ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

ダマされた。

2008-11-27 20:42:30 | 独り言
あちゃ~、オークション詐欺にあってしまいました。
先日、レンタルで借りてきた大島渚の「白昼の通り魔」がすばらしく、
これはぜひゲットしなければと思い、ヤフオクでVHSながら300円で落札。
その後、振り込んだものの、出品者からはウンともスンとも言ってきません。。。

ほかの人はどうなんだろうと思って「評価欄」をみたら、
蜂の巣をつついたように、金返せ、詐欺者、犯罪者などという書き込みがあり、
当然、出品者は出品停止措置。
他の人の落札金額も500円とか小額なので、泣き寝入りする人がほとんどだろうか?
ヤフーにいちおう申告したものの、
引き続き出品者と連絡をとれというメールがくるだけでなんとも頼りない。

ためしにグーグルマップで出品者の住所を見たら
北海道の原野みたいなところ・・・・。民家らしいものがないやん!
今までかなり落札してきたが、こんなことは初めて。。人間不信になりそうゃ。

わな/キャンディーズ http://jp.youtube.com/watch?v=PBLnUC1kRTA&fmt=18

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白樺時間。

2008-11-24 10:32:30 | 出来事
この休みに、我孫子にある志賀直哉邸跡と
そばにある白樺文学館へ行ってみた。
我孫子は千代田線の終点で、
なんの変哲もない住宅地だと思っていたが
緑や手賀沼の自然が広がっていて、なかなかいいところ♪

大正時代、白樺派の作家たちは
手賀沼のほとりに次々と移り住んできた。
志賀直哉、武者小路実篤といった文学者をはじめ
民芸運動をおこした柳宗悦と奥さんの兼子、
陶芸家バーナード・リーチといった人たちがここで暮らした。

駅から手賀沼へ向けてゆっくりと下る道を10分ほど歩くと
手賀沼に突き当たり、そこを左折してしばらく行くと
志賀直哉邸跡と白樺文学館がある。
(途中には、志賀直哉の「小僧の神様」が
社名の由来になったらしい「小僧寿し」もある♪)

志賀直哉邸跡は、木立に囲まれた静かなところで、
母屋は取り壊されてなかったが、書斎はちゃんと残っていた。
6畳の和室に、縁側、床の間付きでこじんまりとした佇まい。
志賀直哉がこの書斎の縁側に座って撮った写真も残っている。

また大正時代は、志賀直哉邸跡のすぐ下まで沼が広がっていて
武者小路実篤が志賀直哉の家に遊びにくるときには、
手賀沼を船でわたって来ていたらしい。あぁ風流。
庭掃除をしていた人が話してくれた。

志賀直哉は大正4年から12年までこの家で暮らし、
「和解」「城の崎にて」「小僧の神様」「范の犯罪」
「焚火」「暗夜行路」など、多くの名作を書いた。
毎日、手賀沼の風景を見たりここの空気を吸って
筆を走らせていたと思うと感慨深い。

近くの白樺文学館には、志賀直哉の書簡や
「暗夜行路」の手書き原稿、書、夏目漱石の書簡など、
さまざまな資料が展示してある。
館内にはオイラの他に誰もいなかったので、
館員さんともいろいろ話ができた。

白樺派は文学だけでなく、ロダンの彫刻といった
ヨーロッパの芸術もいち早く日本にも紹介して
「美」に関する鋭い視点や感性が磨かれたから、
志賀直哉をはじめとする作家たちの小説にも、
美しく繊細な表現が生まれたのだろう。

「蟹工船」を書いたプロレタリア文学の小林多喜二も、
志賀直哉を慕って手紙を送ったりしていた。
全然作風の違う小林多喜二と接点があったとは、想像もしなかった。
志賀直哉の返信には、主義主張ありきで小説を書いてはいけない、
自分の血と肉からわいてくるものを小説にしないといけない、
みたいなことを書いていて厳しい意見を言っているが、
「蟹工船」はいいと評価している。

