河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

プラモデル戦艦の製作

2016-01-24 07:13:15 | 軍艦
世界で一番美しい軍艦(ドイツ戦艦・シャルンホルスト)32000トンは、
私がかなり以前から「部屋の中に飾っていたい」という願望を持っていた軍艦です。

今から10年くらい前、ある美大出身の女性と知り合いました。
私は、その女性に戦艦シャルンホルストの油絵を描いて欲しいとお願いしました。
1メートルくらいの油絵です。
しかし、彼女に戦艦の写真などの資料を見せたりして何度も逢っているうちに、
親子ほどの歳の差の、その女性とお互いに恋心が芽生えてしまい、
何度かデートの様な逢引きがあったりで、
戦艦絵画の話は結局、立ち消えになってしまいました。

以来、願望だけが残ったままでしたが、
昨年、ネットでようやくシャルンホルストの完成品を4万円で買う事が出来ました。
・・っと思ったら、それは完成品ではなく、何とプラモデルのキットだったのです。
それ以来、この4万円の物体をどうするかが私の悩みとなりました。

電車模型など、模型製作の出来る知人が居たので、製作依頼話をしましたが、
その方は、ネットで軍艦プラモデル製作を検索した結果、
「塗装が手に負えない」という結論に達し、依頼を断ってきました。
それは、ある程度予想はしていたのですが、困った結果でもありました。

しかし、その方の話から、ある大きな模型屋さんに行って来たら、
そういった模型製作専門の会社がある事を教えてくれました。

その一軒は九州・熊本の会社で、
製作費は20~30万円。送料は10万円でした。
もう一軒は、私の住む府中とはごく近くの多摩市にあり、製作費は18万円という事です。

「18万円か~!」
4万円と合わせると22万円。悩むよな~。
4万円で長らくの願望だった戦艦シャルンホルストが手に入ったと思ったのに、
それが、22万円になるとはな~・・・



これは全長85センチの完成品(戦艦ビスマルク)で、71000円。



これはやはり戦艦ビスマルクの完成品、全長1メートルで75000円です。

戦艦ビスマルク(42000トン)は、ドイツ最大の戦艦で、
日本の戦艦大和が出来る前は、世界最大最強の戦艦でした。
ドイツの軍艦は、戦艦も重巡洋艦も形が酷似しています。
それは敵の目をあざむくという利点があるのです。

私の好きなシャルンホルスト(32000トン)とビスマルク(42000トン)も、
その姿が酷似していますが、
戦艦マニアにとっては、その差は大きいのです。
大きいのこそ‘いい‘のではなく、
あくまでも、世界一美しい事、その事に意義があるのです。

日本人の戦艦礼拝は、戦艦大和に尽きますが、
戦艦大和を私はそれほど美しい戦艦とは思っていません。
シャルンホルストの姿の美しい事と言ったら、まさにウットリするのです。

なので、姿が酷似しているからといって、ビスマルクでいい、ではなく、
あくまでもシャルンホルストでなければならないのですね。

しかし、7万円程度で買えるのが有るというのに、
22万円とはな~・・・心が複雑だよ。



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初詣

2016-01-20 22:30:15 | 日記
今年の初詣は、やはり・・と言うか鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおか)に行きました。

去年の初詣は、府中に居を構えた事で、地元の、
府中、大國魂神社(おおくにたま)に行ったのですが、
やっぱり鶴岡八幡宮が私の好みでした。

さて、一体私が(初詣)なるセレモニーに行く様になったのは・・・
あの中国人妻と結婚してからだった様に思えるのです。

若い頃、私の家では初詣という習慣はありませんでした。
それがいつの頃か、そういった日本古来の習慣をする様になっていたのです。

初詣・・それは実に気持ちのいいものなんですね。
今では逆に、行かないと何だか気持ちが落ち着かなくなってしまったのです。

今迄に行った事のある神社は、
鎌倉・鶴岡八幡宮。・・寒川・寒川神社。・・川崎・川崎大師。
府中・大國魂神社。・・箱根・箱根神社などですが、
やはり、最もムードが気に入っているのは鎌倉・鶴岡八幡宮なんです。

