昭和の電車 「伊豆急行」開通!大騒ぎぶりが微笑ましい❤電車の乗り方実習も!伊豆半島近代化の瞬間。
伊豆半島は、以前は伊東までしか鉄道がありませんでした。
それは関東に在る三浦半島、房総半島に比べると、まるで少なかったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/1e/8f3149fb5b106dc7e52a5f115df2383a.jpg)
三浦半島は半島の突端近くまで鉄道が在ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d2/f310946cd483922b6a3c19989c1fbfb8.jpg)
房総半島にも、三浦半島と同じくらいに鉄道が通っています。
房総半島は鉄道で半島を一周できるのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ef/d9685464102026ab0fe72c70d3da9dbe.png)
それに比べ、伊豆半島には伊東までと、
修善寺までとの2本だけ、半島の付け根くらいまでしか鉄道が無かったのです。
伊豆半島に鉄道を、というのは住民の悲願でした。
それまでは昭和13年に伊東まで国鉄(JR)伊東線が開通。
しかし、あくまでも伊東までであり、
住民の悲願である下田までの開通は中々実現しません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/71/1a817aa906e0fe97cd83422b19dc25b8.jpg)
これに立ち向かったのが、伊豆をこよなく愛した、
五島慶太率いる東急電鉄でした。
昭和31年、東急は伊東~下田間の鉄道敷設免許を申請します。
これは地元住民にとっては、まさに青天の霹靂でした。
明治以来の悲願達成の光になったのです。
昭和34年、免許申請から3年。
待望の鉄道敷設免許が交付されました。
そしてそれから2年後の、
昭和36年12月10日、伊東~下田間が開通したのです。
それは地元住民にはペリー提督の黒船来航以来の大事件でした。
まさに黒船騒ぎでした。
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房総半島や三浦半島に比べ、「眠れる獅子」状態だった伊豆半島。
遂に悲願の鉄道が下田までやって来たのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/da/04630ba38b1006083b9ef4d45be6d4e3.jpg)
しかし、開通を待たずに五島慶太氏は亡くなられてしまいました。
下田の寝姿山、山頂にはその碑が建っています。
私達、歌声バカ仲間達は、
横浜の歌声「星と涼風」主催の石原さんの故郷である下田で、
過去に2回(?)歌声喫茶の祭りの開催で下田へ行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/96/eef6c87ea0c32f9996943ede8d63f495.jpg)
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下田駅前のこのレストランで食事をしましたね。
ペンション「百万本のバラ」で宿泊して歌声喫茶もやりましたね。
本当に楽しかった。
コロナさえ無かったら、もう一度歌声を開催する直前までいったのに(涙)
それと話は違うのですが。
前田さん主催の「歌声バス旅行」で三浦半島に行った時に、
北久里浜駅の前をバスが通ったのです。
その駅はあちこちの歌声喫茶によく出没するS氏の住んでいる場所なんです。
彼は駅から更にバスで数十分行くそうです。
「へ~、こんな遠くから彼は来るんだ」とビックリしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b0/02da446a4faa0f5b4589a75001856942.jpg)
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コロナが終息したら、伊豆急の素敵な電車に乗って、
「百万本のバラ」で歌声喫茶をやりたいものですね。
伊豆半島は、以前は伊東までしか鉄道がありませんでした。
それは関東に在る三浦半島、房総半島に比べると、まるで少なかったのです。
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三浦半島は半島の突端近くまで鉄道が在ります。
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房総半島にも、三浦半島と同じくらいに鉄道が通っています。
房総半島は鉄道で半島を一周できるのですね。
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それに比べ、伊豆半島には伊東までと、
修善寺までとの2本だけ、半島の付け根くらいまでしか鉄道が無かったのです。
伊豆半島に鉄道を、というのは住民の悲願でした。
それまでは昭和13年に伊東まで国鉄(JR)伊東線が開通。
しかし、あくまでも伊東までであり、
住民の悲願である下田までの開通は中々実現しません。
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これに立ち向かったのが、伊豆をこよなく愛した、
五島慶太率いる東急電鉄でした。
昭和31年、東急は伊東~下田間の鉄道敷設免許を申請します。
これは地元住民にとっては、まさに青天の霹靂でした。
明治以来の悲願達成の光になったのです。
昭和34年、免許申請から3年。
待望の鉄道敷設免許が交付されました。
そしてそれから2年後の、
昭和36年12月10日、伊東~下田間が開通したのです。
それは地元住民にはペリー提督の黒船来航以来の大事件でした。
まさに黒船騒ぎでした。
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房総半島や三浦半島に比べ、「眠れる獅子」状態だった伊豆半島。
遂に悲願の鉄道が下田までやって来たのでした。
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しかし、開通を待たずに五島慶太氏は亡くなられてしまいました。
下田の寝姿山、山頂にはその碑が建っています。
私達、歌声バカ仲間達は、
横浜の歌声「星と涼風」主催の石原さんの故郷である下田で、
過去に2回(?)歌声喫茶の祭りの開催で下田へ行きました。
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下田駅前のこのレストランで食事をしましたね。
ペンション「百万本のバラ」で宿泊して歌声喫茶もやりましたね。
本当に楽しかった。
コロナさえ無かったら、もう一度歌声を開催する直前までいったのに(涙)
それと話は違うのですが。
前田さん主催の「歌声バス旅行」で三浦半島に行った時に、
北久里浜駅の前をバスが通ったのです。
その駅はあちこちの歌声喫茶によく出没するS氏の住んでいる場所なんです。
彼は駅から更にバスで数十分行くそうです。
「へ~、こんな遠くから彼は来るんだ」とビックリしました。
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コロナが終息したら、伊豆急の素敵な電車に乗って、
「百万本のバラ」で歌声喫茶をやりたいものですね。