白樺文学館には、文学的資料のほかにも、
一緒に活動した陶芸家のバーナード・リーチや
ルーシー・リーの作品や資料も展示してあった。
そして帰りに「白樺カレー」なる、隠し味に味噌をいれたカレーを購入。
それは柳宗悦の奥さんで、
日本の声楽の礎を築いた一人である兼子さんがつくり、
志賀直哉や武者小路実篤が食べたと云われているカレー。
これは、大正ロマンの味やぁ~♪

〈写真左上から 白樺派の人たちとその家族。前列左より柳兼子(25)、
武者小路房子(25)、武者小路喜久子(7)、
後列左から金子洋文(23)、一人おいて武者小路実篤(32)、
柳宗悦(28)、志賀直哉(34)、志賀康子(28)、
一人おいて宇田川三造。千葉県我孫子町字根戸の
武者小路実篤邸にて撮影。大正6年5月12日(1917)/
志賀直哉邸跡/書斎/暗夜行路の直筆原稿/
木村伊兵衛が撮影した志賀直哉/手賀沼/白樺カレー&パンフ〉

みずうみ/大貫妙子 http://jp.youtube.com/watch?v=iWXrXfFcKw8&feature=related

我孫子文化人.jpg志賀直哉邸.jpg書斎.jpg暗夜行路原稿.jpg志賀直哉木村ハ真.jpg手賀沼.jpg白樺カレー.jpg
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自分をmineする。

2008-11-20 08:51:10 | 独り言
志賀直哉に関する本を読んでいたら、
彼が29歳のときに書いた日記が紹介されていて
そこに「自分にあるものをmineする。」という日記があり
思わず目が止まった。

正確には、
「人間は--- 少なくとも自分は、自分にあるものを
生涯かかって掘り出せばいいのだ。
自分にあるものをmineする。これである。」(明治45.3.7日記)

さらに、次の日の日記にも、
「自分は自分を真ンから愛するようになった。
自分は自分の顔を真ンから美しいと思うようになった
自分は自分程のエラサを持った人は余りないと信ずるようになった。
自分は自分の愛すべき所を、美しい所を、
またエライ所を一生かかって掘り出さねばならぬ。
自分は自分をこれ程に肯定してかかれるように
なったことを大変な進歩と思う。
通俗な意味で安心したというのとマルデ違うのである。」 と続いている。

年齢を重ねてからならまだしも、
若干29歳の志賀直哉が残したこの頃の日記には、
ものすごく強い意志と自信、自惚れが感じられる。
この若さで、枯渇しない井戸のように
自分の中に眠っている才能を掘り起こして(mine)いけばいいと言っている。
評論家などからは「大変な自信である、まれにみる自己確信である、
神なき自我の肯定」などと評されている。
太宰治も「自惚れくそ野郎!」(有吉風に♪)と言ったかどうかしらないが、
とにかく、いけすけない奴と批判したのがよくわかる。

しかし、そんな自信過剰な一面がありながらも
志賀直哉の、あの清く澄んだ言語空間には酔いしれるよなぁ。
作者と作品は別物だと実感する。

ところで、すでに人生の折り返し点を過ぎた♪オイラ的には
これまで自分が得てきたものを「再確認」したいなと思っていたところで、
ちょうどこの「自信過剰日記」にふれ、なぜかときめいた。
今まで、いろいろなものを見たり聞いたりしてきたが、
はたして何が自分の中に残っているのか・・・。
ここでもう一度振り返ってみたい、掘り返してみたいと思っていたとき、
「自分にあるものをmineする。」という言葉は新鮮で、
目からウロコが落ちる思いだった。

しかし、何も掘るものが残ってなかったりして・・アヒャヒャ♪
志賀直哉邸跡が我孫子にあるみたいなので、今度行ってみるか。。。

ゴルトベルク変奏曲1-7/グレン・グールド http://jp.youtube.com/watch?v=g7LWANJFHEs=related

小金井.jpg

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総理を笑えない。

2008-11-14 20:52:51 | 独り言
踏襲とか、頻繁とか、麻生総理の漢字の読み間違いが話題になっているが
オイラも、なかなか覚えられない漢字というのがある。
というか、一度間違えて覚えてしまったあと、
なかなか正しくリセットできない。年齢のせいか?
もっとしっかり学校で学んでおけばよかった。。

