品川区立城南中学校校歌
私の精神的支えでもあった、
東京都品川区立・城南中学校が廃校になってしまいました。
先日、何かでネット検索をしていたら、たまたま発見したのです。
それは、ショックでした。
心の中に何か穴でも開いた様な・・
何でしょうね、ポカーンとした気持ちでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d9/2bc895c3da2e3c440116912fd8763efb.png)
私は越境入学でした。
私の区域には別の中学校があり、そこが指定校だったのですが、
そこはあまり評判が良くないというので、
母親が多分、頑張ったのかの越境入学でした。
と言っても家から15分も歩くだけの事だったのですが。
城南中学は噂にたがわずに、いい学校だったと今でも思います。
その点では亡き母に感謝しています。
動画は、懐かしい校歌ですが、
50秒の所に、背の高い男性が唄わずに、首だけ振って立っています。
その先生は「遠藤孝一郎」先生といって、
在学中は本当に恐い理科の先生だったのです。
でも、自分が卒業して大人になると、
その先生が如何に(いい先生)だったかと思い、
その先生に「貴方は本当にいい先生でした。貴方の素晴らしさは、
大人になって初めてきがつきました」という、
ラブレターみたいな手紙を送った事があるのです。
遠藤先生の姿を見て泣けて泣けて・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/44/862c9ebda5ff64c7f4b98987860a64e9.jpg)
学校のセーラー服は、
赤いリボンの紺サージでした。
私はここで初恋を経験し・・・
それは人生にとって誰しも忘れられない初めての目覚めですから、
その重みはとても強いのですね。
彼女は一年生の時に何処かから転校生で入ってきたらしく、
紺サージではなく、黒いセーラー服を着ていました。
彼女がブラスバンドでクラリネットを吹いていた事が、
後々、私が高校でブラスバンド部に入るきっかけだったのです。
廃校になった事に驚いて姉に電話したら、
「そうよ~、知らなかったの~」だって。
全く、知ってりゃ何で連絡しないんだよ。
でも、姉いわく「だってどうせもう行かないんでしょ」・・
そりゃそうかも知れないけど、そりゃないぜ。
姉は、クラス会の幹事的な活動をやっていたので、
今でも学校の動向は把握しているみたいです。
それに引き替え、私はそういった活動を殆どしないので、
可愛くない奴なんでしょうね。
クラス会と言ったって、
49歳の時に、品川・高輪のホテルでの同期会に行ったきりで、
在学中はパッとしなかった奴が取り仕切っていたり、
初恋の女性は来ていなかったり、
自分の思う様には行動できなかったり・・
でも「貴方が私の初恋でした」とある女性から打ち明けられた時は、
嬉しかったというより、何か複雑な思いがしました。
世間を見てみると、
こういったクラス会の幹事役を一手に受け負います、
といった会社があるくらいですから、
同窓会、クラス会、同期会といったイベントは、
いつまでも、いつまでも人の心の、ある意味(支え)なんですね。
社会的地位が有る無しに関係なく、
自分が今、在るのは、そこがあったからと思うからなんではないでしょうか。
母校が無くなるのは、心の支えを失うみたいで本当に悲しかった。
私の精神的支えでもあった、
東京都品川区立・城南中学校が廃校になってしまいました。
先日、何かでネット検索をしていたら、たまたま発見したのです。
それは、ショックでした。
心の中に何か穴でも開いた様な・・
何でしょうね、ポカーンとした気持ちでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d9/2bc895c3da2e3c440116912fd8763efb.png)
私は越境入学でした。
私の区域には別の中学校があり、そこが指定校だったのですが、
そこはあまり評判が良くないというので、
母親が多分、頑張ったのかの越境入学でした。
と言っても家から15分も歩くだけの事だったのですが。
城南中学は噂にたがわずに、いい学校だったと今でも思います。
その点では亡き母に感謝しています。
動画は、懐かしい校歌ですが、
50秒の所に、背の高い男性が唄わずに、首だけ振って立っています。
その先生は「遠藤孝一郎」先生といって、
在学中は本当に恐い理科の先生だったのです。
でも、自分が卒業して大人になると、
その先生が如何に(いい先生)だったかと思い、
その先生に「貴方は本当にいい先生でした。貴方の素晴らしさは、
大人になって初めてきがつきました」という、
ラブレターみたいな手紙を送った事があるのです。
遠藤先生の姿を見て泣けて泣けて・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/44/862c9ebda5ff64c7f4b98987860a64e9.jpg)
学校のセーラー服は、
赤いリボンの紺サージでした。
私はここで初恋を経験し・・・
それは人生にとって誰しも忘れられない初めての目覚めですから、
その重みはとても強いのですね。
彼女は一年生の時に何処かから転校生で入ってきたらしく、
紺サージではなく、黒いセーラー服を着ていました。
彼女がブラスバンドでクラリネットを吹いていた事が、
後々、私が高校でブラスバンド部に入るきっかけだったのです。
廃校になった事に驚いて姉に電話したら、
「そうよ~、知らなかったの~」だって。
全く、知ってりゃ何で連絡しないんだよ。
でも、姉いわく「だってどうせもう行かないんでしょ」・・
そりゃそうかも知れないけど、そりゃないぜ。
姉は、クラス会の幹事的な活動をやっていたので、
今でも学校の動向は把握しているみたいです。
それに引き替え、私はそういった活動を殆どしないので、
可愛くない奴なんでしょうね。
クラス会と言ったって、
49歳の時に、品川・高輪のホテルでの同期会に行ったきりで、
在学中はパッとしなかった奴が取り仕切っていたり、
初恋の女性は来ていなかったり、
自分の思う様には行動できなかったり・・
でも「貴方が私の初恋でした」とある女性から打ち明けられた時は、
嬉しかったというより、何か複雑な思いがしました。
世間を見てみると、
こういったクラス会の幹事役を一手に受け負います、
といった会社があるくらいですから、
同窓会、クラス会、同期会といったイベントは、
いつまでも、いつまでも人の心の、ある意味(支え)なんですね。
社会的地位が有る無しに関係なく、
自分が今、在るのは、そこがあったからと思うからなんではないでしょうか。
母校が無くなるのは、心の支えを失うみたいで本当に悲しかった。