最近、私のブログは歌声関係ばかりで「面白くない」と思われていた方、
ハ~イ、お待ちどうさまでした~。
久々の軍艦ネタですよ~。
ハッキリ言います、私自身も軍艦ネタが書きたかったんだよ~ン。
さてと、今回の軍艦ネタはですね~、
史上最大の海戦。
お分かりでしょうが、ジュットランド海戦です。
あるいはユトランド海戦とも言います。
場所はデンマークのユトランド半島沖。

これは、まさに(空前絶後)と断言してもいいでしょう。
今後、海を舞台として国家を揺るがす海戦など起こり得ないと思われるからです。
心ウキウキ、胸がドキドキしますね~。
それはまさに海のロマンとでも言いましょうか・・・
さて、時は第一次世界大戦のさなか。
1916年3月31日。
もう101年の歳月が経っているんですね。
イギリス海軍の海上封鎖により、ドイツの戦略物資は枯渇していました。
ドイツ海軍は戦局を打破する為に、
水上艦艇を攻勢的に使用し、イギリス艦艇と決戦を交え、
ドイツ海湾封鎖を破り物資の輸入を企画します。
ドイツ海軍はイギリス海軍との艦隊同士の決戦は避け、
誘導分離した敵部隊を撃滅する方針でした。
通信信号でドイツ海軍の出撃を知ったイギリス海軍は、行動を開始。
ドイツ海軍を率いるのは、ラインハルト・シェアー中将。
イギリス海軍は、サー・ジョン・ジェリコ大将。
参加艦艇は、イギリスが151隻。ドイツが99隻。
双方合わせて250隻という途方もない数でした。
イギリスの戦艦は28隻。ドイツは16隻。
巡洋戦艦は、イギリス9隻、ドイツは5隻でした。
海戦が始まったのは、午後2時18分からでしたが、
本格的な主力艦同士の一騎打ちが始まったのは、
夜6時30分から8時30分までの2時間でした。
両軍は激しく砲火を交えます。
ドイツの軍艦はイギリスに比べ、射撃能力に優れ、命中率が高かった。
また、火薬庫などの防御など細かい注意を払い、防御力の強化を行っていました。
その結果、イギリスは3隻の巡洋戦艦が轟沈します。
(轟沈・・瞬時に沈没すること。)
インヴィンシブル・・クイーンメリー・・インディファティガブル。

巡洋戦艦・インヴィンシブル・・17500トン

巡洋戦艦・クインメリー・・26700トン

巡洋戦艦・インディファティガブル・・18500トン

これを見た、ビーティー中将は、
「私らの艦(ふね)は、どこかがおかしい」と息を飲みながら落胆します。
これは有名なセリフです。
(速力こそが最大の防御)だと造られた巡洋戦艦という艦種。
同じ大きさでも、戦艦は攻撃力、防御力が優れています。
しかし巡洋戦艦は戦艦に比べスピードが速く造られています。
それは大きなエンジンが搭載されているからです。
さて、その分、防御は脆弱になってしまいます。
その脆弱性が、彼女達の命とりとなってしまったのです。
インヴィンシブル・・・・・1032人中6人が生存。
クイーンメリー・・・・・・1275人中9人 〃
インディファティガブル・・1019人中2人 〃
つまり3326人中、生存者は、たった17人。殆ど200人に一人。
海戦の戦死者は、イギリス6094人。
ドイツは2551人。
主力艦の損失はイギリスが巡洋戦艦3隻。ドイツは戦艦1隻。
トン数では、イギリス11万3000トン。ドイツ6万2000トンでした。
海戦終了後は双方とも、自国の勝利を主張します。
しかし、イギリはドイツより多くの乗組員を失い、
またドイツの作戦も失敗に終わりました。
戦術的にはドイツの勝利、
戦略的にはイギリスの勝利だったのでしょうか・・?
しかし、イギリ海軍は、
自国の誇る巡洋戦艦3隻がなすすべなく轟沈させられた事実の反省が足りず、
その25年後の1941年に、
再びドイツ戦艦(ビスマルク)との砲戦で、
世界最大を誇った巡洋戦艦フッドを轟沈させられてしまうという大失態を演じてしまいます。
史上最大の海戦・ジュットランド海戦は、
翌4月1日に、竜頭蛇尾の内に終了したのです。
第二次世界大戦となると、
もう軍艦・・特に戦艦の時代は終わりとなってしまっていて、
本格的な壮大な海戦はあまり起こらなかったのです。
フィリピンを主戦場にした、レイテ沖海戦あたりが、
海戦としての最終章だったのかも知れません。
海戦というのは、多くの死者が出る悲惨な戦争ではありますが、
また、ある種ロマン漂う昔話とも言えるのですね。
ハ~イ、お待ちどうさまでした~。
久々の軍艦ネタですよ~。
ハッキリ言います、私自身も軍艦ネタが書きたかったんだよ~ン。
さてと、今回の軍艦ネタはですね~、
史上最大の海戦。
お分かりでしょうが、ジュットランド海戦です。
あるいはユトランド海戦とも言います。
場所はデンマークのユトランド半島沖。