たとえば、「因果応報(いんがおうほう)」を
「インガホウオウ」だっけ?とわからなくなったり、
中華料理の酸辣湯の読み方は、
サンラータン? スーラータン? どっちだったけと思ったり。。。
そういえば、むかし、知人はよく地図などに出てくる「凡例(はんれい)」を
毎回「ボンレイ」と言っていた(東京凡太かぁ~!)

また言葉の意味も、たとえば「十把一絡げ」を、
10羽の鶏を一度に唐揚げにする「十羽ひと唐揚げ」のことだと
勘違いしていたり・・・。
(ほかにも、まだまだあったはず・・・)

さらに人でもあやういことが、かなりある。
雷竜太だったか、竜雷太だったか?と思ったり
高島礼子を高島ファミリーの一員だとすっかり思い込んでいたり
綾香と平原綾香とは、同じ人物だと思っていたり・・・。

思い込みというのは怖いものだ♪

窓/谷山浩子 http://jp.youtube.com/watch?v=DYEjoLPxc-A
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北欧的。

2008-11-09 12:34:36 | 音楽・映画
ここ最近、急速に冷え込んできたが、
昨日は厚着をして銀座へ出かけ、古巣の会社の人たちと飲んでいた。
店へ行く途中、4丁目交差点ミキモトを見ると、
もうクリスマスツリーが飾られライトアップされていた。

古巣の人たち、なかにはフリーをしている人もいて、
一人だと孤独死していても気が付かれないからなんとかしなくちゃ・・
浴室で事故死していたとき全裸で発見されたくない・・などと、
40歳を超えた1人世帯主として「その時」に備えて
いろいろ心配している。アヒャヒャ♪
じつはうちのマンションでも、
このあいだ孤独死があったばかりで、他人事ではないぃ~。。

銀座に来たついでに、HMVでこれからの季節にびったりな、
北欧ノルウェーのビアノトリオ、ダグ・アルネセン・トリオの新作
「ノルウェジアンソング2」を買った。
前作「ノルウェジアンソング」も素晴らしいが、
今回の「ノルウェジアンソング2」は、それ以上に美しい。
期待以上に創ることは並大抵のエネルギーではない。
澄んだピアノの音で綴られた演奏は、冬の暗い空を眺めつつ、
コーヒーと読書で落ち着いた時間を過ごしたいときのBGMに最適。
1・3・5・6曲目がとくにリラックスモードになる。
ノルウェーの大作曲家グリーグの曲も入っている。

じつはオイラの事務所のホームページも、
「北欧」をテーマにしたシンプルで上質なデザインなのだ♪
南欧は何度か行ったが、北欧はまだ行っていない。
人は手に入れたモノよりも、
まだ手に入れていないモノのほうに、いつまでも執着してしまうようだ。
〈写真 左:銀座のクリスマスツリー 右:ダグ・アルネセン・トリオの3枚〉

まぁこんな感じの楽曲(これは前作から) 
Aagots fjeldsang/Dag Arnesen Trio http://jp.youtube.com/watch?v=AhMsBWHv-sM

ツリー.jpgダグ3まい.jpg
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百年話。

2008-11-07 13:13:24 | 独り言
今週は田舎に3日間ぐらい帰っていたが、
親や、オイラの本家筋にあたる親戚の人と
話をしていて、昔のことがいろいろわかった。

1900年頃に、味噌・醤油づくりをして一代で財をなした曾祖父N作氏、
その子供たちが9人ぐらいいて、オイラの祖父O氏もその一人。
そして9人のなかで本家を継いだいのは、三~四男ぐらいにあたるK氏。
そのK氏の娘S子が、やはり同じ血筋の従兄T氏と、
従兄同士で結婚して本家筋を継ぎ、
S子とT氏の間にできた息子N祐氏がいまの本家を守っている。
ここでは書けない、へぇ~という悲恋、悲話もあったりして、
聞いていてワクワクした。

