一週間前に、一年に一度の楽しみである箱根駅伝が終わりました。
往路は東洋大学の完全優勝。
復路は青山学院の、これも完全優勝という珍しいパターンでした。
私が最も箱根駅伝に夢中になっていたのは、2000年前後で、
その頃は駒澤大学と順天堂大学とが競り合っていた頃でした。
その頃には青山学院などというのは出場すらままならずの時代で、
青山学院の存在など全く考えもしませんでした。
大学でも、高校でもそうですが、
学校のスポーツというのは時代と共に変化し、
学校側がそれに力を入れるか否か、いい生徒が集まるか否かで、
決定的に変わってしまうんですね。
最近の箱根駅伝では、
5区の、いわゆる山登りに注目が集まります。
それは2004年から2007年の山の神・今井正人。
2008年から2011年の、新山の神・柏原竜二の大活躍で、
5区だけで一気に形勢が逆転してしまうというドラマが、
あまりにも衝撃的だったからです。
1区から4区までの積み重ねが、全く無意味になってしまうというと言い過ぎですが、
結果的にそうなってしまい、5区を見直そう的な発言も散見されました。
さて、それほど大活躍をして社会人になった柏原竜二は、どうなったのでしょう?
彼はたった27歳で陸上を引退してしまったのです。
では今井正人は・・
2014年の別府大分毎日マラソンでの2位が最高成績とふるいません。
そもそも箱根駅伝は、
金栗四三が「世界に通用するマラソンランナーを作ること」を目標にして、
1920年に始めた競技でした。
その中から最も成功したのは瀬古利彦ではないかと思います。
全マラソン参加15回中、10回の優勝。
最高タイムは2時間8分27秒。
これは当時の記録として、悪い方ではありませんでした。
では今井正人は・・・2時間7分39秒。
柏原竜二は・・・・・2時間20分45秒。
彼等の後に続いた山の神・・神野大地は・・2時間12分50秒。
こんなタイムでは現在の世界的レベルから言えば通用しないのです。
つまり金栗四三の提唱した世界的ランナーは育ってはいないのです。
1993年から1996年にかけて、
早稲田には渡辺康幸という1年生から4年生まで、
ずっとスターであり続けた選手が居ました。
彼ほどマラソン界の期待を一身に受けた選手も居なかったでしょう。
しかし、彼は大成せずに鳴かず飛ばずで選手生命を終えてしまいました。
どうして箱根駅伝の選手から世界的ランナーが出ないのでしょう?
箱根は20キロで燃え尽きてしまってもいいのです。
これでは42キロには対応は出来ません。
マラソン対応の出来る体を作る為に、
箱根駅伝に42キロの区間を設けるべきだといった意見もあります。
専門的な事は私には分かりませんが、
専門家の方々から叱られるのを承知で私見を言いますと、
私は「箱根の選手は箱根で終わっていい」と思っています。
極論ではありますが、本当にそう思っているのです。
私が夢中になって見ているのは「箱根駅伝」であって、
マラソンなどは、それほど夢中になってまでは見ていないのです。
見てもアフリカ勢に押されっぱなしの2時間など、
見ていてもあまり面白くはありません。
それよりも、20キロという距離で完全燃焼し切ってしまう箱根を見ている方が、
よっぽど面白く、胸を打たれるのです。
本当にマラソンの専門家の方々には申し訳ないのですが、そうなんです。
今や正月の一大イベント。
日本中がというと大袈裟ですが、NHKの紅白に匹敵する、
あるいはそれ以上に日本中が熱狂する大ドラマとなっています。
私は、それでいいと思っています。
彼等の中から世界的マラソンランナーが出て欲しいなどとは思っていないのです。
箱根は箱根のままでいい、大学生のままで燃え尽きてしまっていいと思っているのです。
大学を卒業と共に選手生命も終わりで、一般の社会人になればいいと思っています。
ではマラソンランナーは、どうやって育てるのか?
それは知りません。
無責任極まりないのですが、それは専門家の方々でやって下さい。
でも、現在の箱根からは育っていかないのではないでしょうか。
マラソン界の危機です、それはいつも感じています。
結論ですが、箱根は箱根だけでいい。
そう思っているのです。