河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ミクシーの顛末

2016-01-29 16:43:37 | 日記

私のミクシー歴は、
2009年4月20日から始まり、2014年11月30日に終わりました。
5年7か月のミクシー生活でした。

その間に書いた日記は、約1400本。
大体3日に2本のペースでした。
私の(ミク友)は30人でしたが、
その中でも、私の日記は圧倒的とも言える多さでした。
他のミク友の日記を合計しても、私の日記には遠く及ばないという多さでした。
全くよく(書く)男だと自分でもあきれる思いです。

しかし、私の中から「ミクシー」は終わってしまいました。
何故かと言うと、
それはつまり皆さんが(飽きて)しまったからです。
最初、私がミクシーなる存在を知り、アクセスすると、
そこには多くの歌声仲間たちが居ました。
あの人も、この人もといった具合で、それを知った私は大喜び。
恐る恐るの日記投稿を始めてみると、
それに呼応した歌声仲間たちが、面白がってのコメント。

そうなんです、最初の頃はホントに面白かったのです。
私の名前「河童」もミクシーのハンドルネームから始まったのです。
ついでに妻の「エリカ」さんというのも、私が考えた名前です。

ミクシーやフェイスブックやツイッターといった、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がありますが、
要するにインターネット井戸端会議なんですね。
どれにしようかといった問題はありますが、
書かなきゃどこに入っても同じ。
つまりSNSなんて、どこでも(書いてなんぼ)の世界なんですね。
書かなきゃ、書く意思が無ければ何処に入ろうが一緒。

私のミクシー生活が終わってしまったのも、
結局は、誰もコメントを書かなくなってしまったからです。
どう転んでも30人の狭い世界で、誰もコメントを書かないのでは、まるで話になりません。
「読んでるよ、見てるよ」といくら言われたって、
コメントが無ければ、無意味なんですね。

ミクシーも他のSNSも(書いてナンボ)の世界。
書く気の無い人がいくら大勢寄り集まったって、何の意味もありません。

SNSに全く不向きな人というのがあります。

最も大事なのが、ユーモアセンスの有る無し。
これが無い人は、SNSの世界に入る資格はありませんね。
誰かが日記を書いていても、それをユーモアで受け取れなければ、まずダメですね。

ミクシーを討論、議論の世界だなんて錯覚をしている人は(退場)です。

誰かが書いた日記に、ユーモアも無しに、
大上段に議論をぶつけてくる様な人も(退場)
そういった場じゃないんですね。
みんなが‘‘面白がって‘‘ヤイノヤイノというのがSNSの世界。

要するに(井戸端会議)だと思ってりゃいいんです。
正統派の議論は、どっか他の世界で、勝手におやんなさいね。

私も知らず知らずの内に、フェイスブックに加入していたんだそうです。
でもね、それをやる気は更々ござんせん。
言ったでしょ、何処に入ったって同じなんですから。
最初だけなんですよ、面白がってコメントを書くのは。

実際、フェイスブックなんかを見ると、居る居る、歌声仲間たちが・・・
でも、どこも一緒で、コメントなど殆ど無いんですね。


そんなこんなで、私はブログの世界への引っ越し。
そこはコメントなど鼻から期待してないので、気楽気楽。
でもね、歌声会場で「見てますよ」なんて言われると、やっぱり嬉しくなります。
私のブログ「河童の歌声」は、
総数230万のブログの中で、時によってはランキング8000位以内だったりして、
まあまあのランキングですので、「いい線行ってる」と勝手に思っています。

でもね、寂しいね・・ミクシー。
楽しかったんだよね、ミクシー。

さようなら、さようなら・・・
復活する事は、現実的にはあり得ない。寂しいね。

コメント
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