戦艦ビスマルク号の脅威 - The threat of Bismarck -
ドイツの戦艦・ビスマルクは、
世界最大の戦艦・・日本の戦艦・大和が現れるまで世界最大、最強の戦艦でした。
ビスマルクの名称は、
ドイツの鉄血宰相(意思強固な人物の形容に使われる)
オットー・フォン・ビスマルクから採っています。
ヒトラーもこの戦艦を気に入り、鉄の殿堂と讃えました。
1936年7月起工。1940年8月完成。
しかし、このドイツの誇りであった巨艦は、たった9か月の生命だったのです。
全長250,5m。全幅36m。138000馬力。速力30,8ノット(時速57キロ)
乗員2092名。15インチ(38センチ)砲8門。
イギリス海軍との合意であった35000トンを遥かに違反する、
41700トンの巨艦でした。
ドイツの軍艦は戦艦・重巡洋艦ともに、非常に流麗なスタイルをしています。
私は個人的に、最も美しい戦艦(軍艦)は、戦艦シャルンホルストと感じていますが、
それに次いで美しいと思うのがビスマルクです。
1941年5月18日。
ドイツ海軍は、イギリスの補給線を断つライン演習作戦を開始し出撃します。
当初は戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウも伴う筈でしたが、
両艦が共に修理中で出撃出来ず、
重巡洋艦プリンツ、オイゲンと2艦での出撃になりました。
5月24日。
イギリスの巡洋戦艦フッドと、
戦艦プリンス、オブ、ウェールズがビスマルクに接近してきます。
巡洋戦艦(戦艦と同じ攻撃力があるが、スピードが速い分、防御力に劣る)フッドは、
軍艦の専門家から、軍艦美の極致と讃えられた美しさと、
ビスマルク以前には、世界最大の戦艦でもあり(42000トン)
イギリス国民からマイティー(偉大なる)フッド。
強力で偉大で世界最強なフッドとして親しまれていました。
また、プリンス・オブ・ウェールズはワシントン条約を忠実に守った、
35000トン、新進気鋭の戦艦でしたが、
本当の意味ではまだ完成途中であり、艦には造船所の職員、工員などが乗っている状態でした。
その為に主砲は時々作動不良を起こしたりする状態だったのです。
5時24分。
距離24キロからフッドが先制攻撃を開始しました。
しかしフッドはビスマルクが先頭艦だと思い込み、重巡洋艦プリンツ・オイゲンに攻撃をしていたのです。
戦艦ビスマルク。戦艦シャルンホルスト。重巡洋艦プリンツオイゲンの3種類の軍艦は、
みな遠目に見ると錯覚を起こすくらいシルエットが共通なのです。
これはドイツが敵の誤認を狙って意識的にスタイルに共通性を持たせた為なのでした。
これによりフッドはビスマルクへの対応に遅れを取ってしまいます。
軍艦同士の戦闘にあまり乗り気でないギュンター・リッチェンス艦隊司令中将にしびれを切らせた、
ビスマルク艦長エルンスト・リンデマン大佐は、20キロの距離から砲撃命令を下しました。
6時01分。
距離17キロから放ったビスマルクの第5斉射(一斉射撃)がフッドに命中。
フッドは全艦が煙に包まれて一瞬、姿を消しますが、
煙が徐々に晴れてきた時、それを見ていた多くの将兵達は息を呑みました。
信じられない光景を目にしたからです。
フッドは真っ二つに裂け、艦首と艦尾がそれぞれ天を仰いで沈んでいく所だったのです。
全乗組員1415名中、生存者はたった3名だけでした。
その直後、プリンス・オブ・ウェールズは司令塔に直撃弾を喰い、
艦長一人だけが健在で、残りは全員が死傷してしまった為、退避行動を摂ります。
ビスマルク艦長、リンデマン大佐は強くプリンス・オブ・ウェールズ追撃を主張しますが、
司令長官のリッチェンス中将は攻撃中止を命令しました。
この時のビスマルク艦橋では攻撃の是非を巡り彼等の激しいやり取りがあったとも言われています。
しかし大佐が上官の中将に逆らう事は結局叶わずで、追撃は中止になりました。
ある軍事専門家は、
このプリンス・オブ・ウェールズ追撃中止が、
第二次世界大戦中、最も惜しかった点だと言っています。
もし追撃していたら、中破されていたプリンス・オブ・ウェールズが生き残る事は、
ほぼ出来なかっただろうと述べています。
しかし、ビスマルクもイギリス軍からの攻撃により、
海水3000トンの流入を招き、燃料タンクからは重油が漏れ出し、
