河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

世界最高峰になった町工場

2024-06-16 17:36:44 | 日記
世界最高峰、世界一、唯一無二になった町工場が日本に在ります。
その名は「ハードロック工業(株)」大阪に在ります。
1974年(昭和49年)創業。従業員90名。



2022年のNHK朝ドラに「舞い上がれ」という作品がありました。
大阪の町工場がネジ、ボルトに活路を見い出すみたいなストーリでしたが、
それと「ハードロック工業」との関連は知りません。

ハードロック工業は、世界で唯一無二の「ゆるまないネジ」を作ったのです。
厳密にいうとネジとボルトは似ていますが、少し違います。



これがネジ、板などに何かを固定する時に使いますが、これ1本で完結する部品です。
これに対しボルトは、ナットと一対になって初めて効力を発揮します。



ボルト(雄ねじ)とナット(雌ねじ)とで締め付けるのです。
中間にあるリングは、ワッシャーと言って、緩衝材にもなるし、
ボルト、ナットの緩みを緩和させる重要な役割を持っています。

しかし、このボルト、ナットには致命的な欠点があるのです。
長く使用したり、激しい振動だとゆるんでしまうのです。
その為に、重要な個所に使われている場合は、定期的な検査と、
ボルト、ナットの再締め付けは絶対に欠かせないのです。
しかし、これを忘れずに定期的に行うには時間と、労力が大変なのです。



この欠点を何とかしたいと20年以上に渡って苦心惨憺のあげく、
ゆるまないネジを開発し、ハードロック工業を立ち上げたのが、
浪速の発明王と言われた、若林克彦氏でした。



それまでのボルトナットはゆるまない様に、ナットを2枚重ねにしたりしたのですが、
それは緩まないのではなく、緩む時間を稼ぐ、単なる時間稼ぎでしかないのです。



そういった中で若林氏はUナットという部品を思い付き、販売を始めました。
これはそれまでの普通のナットと違い、緩まなくなりました。
売れ行きは上々だったのですが、その性能の良さに、思いもしなかった企業がそれを使い出しました。
重機といった企業でした。
そこでの使われ方は若林氏の予想を遥かに超えた、激しい振動の世界です。
たちまち故障、事故といった苦しい立場に追い込まれました。
その苦境時には、独自開発した卵焼き機や、トイレットペーパーホルダーを販売し、
耐え忍びながら、緩まないナットを想い続けていたのです。



そういった苦境の中で若林氏は「絶対に緩まないナット」に激しく意欲を持ち続けていました。
何年も思考に思考を重ねていたある日、若林氏は神社の鳥居に目が行きました。
縦と横の接点のある部品にハッと気がついたのです。
それは、くさびでした。
古くから日本建築に普通に使われているくさび。
それをボルトナットに応用できないか?





若林氏の考えたナットは、
まず下のナットを偏芯構造にする。
つまり穴の中心をずらして、斜めにしたのです。
その上から普通のナットを上から抑え込むと、下のナットは横から押さえ付けられるのです。
これが(くさび)の役目をするのです。

これによって、ボルトナットは絶対に緩まない盤石の性能となったのです。
それはアメリカNAS(米国航空規格)や、西ドイツの厳しい検査基準を超え、
唯一無二の(世界に冠たる)ボルトナットを完成させたのでした。
それは、中々緩まないではなく、絶対に緩まないのです。
普通のシングルナットは短時間で外れてしまい、
ダブルナットも、シングルより多少は長引いても、結局は外れるのに、
ハードロックは、白く引いた目印が、全く動かない完璧なナットなのです。

勿論、ハードロックのナットは在来の製品の何倍という価格になります。
それに反発した中国は、日本製を真似て独自の製品で、新幹線に使い出しました。







その結果が、2011年7月に、死者40人、負傷者約200人となったのです。
中国はこの結末を覆い隠そうと、事故車両をその場で埋めてしまうという、
国際的暴挙で対応しました。
本当にひどい国ですね。
また2002年5月にはロンドンで死者を出す事故を起こしています。
それも、ボルトナットの緩みが招いた事故でした。

現在、日本のハードロック工業社製品は、全世界に浸透しています。
その技術は秘密ではなく、オープンにしているのですが、
理屈は分かっていても技術的に真似できないのです。

日本人がこれほど誇りを持てる話はそう多くはないでしょう。
これはYouTubeなどで、沢山出ていますので、
是非、世界最高峰の物語を観てください。
感動しますよ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする