河童の歌声

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我が母校が廃校になってしまいました

2018-01-07 15:17:08 | 日記
品川区立城南中学校校歌


私の精神的支えでもあった、
東京都品川区立・城南中学校が廃校になってしまいました。

先日、何かでネット検索をしていたら、たまたま発見したのです。
それは、ショックでした。
心の中に何か穴でも開いた様な・・
何でしょうね、ポカーンとした気持ちでした。



私は越境入学でした。
私の区域には別の中学校があり、そこが指定校だったのですが、
そこはあまり評判が良くないというので、
母親が多分、頑張ったのかの越境入学でした。
と言っても家から15分も歩くだけの事だったのですが。

城南中学は噂にたがわずに、いい学校だったと今でも思います。
その点では亡き母に感謝しています。

動画は、懐かしい校歌ですが、
50秒の所に、背の高い男性が唄わずに、首だけ振って立っています。
その先生は「遠藤孝一郎」先生といって、
在学中は本当に恐い理科の先生だったのです。

でも、自分が卒業して大人になると、
その先生が如何に(いい先生)だったかと思い、
その先生に「貴方は本当にいい先生でした。貴方の素晴らしさは、
大人になって初めてきがつきました」という、
ラブレターみたいな手紙を送った事があるのです。
遠藤先生の姿を見て泣けて泣けて・・



学校のセーラー服は、
赤いリボンの紺サージでした。

私はここで初恋を経験し・・・
それは人生にとって誰しも忘れられない初めての目覚めですから、
その重みはとても強いのですね。
彼女は一年生の時に何処かから転校生で入ってきたらしく、
紺サージではなく、黒いセーラー服を着ていました。
彼女がブラスバンドでクラリネットを吹いていた事が、
後々、私が高校でブラスバンド部に入るきっかけだったのです。

廃校になった事に驚いて姉に電話したら、
「そうよ~、知らなかったの~」だって。
全く、知ってりゃ何で連絡しないんだよ。
でも、姉いわく「だってどうせもう行かないんでしょ」・・
そりゃそうかも知れないけど、そりゃないぜ。

姉は、クラス会の幹事的な活動をやっていたので、
今でも学校の動向は把握しているみたいです。

それに引き替え、私はそういった活動を殆どしないので、
可愛くない奴なんでしょうね。

クラス会と言ったって、
49歳の時に、品川・高輪のホテルでの同期会に行ったきりで、
在学中はパッとしなかった奴が取り仕切っていたり、
初恋の女性は来ていなかったり、
自分の思う様には行動できなかったり・・
でも「貴方が私の初恋でした」とある女性から打ち明けられた時は、
嬉しかったというより、何か複雑な思いがしました。

世間を見てみると、
こういったクラス会の幹事役を一手に受け負います、
といった会社があるくらいですから、
同窓会、クラス会、同期会といったイベントは、
いつまでも、いつまでも人の心の、ある意味(支え)なんですね。

社会的地位が有る無しに関係なく、
自分が今、在るのは、そこがあったからと思うからなんではないでしょうか。

母校が無くなるのは、心の支えを失うみたいで本当に悲しかった。




コメント (2)
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鎌倉へ初詣に行きました

2018-01-05 06:21:12 | 日記
border="0">18.1.4.江ノ電・江の島~腰越間


もう30年近く毎年行っている鎌倉・鶴岡八幡宮へ今年も初詣に行って来ました。
初詣は、川崎大師・相模の寒川神社・箱根神社・
横浜から東京・府中に引っ越してから、府中・大國魂神社など、
何ヶ所か行ってみましたが、やっぱり鎌倉のあの雰囲気が一番好き。

よく地元がどうのこうのと言いますが、
私には、この鎌倉・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)が在ればいい。
横浜に住んでいた時より遠くなりましたが、
一年に一度だけの遠出も、また悪くないものです。





今年は、JRではなく小田急線経由で藤沢駅に出て、
そこから江ノ電に乗って鎌倉に入りました。



江ノ電は、他人の家の庭を走っている様な場所もあり、
特に雪の日は、雪の重みで垂れ下がった枝をバサバサ音を立てながら走り、
それは言葉では言い表せない面白さなんです。

18.1.4.江ノ電・腰越~鎌倉高校前




江ノ電には古い歴史を彷彿とさせる駅名が沢山あります。
鵠沼(くげぬま)江の島・腰越・七里ガ浜・稲村ケ崎・極楽寺・長谷・由比ガ浜・・
稲村ケ崎は、1333年。
鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が稲村ケ崎から太刀を投じると潮が引いて、
海岸伝いに鎌倉に攻め入ったという伝説があります。

~七里ヶ浜の哀歌~由紀さおり・安田祥子




また、1910年(明治43年)には「真白き富士の嶺」の歌になった、
逗子開成中学校生12名の乗ったボートが転覆し、全員が溺死するという大事件があり、
その当時は日本中が涙を流したと言われる悲劇でした。
それが七里が浜を見下ろす場所でもあります。

俺たちの朝 2014 松崎しげる


鎌倉というと思い出されるのは、
中村雅俊主演の「俺たちの旅」シリーズ、
第二弾の「俺たちの朝」が、鎌倉・極楽寺周辺を舞台にしていた事で、
1976年10月から、1977年11月まで放映され、
テレビドラマの影響を受けた若者たちが大挙しての鎌倉詣でとなり、
それまで赤字経営に気息奄々としていた江ノ電を復活させました。

まだ20代だった私も、
「俺たちの旅」「俺たちの朝」には大いなる刺激を貰ったものです。

18.1.4.鎌倉・小町通


小町通りは鎌倉のひとつの顔とも言える街並みです。
この商店街を冷かしながらそぞろ歩くのも、鎌倉の楽しみです。





八幡宮に至る階段の左脇には、かつて銀杏の大木がありました。
1219年に源実朝を暗殺した、別当・公暁が隠れて実朝を待ち伏せした大木ですが、
2010年3月の強風により倒壊してしまいました。
その大木の根は現在少し左側に移植されて立っています。



八幡宮の上から見た表参道である段葛(だんかずら)が一直線に海に由比ガ浜へと伸びています。



中央に見える舞殿は、静御前が頼朝の前で、
義経を慕いながら舞を舞った舞台と言われています。



参道から八幡宮を仰ぎ見る。



おみくじを引きました。
私は「中吉」妻は「吉」でした。
昔、元妻は何と「大凶」を引いてしまい、一年間落ち込んでいました。
あの時は本当に腹が立ちました。
神社と言ったって、ある意味、客商売とも言えます。
せめて正月くらいは、そんな縁起でもない札は外しておくべきだと思いましたね。



その、おみくじに願をかけて・・・
今年もまたいい年で有ります様に。



暮れゆく鎌倉の街。



〆の夕食は、小町通りから一歩入った場所の店。
つまみのシラスで、いっぱい飲りながらの食事でした。



小町通りで買った木のカップ。
手彫りで名前を彫ってもらいました。
次回の歌声喫茶では、このマイカップで珈琲を飲みます。



鎌倉駅はすっかり夜の帳に包まれていました。
良い、鎌倉初詣でした。







コメント (6)
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