河童の歌声

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もう俺には槍穂高は無いのか

2019-09-12 17:53:25 | 登山
60歳になる前にと挑戦した、槍穂高全山縦走。



あの時の鳥肌が立つ様な胸の震え。
上高地で登山者カードにルートを記入する時の、武者震い。
これから挑む、北アルプス最難関ルートを思うと、
「俺はひょっとして・・」と思わなかった言えば嘘になる。
現に私が縦走を果たした後、一か月間に3人がそのルートで死んだ。

奥穂高岳~槍ヶ岳間に在る(大キレット)は、
岳人憧れのルートと言われるが、過去2回そこを踏破した私にも、
西穂高岳~奥穂高岳のルートは、それとは一線を画した難関だった。

もう一度あそこをやれと言われたら、間違いなく二の足を踏む。
と言うか、もうあそこは二度と無理だと思う。



コースタイム9時間を、
私の年齢、体力では12時間かかると見ていた。
そして、結果はまさにその通りだった。
朝4時少し前の真っ暗な時間に、西穂高山荘を出発し、
独標、西穂高岳(ほとんどの登山者はここで西穂高山荘に引き返す)
この先へと足を踏み出したら、途中でやめたくてもやめる事は出来ない。
もう奥穂高岳まで行くしかないのです。
だから殆どの登山者は、西穂高岳から引き返すのです。

そこから何度も何度も、ピラミッドピークを登ったり下ったり繰り返し、
ジャンダルムを経由して、標高差823メートルを登り、
奥穂高山荘に着いたのは夕方の4時だった。



もう精も根も尽き果て奥穂高山荘前のテーブルにぶっ倒れて動けなかった。
動こうにも体は限界を超えて、ただ身体中で息をするのがやっとだった。





しかし、テーブルに大の字になってぶっ倒れたままの私は、
身体中で・・心の底から、
今まで味わった事のない達成感、充実感、満足感に、
我と我が身をたたえ、その達成に自分で自分にご褒美をあげたいくらいだった。
あんな感覚はそれまで味わった事はなかった。
この後、私は穂高山荘に一泊してから北穂高岳、
難所、大キレットを経由し、更に一泊して槍ヶ岳へと向かい、
槍穂高全山縦走を完成させるのですが。

あれから13年。

俺には、もう穂高は無いのかな~。





奥穂高を護るが如く聳える怪峰ジャンダルムに立つ事は二度と無いのかな~?
一歩足を踏み外したら一巻の終わりのジャンダルム。
多分、もうあり得ないだろうとは思うが、
となると、あの時の俺は、あの瞬間は、幸せだったな~と思うのです。



でも・・せめてもう一度、奥穂高岳の頂上に行ってみたい。
あの、日本一の山岳風景を、
圧倒的な360度の大展望を、この目でもう一度見てみたい。







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