作戦続行は不可能になってしまい、基地への帰還行動を摂ります。
僚艦プリンツオイゲンとは途中から別行動を摂った為に、
ビスマルクは単独での行動となっていました。
5月26日。
イギリスの空母、アークロイヤルから最後の望みをかけて攻撃機が飛び立ちました。
そうです、あのソードフィッシュです。
20時53分、
イギリスの時代錯誤の攻撃機、ソードフィッシュからの攻撃は、
ホンの気まぐれ、偶然の賜物といった風にビスマルクの舵を破壊したのです。
角度12度に傾いたまま、何としても舵が動かなくなってしまったのです。。
5月27日。
戦艦ロドニー。
私が以前、(世界一醜悪なスタイルの戦艦)と言った、あいつです。
戦艦キング、ジョージ5世は、
プリンス・オブ・ウェールズと同型艦。2艦とも35000トンの戦艦です。
舵の効かないビスマルクは、戦艦キング、ジョージ5世。戦艦ロドニー。
重巡洋艦ノーフォークに捕獲されてしまいました。
8時47分、攻撃開始。
戦闘開始から43分でビスマルクの全主砲が射撃不能になります。
イギリス軍の集中攻撃で艦上の構造物は破壊し尽くされ、
10時40分に、全艦火だるまのビスマルクは沈没します。
2206名中、生存者は115名でした。
ビスマルクを沈めたとはいえ、
イギリス国民の誇りであったフッドを沈められたイギリス海軍の怒りは収まらず、
その後ドイツ海軍に対する攻撃は、より徹底されたのでした。
世界中の海軍の中で、世界一強いのはイギリス海軍である事は間違いなく、
ここぞと思ったらなりふり構わずに徹底的な攻撃を集中してきます。
ビスマルク1艦を攻撃する為には、
今から行っても間に合わないという場所に居る軍艦にまで招集をかけ、
他の事などほったらかしにしてまでの徹底ぶり。
敵艦を見ただけでスタコラサッサと逃げ出すイタリア海軍など、
イギリスから見れば、痛くも痒くもないアホ海軍でしょうね。
ドイツはヒトラーが軍艦を失う事を嫌い、
海軍に対し、敵軍艦との交戦を避ける様に指示をしたりで、
司令官としても、中途半端になってしまう弱さが気の毒でした。
1960年のイギリス映画「ビスマルク号を撃沈せよ」に、
その戦闘の様が忠実に描かれています。
ドイツの戦艦・ビスマルクは、
世界最大の戦艦・・日本の戦艦・大和が現れるまで世界最大、最強の戦艦でした。
ビスマルクの名称は、
ドイツの鉄血宰相(意思強固な人物の形容に使われる)
オットー・フォン・ビスマルクから採っています。
ヒトラーもこの戦艦を気に入り、鉄の殿堂と讃えました。
1936年7月起工。1940年8月完成。
しかし、このドイツの誇りであった巨艦は、たった9か月の生命だったのです。
全長250,5m。全幅36m。138000馬力。速力30,8ノット(時速57キロ)
乗員2092名。15インチ(38センチ)砲8門。
イギリス海軍との合意であった35000トンを遥かに違反する、
41700トンの巨艦でした。
ドイツの軍艦は戦艦・重巡洋艦ともに、非常に流麗なスタイルをしています。
私は個人的に、最も美しい戦艦(軍艦)は、戦艦シャルンホルストと感じていますが、
それに次いで美しいと思うのがビスマルクです。
1941年5月18日。
ドイツ海軍は、イギリスの補給線を断つライン演習作戦を開始し出撃します。
当初は戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウも伴う筈でしたが、
両艦が共に修理中で出撃出来ず、
重巡洋艦プリンツ、オイゲンと2艦での出撃になりました。
5月24日。
イギリスの巡洋戦艦フッドと、
戦艦プリンス、オブ、ウェールズがビスマルクに接近してきます。
巡洋戦艦(戦艦と同じ攻撃力があるが、スピードが速い分、防御力に劣る)フッドは、
軍艦の専門家から、軍艦美の極致と讃えられた美しさと、
ビスマルク以前には、世界最大の戦艦でもあり(42000トン)
イギリス国民からマイティー(偉大なる)フッド。
強力で偉大で世界最強なフッドとして親しまれていました。
また、プリンス・オブ・ウェールズはワシントン条約を忠実に守った、
35000トン、新進気鋭の戦艦でしたが、
本当の意味ではまだ完成途中であり、艦には造船所の職員、工員などが乗っている状態でした。
その為に主砲は時々作動不良を起こしたりする状態だったのです。
5時24分。
距離24キロからフッドが先制攻撃を開始しました。