ある一定の年齢までは、みんな子供扱いしていて
真実はあまりしゃべりたがらないのだが
ある年齢を過ぎると「お~聞いてくれ」みたいな感じでみんな話しだす。
今までこちらも、あまり興味がなくて聞かなかったが、
先祖の物語を聞くのも好きになってきた。

小川国夫の随筆に、人が語ることは百年ぐらいの年数はすぐに超えるという話があり
「百年の孤独」が好きで、それと同じような「赤朽葉家の伝説」を書いた桜庭一樹も、
ブログ上で、小川国夫の話にすっかり共感していたのが印象的だったが、
オイラも、家に帰ってルーツを知るにつれ、そんなことを体験した。

オイラの祖父が生まれたのは明治38年って言ってたか?
1905年。日露戦争のころだ。今から百余年たつ。
曾祖父N作氏の話はそれ以前か、その頃だから、まさに百年ほど前の話。
願わくば、もう少し詳細を聞きたかった。
というか、知っている人がぼつぼつと亡くなって、もういないのが残念。
〈写真 左:昭和5年頃の天龍村/右:昭和11年天龍村平岡駅開業当時の様子〉

ハナミズキ/一青 窈 http://jp.youtube.com/watch?v=4rk-GCaH994

昭和5年頃.jpg平岡駅.jpg

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アブサロム、アブサロム!

2008-11-03 18:57:32 | 
中上健次が、生前、親交の深かった柄谷公人から
この作家を読め、日本のフォークナーになれと言われた、
そのウィリアム・フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」を読んだ。
まさに、中上健次サーガ(物語群)の原点のような世界があった。
柄谷公人に、日本のフォークナーになれと言われて、
中上健次はどんな気持ちで活字を追っていたのだろう。

なるほど、両者というか、二人の書いた物語群にはとても似た「臭い」がある。
それは当然、中上健次がフォークナーを意識して書いたのであるが、
中上健次が抱えていたさまざまな問題は、
すでにアメリカ南部の奴隷制度時代が抱えていた、
黒人たちの屈辱、差別問題などとオーバーラップしている。
そして家族の純粋な血を繋いでいくことに執着する点も。
フォークナーが架空の町を舞台に書いていたものは、
中上健次にとっては新宮というリアルな町の出来事そのもので、
逃げることができない目の前の現実そのものだった。
柄谷公人にそのことを突きつけられ、そして、語弊があるかもしれないが、
なぞるように中上健次は小説群を書き上げていった。

「アブサロム、アブサロム!」は、フォークナーが頭の中で描いた架空の町
ヨクナパトーファ郡ジェファーソンを舞台に、
サトペン一家の誕生と没落を描いた物語。
ジェファーソンの町に、どこからともなく現れたサトペンが、
インディアンから100平方マイルをだまし取り、商人の家の娘を娶り、
黒人を使った農場を経営することで、
やっと一人前の「家」であると認められるようになる。
一家を立ち上げ南北戦争への従軍などをはさみながら、やがて没落していく。
アメリカ南部の重苦しい空気の中で、南部のもつ不思議な魔力、
黒人と白人、許されざる血の問題、血のつながり、
兄妹のことなどが濃密に、語られている。

それにしても読みにくい!
二重、三重、四重、五重ぐらいの形容詞のねっとりとした難解な文章で、
聞き伝えの話を思い出して語る設定ということもあり、
集中して読まないと、ぜんぜん文意をつかめない。すぐストーリーが混濁してしまう。
何度もページを遡って読み返したり、一度読んでもよくわからないことが多い。
頭わり~ぃ。
しばらくしたら、また読み返ししてみるか。

ハリケーン/ボブ・ディラン http://jp.youtube.com/watch?v=yd8JEJ2JoNo
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