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子供ながらの思いやり

2021-11-24 18:33:44 | 日記
小学校3年までを、目蒲線・洗足ですごした私でしたが。
丁度3年から4年生になる時に同じ品川区でも大井町に引っ越しをしました。
洗足が高級住宅地だったのに比べ、
大井町は下町的で、最初私はそういった雰囲気に中々馴染めませんでした。

今の時代は転校生はイジメの対象になったりする様ですが、
私の時代はまでそういった陰湿な事はなく、
転校生になった私はむしろ皆から珍しがれられ歓迎されたのでした。

あれは6年生になっていた頃だったか、
級友たち5~6人くらいで、友達仲間の家に行った事があります。





しかし、その彼(H君)の家はいわゆるクズ屋部落にありました。
今でこそ廃品回収業とか言われますが、
その当時、クズ屋というのはリヤカーで廃品を回収するのを皆が見ていて、
世間からさげすまれた職業で、クズ屋=貧乏人の極致的に思われていました。



でも、その彼(H君)は性格が明るく、みんなから愛されていました。
その一角は京浜東北線の線路沿いで、
その道は袋小路になっていたので、一般の人はまず立ち入る事はありません。
私達はその路地の入口まで来た時に、彼は「チョッと家に寄って来る」と小走りに行きました。
彼以外の皆は、お互いに顔を見合わせてそこから先に行く事をしませんでした。
彼だけが自分の家へ行き、皆は彼が戻って来るまでそこで待っていました。

彼が家を目指して去って行った時に、
誰かが言いました「行っちゃ悪いよ、ここで待ってような」
みんなは誰も反論などしませんでした。
みんな分かっていたのです。
見すぼらしい、掘っ建て小屋みたいな家など見られたくない、という事を。



子供と言ったって、みんなそういった優しい思いやりの心は共通でした。
あの頃はみんなが貧乏な時代。
その中でH君だけが飛びぬけて貧乏だったのですが、
皆は自分の両親たちも貧乏な中で精一杯頑張っているのを知っていて、
彼の辛さは自分達以上だと感じていたのですね。

あれは何の変哲もない、一瞬の時間でしたが、
今になって、あの一瞬の優しい思いやりだった時間が、
人生の中でどれだけ大切で美しい瞬間だったかと思い切なくなります。



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