これは、まさに(空前絶後)と断言してもいいでしょう。
今後、海を舞台として国家を揺るがす海戦など起こり得ないと思われるからです。
心ウキウキ、胸がドキドキしますね~。
それはまさに海のロマンとでも言いましょうか・・・
さて、時は第一次世界大戦のさなか。
1916年3月31日。
もう101年の歳月が経っているんですね。
イギリス海軍の海上封鎖により、ドイツの戦略物資は枯渇していました。
ドイツ海軍は戦局を打破する為に、
水上艦艇を攻勢的に使用し、イギリス艦艇と決戦を交え、
ドイツ海湾封鎖を破り物資の輸入を企画します。
ドイツ海軍はイギリス海軍との艦隊同士の決戦は避け、
誘導分離した敵部隊を撃滅する方針でした。
通信信号でドイツ海軍の出撃を知ったイギリス海軍は、行動を開始。
ドイツ海軍を率いるのは、ラインハルト・シェアー中将。
イギリス海軍は、サー・ジョン・ジェリコ大将。
参加艦艇は、イギリスが151隻。ドイツが99隻。
双方合わせて250隻という途方もない数でした。
イギリスの戦艦は28隻。ドイツは16隻。
巡洋戦艦は、イギリス9隻、ドイツは5隻でした。
海戦が始まったのは、午後2時18分からでしたが、
本格的な主力艦同士の一騎打ちが始まったのは、
夜6時30分から8時30分までの2時間でした。
両軍は激しく砲火を交えます。
ドイツの軍艦はイギリスに比べ、射撃能力に優れ、命中率が高かった。
また、火薬庫などの防御など細かい注意を払い、防御力の強化を行っていました。
その結果、イギリスは3隻の巡洋戦艦が轟沈します。
(轟沈・・瞬時に沈没すること。)
インヴィンシブル・・クイーンメリー・・インディファティガブル。

巡洋戦艦・インヴィンシブル・・17500トン

巡洋戦艦・クインメリー・・26700トン

巡洋戦艦・インディファティガブル・・18500トン

これを見た、ビーティー中将は、
「私らの艦(ふね)は、どこかがおかしい」と息を飲みながら落胆します。
これは有名なセリフです。
(速力こそが最大の防御)だと造られた巡洋戦艦という艦種。
同じ大きさでも、戦艦は攻撃力、防御力が優れています。
しかし巡洋戦艦は戦艦に比べスピードが速く造られています。
それは大きなエンジンが搭載されているからです。
さて、その分、防御は脆弱になってしまいます。
その脆弱性が、彼女達の命とりとなってしまったのです。
インヴィンシブル・・・・・1032人中6人が生存。
クイーンメリー・・・・・・1275人中9人 〃
インディファティガブル・・1019人中2人 〃
つまり3326人中、生存者は、たった17人。殆ど200人に一人。
海戦の戦死者は、イギリス6094人。
ドイツは2551人。
主力艦の損失はイギリスが巡洋戦艦3隻。ドイツは戦艦1隻。
トン数では、イギリス11万3000トン。ドイツ6万2000トンでした。
海戦終了後は双方とも、自国の勝利を主張します。
しかし、イギリはドイツより多くの乗組員を失い、
またドイツの作戦も失敗に終わりました。
戦術的にはドイツの勝利、
戦略的にはイギリスの勝利だったのでしょうか・・?
しかし、イギリ海軍は、
自国の誇る巡洋戦艦3隻がなすすべなく轟沈させられた事実の反省が足りず、
その25年後の1941年に、
再びドイツ戦艦(ビスマルク)との砲戦で、
世界最大を誇った巡洋戦艦フッドを轟沈させられてしまうという大失態を演じてしまいます。
史上最大の海戦・ジュットランド海戦は、
翌4月1日に、竜頭蛇尾の内に終了したのです。
第二次世界大戦となると、
もう軍艦・・特に戦艦の時代は終わりとなってしまっていて、
本格的な壮大な海戦はあまり起こらなかったのです。
フィリピンを主戦場にした、レイテ沖海戦あたりが、
海戦としての最終章だったのかも知れません。
海戦というのは、多くの死者が出る悲惨な戦争ではありますが、
また、ある種ロマン漂う昔話とも言えるのですね。
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