17.3.3.
3月3日(金)は、恒例の久留里の歌声喫茶に行きました。
その時、私の目の前で、
(度肝を抜かれる)事が起こりました。
採譜・・音楽の演奏を聴いて、それを楽譜に書き取ること。
私はそんな事を見たのは初めてでした。
それが、いとも簡単にあっけなく自分の目の前で起こっていたのですから、
まさに、度肝を抜かれました。
しばし、その女性の顔を眺めていました。
「この女性って、一体どんな仕組みになっているんだろう?」
訊くと、ある時、初めて聞く歌があって、
その歌を覚えたいなと思ったのですが、その為には楽譜が要る、
でも楽譜は無いので、それだったら自分で書けばいいと書き出したそうです。
それで、自分にはそういった特技がある事を知ったそうです。
私はそれを物凄い特技だと感じるのですが、
音楽を専門的にやっている方たちから見れば、
そんな事は、当たり前なんでしょうか?
それとも、そういった方たちから見ても、凄い事なんでしょうか?
それは私は知りませんが、とに角、度肝を抜かれてしまいました。
「絶対音感が有るのですか?」と訊いたら、
あっさりと、気が付いたらそれを持っている事に気づいたと言ってました。
いやはや、仮にも私は青春時代に音楽のプロになりたいと思った事もあるのです。
そういった私など彼女から見れば、あまりに馬鹿げていると見えるのかも知れません。
あまりにも違い過ぎる才能です。
クヤシイ、でも・・やっぱりクヤシイ。
彼女は素晴らしい美声で歌を唄います。
そして、音楽的才能は、間違いなく私より上。
高校時代に「ラッパの演奏だったら俺は誰にも負けない」などと、
井の中の蛙だった私の鼻っ柱を叩き折ってしまいました。
仙台バラライカの南部さん親子とか、
ピアノの桃ちゃんとか、
歌声喫茶を知ってから、色々な音楽的才能に溢れた人達に出会い、
私は、過去の自分が如何に(井の中の蛙大海を知らず)かと、
痛切に思い知らされました。
本当にクヤシイ、情けない、絶望感を感じます。
自分が、あのままユーフォニアム又はチューバを吹いていたら、
その時に彼等に出会ったら、
それが私にどんな影響を与えたのか?
あるいは、その時の私は、
今では考えられない程、己に音楽的才能がある事を知ったのか?
まるで判らない。
でも、今の私には彼等は(天才)に見えるのです。
だから、クヤシイ。
私の残された人生で、音楽的才能を開花させる事などは、あり得ません。
ただノーテンキに唄っているしか、もうできません。
やっぱり俺はもっと音楽をやりたかったな~。
ほんとに今日は悩ましい日になってしまいました。
3月3日(金)は、恒例の久留里の歌声喫茶に行きました。
その時、私の目の前で、
(度肝を抜かれる)事が起こりました。
採譜・・音楽の演奏を聴いて、それを楽譜に書き取ること。
私はそんな事を見たのは初めてでした。
それが、いとも簡単にあっけなく自分の目の前で起こっていたのですから、
まさに、度肝を抜かれました。
しばし、その女性の顔を眺めていました。
「この女性って、一体どんな仕組みになっているんだろう?」
訊くと、ある時、初めて聞く歌があって、
その歌を覚えたいなと思ったのですが、その為には楽譜が要る、
でも楽譜は無いので、それだったら自分で書けばいいと書き出したそうです。
それで、自分にはそういった特技がある事を知ったそうです。
私はそれを物凄い特技だと感じるのですが、
音楽を専門的にやっている方たちから見れば、
そんな事は、当たり前なんでしょうか?
それとも、そういった方たちから見ても、凄い事なんでしょうか?
それは私は知りませんが、とに角、度肝を抜かれてしまいました。
「絶対音感が有るのですか?」と訊いたら、
あっさりと、気が付いたらそれを持っている事に気づいたと言ってました。
いやはや、仮にも私は青春時代に音楽のプロになりたいと思った事もあるのです。
そういった私など彼女から見れば、あまりに馬鹿げていると見えるのかも知れません。
あまりにも違い過ぎる才能です。
クヤシイ、でも・・やっぱりクヤシイ。
彼女は素晴らしい美声で歌を唄います。
そして、音楽的才能は、間違いなく私より上。
高校時代に「ラッパの演奏だったら俺は誰にも負けない」などと、
井の中の蛙だった私の鼻っ柱を叩き折ってしまいました。
仙台バラライカの南部さん親子とか、
ピアノの桃ちゃんとか、
歌声喫茶を知ってから、色々な音楽的才能に溢れた人達に出会い、
私は、過去の自分が如何に(井の中の蛙大海を知らず)かと、
痛切に思い知らされました。
本当にクヤシイ、情けない、絶望感を感じます。
自分が、あのままユーフォニアム又はチューバを吹いていたら、
その時に彼等に出会ったら、
それが私にどんな影響を与えたのか?
あるいは、その時の私は、
今では考えられない程、己に音楽的才能がある事を知ったのか?
まるで判らない。
でも、今の私には彼等は(天才)に見えるのです。
だから、クヤシイ。
私の残された人生で、音楽的才能を開花させる事などは、あり得ません。
ただノーテンキに唄っているしか、もうできません。
やっぱり俺はもっと音楽をやりたかったな~。
ほんとに今日は悩ましい日になってしまいました。