ところで、賽銭箱にいくらのお金を投げるのか?
私は、今までは100円だったと思うのです。
それがつい最近、知ったのですが、
15円が‘いい‘らしいのです。
つまり「充分にご縁がある」
また、45円も‘いい‘らしいです。
これは、「始終ご縁がある」
ダメなのは500円。
これは、これ以上‘上‘が無い。・・それって良くないよね。

初詣に行くと、各種の「お守り」を買ってきます。
「家内安全」「交通安全」単に一般的な「お守り」
それだけで、4~5000円になります。
でも(損)をしたなんて気には全くなりません。
それをしないと新年が始まらないと思っています。

そして、「おみくじ」は必ず買います。
今年、私は(小吉)でした。
妻のエリカさんは(中吉)でした。
とても、いい事ばかり書いてあった様な・・・

いつだったか?
前の妻は鎌倉・鶴岡八幡宮の「おみくじ」で(大凶)を引いたのです。
大凶・・これ以上は無い、最悪の札。
妻は、同じ漢字の国の人間ですから、その意味を理解しています。
その一年間の妻の落ち込みったら、ありませんでした。

私は「神社と言ったって、客商売だろがッ!。
大凶なんて札を入れる事はないだろう」神社を恨みました。
そうなんです、「おみくじ」とか言っても、
要は「いい事」だけ入れてりゃいいんですよね。
まして(正月)くらいは「いい顔」してりゃいいんですよね。


さて・・来年の初詣は・・・
地元という事で、「高尾山」なんて選択肢もあります。
行ってみなけりゃ分かりませんが、
何だかとっても‘いい‘感じに思えるのです。

ところで、妻のエリカさんは、大の山嫌い。
さて、高尾山は‘吉‘と出るか‘凶‘と出るか・・?
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希望のささやき

2016-01-19 06:21:37 | 歌声喫茶
19.4.27.希望のささやき・船橋ゴリ


歌声喫茶にはまって、最初にリクエストした歌が、
この「希望のささやき」でした。

この歌は学校では習わなかったのですが、
私が何故この歌を知っていて、好きなのかは知りませんでした。
今から数年前になって、母の残したある文章を発見しました。
タイトルは『来世もまた』というものでした。

それは母が61歳の時に読売新聞社主催の、
「日本のお母さん」というコンテストがあり、母はそれに選ばれ、
30人くらいの人達と一緒にご褒美の沖縄旅行に行ったのです。
そんな写真と共に、そのノートがあり、
コンテストに当選したその文章があったのです。

文章には「母子家庭の私は、この子達と共に唄った(希望のささやき)・・
そして、自分が死んでも又この子達と共に人生を歩んで行きたい」
といった内容でした。
それで初めて、私が「希望のささやき」をよく知っている訳を知りました。


母が亡くなった時、母の意思で葬式はせずに、
ごく身内だけで火葬場で見送ったのですが、
私の意向で母との思い出の歌である、
「希望のささやき」を全員で唄い母を見送りました。
しかし、唄い出して間もなく私は胸が詰まって唄えなくなってしまいました。
親戚にはまだ正式には紹介してなかったエリカさんが、
一生懸命頑張って唄ってくれたので助かりましたが。

昨年末の「久留里の歌声JOY]の忘年会で、この歌を唄ったのですが、
一体どうしたと言うのか、あれから何年も経つというのに、
急に母を想い出して涙ぐんで声を詰まらせてしまいました。

そんな訳で、私にとっては大切な歌、大好きな(こだわり)の歌でもあります。
特に、この由紀さおり・安田祥子姉妹の歌は綺麗でいいですね。

残念なのは2番の歌詞。
「いよよ更け行きて」が「いよよわけゆきて」
と誤って今だ一部に伝承している事です。
夜は更けていくもので、わけゆきて、では意味不明ですね。

でも、まだこの「わけゆきて」に、こだわる人が居ます。
一旦誤って伝承してしまう弊害の顕著な例と言えます。

私は、この歌は綺麗に正しく唄って欲しいという強い思いがあります。

コメント (2)
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夜行バスは、もう乗れないな

2016-01-17 06:44:27 | 日記
14人の若者たちを死なせた、今回の夜行スキーバス事故。

14人という数字はあまりにも大き過ぎるし、
それが20歳前後の(これから)という若者たちだった事に胸が痛みます。
出来る事なら私の様なロートルおじさんが変わってあげたかったよ。
だって、彼等の人生の本番はこれからだったんだからね。
これから先が人生の(華)だったんだからね。

まだ人生の華を見ずに、華とはどんなにか素晴らしい事かと思いを馳せながら、
これから先、一体何が起こるんだろう、私の人生って・・・
そんな事も経験しない内に「ハイ、あんたの人生はここまでね」と決められる悲しさ。
そりゃないよ、そんな理不尽な事ってないよ。

私も過去に夜行バスの経験があります。
(さわやか信州号)
上高地や、尾瀬に行く夜行バスでした。
でも、運転経験者というのは、何か気になってあまり熟睡が出来ないんですね。
自分が車を運転する経験が、何故か危険を感じてしまうんです。
これが夜行列車だったら、間違いなく熟睡するのにね。

歌声喫茶・仙台バラライカに通う為に何回か高速バスに乗った事があります。
でも、それは昼間のバス。
新幹線だと2時間前後で行くのを、5時間半で行くのです。
確かに料金は安いけど、もうやめようとエリカさんと決めています。
最近のバスは3列シートが多いのです。
それは、つまり隣同士の会話がしにくいのです。

一人で乗る人が大多数の高速バスでは、
知った顔同士の仲間会話は多くの人達にはうっとうしいのです。
黙って静かにバスに乗っていたいのです。
だからバラライカ詣は新幹線で決まりです。

それはそれとして、
夜行バスというのは、やはり問題点が多いと思います。
どんな運転手なのかは皆目分からないし、運転の仕方、クセも分かりません。
中には(彼は居眠り運転をよくする人だ)と仲間内で言われている運転手かも知れません。

飛行機はというと、それはもう観念するしかありませんね。
電車は・・・そんな事を考えた事もありませんね。
船は、考える事すらしません。
ではバスは・・・選択肢は他にもあるので、変えればいいのです。
多少、料金は高くても電車などにすればいいのです。

でも今回の事故の犠牲者は殆どが若者たち。
お金がいっぱい有る筈もなく、やはりの夜行バス。
それは仕方のない事ですが、そこが悲しいですね。

数年前にも、バスがガードレールに串刺しになって、
あの時は7人くらいの人が亡くなりました。
そういった事で今回の事故を振り返ると、
これからは夜行バスに乗る人が、かなり減るのではないでしょうか?

少なくとも、私はもう夜行バスには乗らない様にしようと感じました。
事故に遭うと何だかとっても痛そうだし、
痛いのって、基本的に痛いんですから、そ~ゆ~のって嫌いなんですね。
ケンカの時も、鼻を殴られるのって実に痛くて嫌になります。
鼻血は出るし、アッタマに来るし・・あ、そ~ゆ~問題じゃなかったね。

とにかく、夜行バス・・やめた方がきっといいと思います。

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あんな経験は二度としたくない

2016-01-16 21:43:04 | 日記
あれは、娘が4歳の時の事でした。

当時、私達は相模原市(正確には小田急線の相武台前駅)に住んでいました。
賃貸のマンションだったのですが、
後になって(何でこんな場所に住んじゃったんだろう?)というくらい、
一日中、交通渋滞に悩まされるというとんでもない場所だったのです。

