けず顧みない。
それが3人目、と大津が言ったところで
なぜ大津がこれらの人が思い出されるのか
語りたいと秋山に言う。
夜が更けて、孤独を感じる夜にはなぜか人懐かしくなり
これらの人たちが悠然と僕の心に浮かんでくる。
イヤ、そうではない、これらの人々を見た時の
「周囲の光景の裡(うち)に立つこれらの人々」が浮かんでくる。
これらの人は自分となんの違いがあるか。
みんな天から命を受けて一生懸命生きて
また天に還って行くではないかという気持ちが起こってくる。
ぼくはこのときほど心の平穏を感ずることはない、
このときほど自由を感じることはない、
名利競争の俗念が消えて
すべてのものに対して同情の念が深くなる、と言う。
その後、秋山と語り合ったあの一夜から2年がたち
大津は東北地方のある街に住んでいた。
秋山との交際はまったく絶えた。
ある雨の晩、大津はひとり机に向かって瞑想に沈んでいた。
机の上には、2年前に秋山に示した原稿「忘れ得ぬ人々」が置いてあり、
その最後に書き加えてあったのは「亀屋の主人」であった。
「秋山」ではなかった。
* * *
う~ん、、なんと逆転サヨナラホームランのような話。
夜更けまで秋山とあんなに親しく語り合ったのに、
なぜ「忘れえぬ人々」は、秋山ではなく、亀屋の主人だったのか。。。
と書いていたら、窓の外は白い雪やねん。
さようなら/NSP
http://www.youtube.com/watch?v=qJ6-aqQXny4&feature=related
図書館から大量にゲットしてきた日本文学全集。
さすが日本文学全集である。いい小説ばかりである。
さっそく、国木田独歩「武蔵野」「忘れえぬ人々」読みました。
「武蔵野」を読んでいたら、小金井公園の真ん中を突っ切る
樹影で薄暗くなっている坂道が頭に浮かんできました。
20代の頃、三鷹のアパートから見ていた夕陽が思い出されました。
そして、そのあとに続いていた数ページの「忘れえぬ人々」。
これは、なんの前知識もなく読みはじめたが
完全にヤラれてしまいました。すごい!名作だったんですね!
* * *
概略は、ある3月の晩、無名の文学者「大津」が多摩川近くにある
溝ノ口の旅館「亀屋」に投宿した。
そこの宿の主人と、二言三言会話したあと、部屋へ通される。
部屋へ行くときは、主人はもう何の挨拶もせず、後ろ姿も見送らない。
それきりであった。
大津は、部屋へ入ると、しばらくして隣の部屋に
投宿していた画家の「秋山」と話し始める。
外は風が吹き、雨が降ってきた。
これでは、明日旅立つのは無理だろうと、
二人は美術論、文学論など夜更けまで話し込む。
そして大津がもっていた「忘れ得ぬ人々」という
原稿を秋山に読んで聞かせる。
「忘れ得ぬ人々」には、大津がそれまで印象に残った
忘れられない人のことが記されていた。
「忘れ得ぬ人々」とは、忘れられない人のことで、
「忘れてはならない人」とは違う。
忘れてはならない人とは、親、子供、知人、恩師などのことで
「忘れ得ぬ人々」とは、恩も義理もない赤の他人でありながら、
なぜか自分のなかで忘れられなくなった人のことである。
大津の忘れ得ぬ人々の1人目は
19歳のときに瀬戸内海を船で旅したとき
ある島の磯で、しゃがんでは何かを拾い、籠か桶に入れていた男。
島から遠ざかるとともに、男は黒い点のようになってしまった。
2人目は、阿蘇山の麓の村で、俗謡をうたいながら
荷車をひいてきた24~5歳と思われる屈強な身体をした男。
月の光を背にして黒い輪郭が今でも目に浮かぶ、その男が2人目。
3人目は、四国の三津ヶ浜の魚市場近くの
店先で立って琵琶を弾いていた僧。
むせぶような琵琶の調べとともに
沈んで濁って淀んだような声で謡う僧。
だれもこの僧の琵琶の音に耳を傾けず顧みない。
それが3人目、と大津が言ったところで
なぜ大津がこれらの人が思い出されるのか
語りたいと秋山に言う。
夜が更けて、孤独を感じる夜にはなぜか人懐かしくなり
これらの人たちが悠然と僕の心に浮かんでくる。
イヤ、そうではない、これらの人々を見た時の
「周囲の光景の裡(うち)に立つこれらの人々」が浮かんでくる。
これらの人は自分となんの違いがあるか。
みんな天から命を受けて一生懸命生きて
また天に還って行くではないかという気持ちが起こってくる。
ぼくはこのときほど心の平穏を感ずることはない、
このときほど自由を感じることはない、
名利競争の俗念が消えて
すべてのものに対して同情の念が深くなる、と言う。
その後、秋山と語り合ったあの一夜から2年がたち
大津は東北地方のある街に住んでいた。
秋山との交際はまったく絶えた。
ある雨の晩、大津はひとり机に向かって瞑想に沈んでいた。
机の上には、2年前に秋山に示した原稿「忘れ得ぬ人々」が置いてあり、
その最後に書き加えてあったのは「亀屋の主人」であった。
「秋山」ではなかった。
* * *
う~ん、、なんと逆転サヨナラホームランのような話。
夜更けまで秋山とあんなに親しく語り合ったのに、
なぜ「忘れえぬ人々」は、秋山ではなく、亀屋の主人だったのか。。。
と書いていたら、窓の外は白い雪やねん。
さようなら/NSP
http://www.youtube.com/watch?v=qJ6-aqQXny4&feature=related