しかしフッドはビスマルクが先頭艦だと思い込み、重巡洋艦プリンツ・オイゲンに攻撃をしていたのです。
戦艦ビスマルク。戦艦シャルンホルスト。重巡洋艦プリンツオイゲンの3種類の軍艦は、
みな遠目に見ると錯覚を起こすくらいシルエットが共通なのです。
これはドイツが敵の誤認を狙って意識的にスタイルに共通性を持たせた為なのでした。
これによりフッドはビスマルクへの対応に遅れを取ってしまいます。
軍艦同士の戦闘にあまり乗り気でないギュンター・リッチェンス艦隊司令中将にしびれを切らせた、
ビスマルク艦長エルンスト・リンデマン大佐は、20キロの距離から砲撃命令を下しました。
6時01分。
距離17キロから放ったビスマルクの第5斉射(一斉射撃)がフッドに命中。
フッドは全艦が煙に包まれて一瞬、姿を消しますが、
煙が徐々に晴れてきた時、それを見ていた多くの将兵達は息を呑みました。
信じられない光景を目にしたからです。
フッドは真っ二つに裂け、艦首と艦尾がそれぞれ天を仰いで沈んでいく所だったのです。
全乗組員1415名中、生存者はたった3名だけでした。
その直後、プリンス・オブ・ウェールズは司令塔に直撃弾を喰い、
艦長一人だけが健在で、残りは全員が死傷してしまった為、退避行動を摂ります。
ビスマルク艦長、リンデマン大佐は強くプリンス・オブ・ウェールズ追撃を主張しますが、
司令長官のリッチェンス中将は攻撃中止を命令しました。
この時のビスマルク艦橋では攻撃の是非を巡り彼等の激しいやり取りがあったとも言われています。
しかし大佐が上官の中将に逆らう事は結局叶わずで、追撃は中止になりました。
ある軍事専門家は、
このプリンス・オブ・ウェールズ追撃中止が、
第二次世界大戦中、最も惜しかった点だと言っています。
もし追撃していたら、中破されていたプリンス・オブ・ウェールズが生き残る事は、
ほぼ出来なかっただろうと述べています。
しかし、ビスマルクもイギリス軍からの攻撃により、
海水3000トンの流入を招き、燃料タンクからは重油が漏れ出し、
作戦続行は不可能になってしまい、基地への帰還行動を摂ります。
僚艦プリンツオイゲンとは途中から別行動を摂った為に、
ビスマルクは単独での行動となっていました。
5月26日。
イギリスの空母、アークロイヤルから最後の望みをかけて攻撃機が飛び立ちました。
そうです、あのソードフィッシュです。
20時53分、
イギリスの時代錯誤の攻撃機、ソードフィッシュからの攻撃は、
ホンの気まぐれ、偶然の賜物といった風にビスマルクの舵を破壊したのです。
角度12度に傾いたまま、何としても舵が動かなくなってしまったのです。。
5月27日。
戦艦ロドニー。
私が以前、(世界一醜悪なスタイルの戦艦)と言った、あいつです。
戦艦キング、ジョージ5世は、
プリンス・オブ・ウェールズと同型艦。2艦とも35000トンの戦艦です。
舵の効かないビスマルクは、戦艦キング、ジョージ5世。戦艦ロドニー。
重巡洋艦ノーフォークに捕獲されてしまいました。
8時47分、攻撃開始。
戦闘開始から43分でビスマルクの全主砲が射撃不能になります。
イギリス軍の集中攻撃で艦上の構造物は破壊し尽くされ、
10時40分に、全艦火だるまのビスマルクは沈没します。
2206名中、生存者は115名でした。
ビスマルクを沈めたとはいえ、
イギリス国民の誇りであったフッドを沈められたイギリス海軍の怒りは収まらず、
その後ドイツ海軍に対する攻撃は、より徹底されたのでした。
世界中の海軍の中で、世界一強いのはイギリス海軍である事は間違いなく、
ここぞと思ったらなりふり構わずに徹底的な攻撃を集中してきます。
ビスマルク1艦を攻撃する為には、
今から行っても間に合わないという場所に居る軍艦にまで招集をかけ、
他の事などほったらかしにしてまでの徹底ぶり。
敵艦を見ただけでスタコラサッサと逃げ出すイタリア海軍など、
イギリスから見れば、痛くも痒くもないアホ海軍でしょうね。
ドイツはヒトラーが軍艦を失う事を嫌い、
海軍に対し、敵軍艦との交戦を避ける様に指示をしたりで、
司令官としても、中途半端になってしまう弱さが気の毒でした。
1960年のイギリス映画「ビスマルク号を撃沈せよ」に、
その戦闘の様が忠実に描かれています。
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