国道246号線と、国道16号線が交差し、
更に東名高速・横浜町田インターが追い打ちをかける目黒の交差点。
そこがネックとなって県央地区は一日中年がら年中の大渋滞。
そこを迂回する決め手が無いのです。

さて、その日。
妻と娘は中国に行く為に、私の車で成田空港へと向かいました。
娘がまだ小さいので、成田空港へは車でしか行った事はありませんでした。
妻は仕事の都合で一年間、中国に滞在予定です。
その間、私は一人で日本に居残りです。

フライト時間は正午くらいだったと思います。
成田空港へは3時間を見て行くというのが通例となっていました。
朝の7時に家を出ました。
成田着は10時前の筈でした・・・・・

あ~ッ、所が所が~~~~ッ!
家を出て一時間が経つというのに、走行距離は、たった8キロ。
成田空港へは130キロ。
残り122キロを2時間で行かなければなりません。

頭の中はもう(真っ白)
私も妻も会話などぶっ飛び、呆然自失。
身体中がガタガタと音を立てる程の衝撃。
なすすべ無し、車は大渋滞の中でまるで進まないのです。

後になって知ったのですが、
その日は3月25日の月曜日、おまけに雨が降っていました。

何だって、その日が最悪の日だったという事に気づかなかったんでしょうか?
つまり年度末の月曜日の5当日であり、そこに雨天という追い打ちだったのです。
これ以上の渋滞は一年を通じて、無いだろうという最悪日だったのです。

ジタバタ、ガタガタしつつ車はまるでナメクジが這いずる如くの進行。
会話など有る筈はありません。
誰を叱ると言ったら自分を叱るしかありません。
やっと東名高速に入ったのですが、
スピードはあまり上がる状態ではなく、相変わらず呆然自失状態。
東名高速の平均車速は40~50キロ程度。
その中を、私の車は皆さんからバカにされている事は百も承知で、
走ってはいけない路側帯を80キロくらいのスピードでの走行。

皆んなから何と言われ様が、バカにされ様が、やるしかなかった。
だって残り122キロを2時間で着かなかったら全てがオシャカなんですから。
しかし、絶対に事故る訳にはいきません。
でもぶっ飛ばすしかないのです。
この相反する行為を家族を乗せてやるっきゃ無いんです。
他の選択肢など全く無いんです。

その心境たるや、思い出しても足が震えます。
心臓が口から飛び出しそうになります。

ようやっと成田空港へ着きました。
時間は何とか10時前に着きました。
成田に着いたら一年間のお別れを惜しんで、喫茶店でコーヒーを飲んで・・・
といった予定は全てが吹っ飛んでしまい、
妻子とのお別れの情緒もへったくれも無く、あれよあれよの別離。
私は身体中の力が失くなってしまいました。

妻子の乗る飛行機が中国へ向けて飛び立つ姿を見送った後、
その日の予定は何も無かったので、
成田空港から相模原の家に向かって、私は有料道路は使わずに一般道で帰ってみました。
成田出発は午後1時。
相模原市の家に着いたのは、午後7時です。
何と6時間もかかったのでした。
これで「東京国際空港」だなんて言えますか?
あきれ返ってしまいました。


妻子が日本に帰国したのは、妻の体調もあって予定より早くなり9か月後でした。
4歳だった娘は5歳となり、日本語をまるで話せなくなっての帰国でした。
妻子と共に鎌倉に初詣に行った電車内では、
妻子は中国語だけでの会話。
夫である私は日本語だけの会話で、周囲の人達は怪訝な顔で見ていました。

娘は中国に行って最初の3か月間は中国語をまるで話せなかったのですが、
約3か月後のある日、突然ペラペラと中国語で話しだし、
周囲の人達をビックリさせたそうです。
子供って凄い能力を持っているんですね。

ちなみに娘は、オネショを全くしないという変な子でした。
私なんて相当遅くまでオネショをしていたんですけどね。


それはそれとして・・・・
あんな経験は二度としたくないッ!
本当に今思い出しても、気が狂いそうになります。
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