河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

私の歴史的大事件

2024-06-09 05:49:01 | 日記
77歳となった「私の歴史的事件、事故」を振り返ってみました。
最初にあった大事件は、朝鮮動乱(当時は戦争ではなく、動乱と言っていた気がする)
しかし、これは私がまだ幼くて記憶としては無いのです。

最初の歴史的出来事は、
1   1958年の東京タワー完成です。
          これは当時、大井町の小学校から、その建設過程が見えていたので、
          印象が強いのです。
2   59年・・・当時の皇太子と民間人であった美智子妃殿下との結婚パレード
3   61年・・・ガガーリン、人類初の宇宙飛行
4   63年・・・ケネディー大統領暗殺
5   64年・・・東海道新幹線開業&東京オリンピック
6   68年・・・三億円事件
7   69年・・・人類、月面着陸(人間が初めて地球以外の星に行った)
8   70年・・・大阪万博
9   72年・・・あさま山荘事件(一日中テレビに釘付けだった)
10  75年・・・ベトナム戦争終結
11  85年・・・日航ジャンボ機、御巣鷹山に墜落
12  86年・・・チェルノブイリ原発事故
13  87年・・・大韓航空機爆破事件
14  89年・・・ベルリンの壁崩壊
15  95年・・・阪神淡路大震災
16   〃 ・・・地下鉄サリン事件。麻原彰晃逮捕
17 2001年・・JR福知山線脱線事故
18   〃  ・・アメリカ同時多発テロ
19   11年・・東日本大震災
20   20年・・新型コロナウィルス感染症流行

たまたま20個という区切りになったのは偶然です。
この中でも最も印象深いのは6個。
(追伸) 2001年のアメリカ同時多発テロを忘れていました。



1964年、東京オリンピック。
我が家では、これがあったからテレビを買ったのです。
そういった家庭はかなり多かったのだと思います。
あの、古関裕而作曲の「東京オリンピックマーチ」での晴れ晴れしい行進は、忘れられません。





1968年、21歳の時に起こった、世界の犯罪史の中でも極めて稀な完全犯罪でした。
その時、現金輸送車からボーナス3億円(現在の価値で20億円)
を奪われた東芝(府中工場)と近い、
東芝青梅工場に勤務していた妻の話では、
社内が蜂の巣をつついた様な大騒ぎになったそうです。
その犯行現場の府中にまさか住む事になろうとは思ってもいませんでした。





1985年、日航ジャンボ機御巣鷹山に墜落。
丁度、丹沢で母や姉、甥らとキャンプをしていて、
生存者がいると聞き、信じられない思いがしたのを、ハッキリと覚えています。
パイロットの言葉「これはダメかもわからんね」は、悲しかった。



1995年、地下鉄サリン事件。
その事件を知った私は、本能的に「これはオウム真理教の犯罪だ」と感じたのです。
何故、そう思ったのかは自分でも分かりません。



そして、遂に逮捕された教祖、麻原彰晃の姿。
山梨県、上九一色村のサティアンと呼ばれるオウム真理教の大捜索。
テレビにかじり付いて観ていました。





2011年、東日本大震災。
2万人を超える死者行方不明者を出した戦後最大の自然災害、
それは私が人生で初めて経験した大災害でした。
海外の戦争に対し「戦争ハンターイ」と拳を振り上げる人達に対し、
それは違うだろう。
現実に日本で、戦後最大の死者を出したこの災害こそ、「戦争」なんだ、
現場に行って現実を見るべきだと、フェイスブックやブログで私は声をあげました。



そして、2020年の新型コロナウィルス感染症による、世の中の大変化。
これまでの日本の歴史を塗り替えた大災害です。


こういった数々の事件、事故の歴史の中で、
私を最も変えたのは、東日本大震災とコロナです。
私の魂の根幹を根こそぎ変えてしまいました。

初めて日本で起こった戦争(津波)の恐怖。
昨日と同じ明日が来るという保証など、ないのだという現実。
新型コロナウィルスは、
他人事、外国の歴史に登場する災害だった筈なのに、
それが我が身に降りかかろうとは・・・
それからは、それまでの生き方を根本的に変えられてしまった。
人生の末期に至って、まさかこんな厳しい現実を生きる羽目になるとは・・
悲しいし辛い。

でも、私が生まれた頃に比べて、世界は良くなっている。
きっとそうなんだと思いたい。
そう思わなければ、頑張って生きてきた事が無駄になってしまう。
俺たちは、きっといい事をやってきたんだ、頑張ったんだ。
そう思って残された時間を精一杯生きよう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする