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役に立たなかった防潮堤・田老町

2022-03-07 07:30:24 | 東日本大震災
When "Taro" disappeared 消えた田老




私が岩手県の「田老町」という地名を知ったのは、小学校の時でした。
4年生から6年生まで3年間教わった担任教師からでした。
赤いのが宮古市であり、太平洋側の真ん中くらいに田老町があります。

その先生は山形県の米沢市という海の無い町の出身でしたが、
同じ東北という事できっと田老町の事を知っていたのだと思います。
先生は田老町という町が大きな津波災害の象徴的な被災地であると教えてくれたのです。





その時から私の頭に中には「津波」という言葉がインプットされ、
後に吉村昭氏の著書「三陸海岸大津波」という本を読む事になったのでした。
度々襲ってくる津波から町を護るにはどうしたらいいか?
最良の方法は、巨大な防潮堤を築いて、町の中に海水を絶対に入れないこと。
それに尽きると、田老町は高さ10メートルという防潮堤を築きました。
これで田老町は津波とは無縁でいられると皆が安心したのでした。











防潮堤はX字型に築かれ、総延長は2,4キロに達していました。
市街地から海の方角を見ても高さ10メートルのコンクリートの壁があるのみで、
海など何処にも見えません。
途中に水門があって、人々は普段は開かれている水門から海へと出入りをしていました。

この鉄壁の護りは日本中のみならず、外国から見学に訪れる人も珍しくはありませんでした。
海岸沿いにある都市からは、その絶大な守護神は羨ましく見えた事と思います。



しかし、巨大津波は高さ10メートルを易々と乗り越えてしまったのです。
大きな地震を感じても、あの守護神があるから安心だと、
家に閉じこもったままで避難などしなかった人も沢山いました。
家からは海など全く見えないのですから、そこでどんなに恐ろしい事が起こっていたか、
それを感知する事も出来ませんでした。
それで田老町では181人の人達が命を落としたのでした。

しかし、考えようでは、高さ10メートルの護りは破られてしまいましたが、
そこに在った物、そこに居た人達が海へを流れ出す事は防いだのです。
何もかも海へと流された町に比べたら、それはまだ良かったのかも知れません。



1896年(明治29年)1933年(昭和8年)
東北地方は2度の大津波を経験しています。
特に大きかった明治の津波の後には石碑が何ヶ所にも建てられました。
「津波はここまで来た。ここより下に家を建ててはならない」と。
しかし、喉元過ぎれば何とやら・・人々はやっぱり忘れるのです。
この石碑の言い伝えさえ守っていれば、どれだけの人命が助かったことか。

津波が去った後、田老町の人達は呆然自失でした。
「あの防潮堤はいったい何だったんだ? 何の役にも立たなかったじゃないか!」

海岸沿いに住んでいながら海が見えないなんて嫌だ、と、
防潮堤に頼るのはやめて、高い避難所を設ける事にした所もあります。
津波被害を受けた三陸全体の殆どが地盤沈下という地殻変動を受け、
地面そのものをかさ上げせざるを得なくなりましたが、
田老町は、今度は10メートルを超える、約15メートルの新しい防潮堤を築きました。





「♫ 松原遠く 消ゆるところ、白帆の影は浮かぶ、
   干し網 浜に高くして カモメは低く波に飛ぶ。
   見よ昼の海 見よ昼の海・・・」
なんて、呑気な童謡など唄ってる場合じゃないよ、もう命がけなんだよとばかり、
鉄壁の要塞(万里の長城)を再び築き上げ、
津波よ、俺達はもう二度とお前らなんかに負けてたまるかの、背水の陣。

その結果を見る事は、私には出来ません。
それは2006年に79歳で亡くなった吉村昭氏が、
死後5年後に起きた、明治の大津波を超える大津波を見る事が無かったのと同じです。

東日本大震災による死者は、関連死を含めると2万人を超えるのかもしれません。
そして、未だに遺体すら見つからない悲しい人たちは2500人とかいるみたいです。
家族全員を失い、自分一人だけが生き残ってしまった人もいる訳です。
「こんな事だったら、もう死にたい、居なくなってしまいたい」と思いながら、
必死で涙ながらに耐えている悲しい人もいます。

「自分が亡くなった家族の事を想ってあげなかったら、
お前たちがこの世に生きていた証しが無くなってしまう。
お前たちを想ってくれる人が誰も居ないなんて、そんな悲しい事はない。
だから俺は、独りっきりになって泣きたい時にも、必死で生きている」

そんな人たちが生きている限り、私達はあの被災者たちを忘れてはならない。
皆さんも一度は被災地に行ってほしい。
そして、あの人達の悲しさを感じてほしい。









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