歌声喫茶の歴史は1955年頃~1970年頃まで、となっています。
しかし、そこで終わってしまったのではなく、
細々と、しかし根強いファンに支えられて、その文化の根を絶やす事はなく、
延々と現在も生き残り、より根強い日本独自の文化として、
ある意味、栄えているのです。
昔に比べそのスタイルの変化は仕方ない事ではありますが、
自分が生きている限り、その存在感は絶対であると信じているファンは多いのです。
歌声喫茶デビューの遅かった私如きが、エラソーな口はきけないのですが、
歌声喫茶というのは魔力であり、
底知れない魅力で、私達年寄りには掛け替えのない存在なんです。
そういった歌声喫茶の歴史の中で、
これこそ歌声喫茶のビックイベントと言えるのが3つあります。
それは私個人が勝手にそう思っているというだけの事ですが、
まずトップとなるのは、
歌声喫茶界の総本山、ともしびが主催する「大うたごえ喫茶」です。
これには、春に行われる上野公園の歌声と、
いつからだったか秋に新宿文化センターでの大うたも開催される様になりました。
しかし、私は新宿は1回か2回行っただけで、以後行かなくなってしまいました。
大ホールの座席に座ったままだと、観客たちとの交流が無くなってしまうからです。
大うたは、普段逢えなかった歌声仲間達との顔見せ交流が楽しいんですね。
コロナの為に数年間開催されなかった上野公園大うたも、
今年数年ぶりに開催され、それは嬉しかった。
次に、東京府中で行われた「歌声どんちゃか」
別名「府中どんちゃか」があります。
これは、あの有名な歌声企画士、Мさんが府中市で始めた、大イベントです。
これは10回行われ、それ以後は無くなってしまいました。
700~800人が集まる、凄い歌声イベントでした。
個人的には、私はこの「府中どんちゃか」が一番好きでした。
何故かと言うと、休憩時間にあちこちの歌声仲間達との交流が好きだったからです。
更に個人的には、歌声喫茶で(あの女性)と密接になれたからです。
そして3番目、最後は「深浦の歌声」です。
これは第一回が2003年からという事で、
それは私が歌声喫茶を知る、ずっと前でした。
私が初参加したのはそれからずっと後の2009年からでした。
一年に一度だけ遠い青森県の深浦町に、全国から200人という歌バカが集まるのですから、
それがマスコミを刺激しない筈はなく、テレビ、新聞といった取材陣の総攻撃を受けました。
横浜からバイクに跨って来るタイチョーさんという男も居たね。
コロナの為に5年かな、行われなかったけど、
いよいよ本当に最後の「深浦の歌声」が10月に行われます。
深浦の歌声を知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
府中どんちゃかを知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
ともしび大うたごえ喫茶を知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
そして、次点となったのは、
2011年5月29日の山手線一周歌声喫茶でした。
これも、あの歌声企画士、Мさんが立ち上げた、
歌声喫茶界の人達を驚かせた、大企画でした。
芸能人の、アントキノ猪木氏まで、面白がって来ちゃった。
山手線一周歌声喫茶を知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
ホントに歌声喫茶を語らずして、我が人生は無かった。
楽しくて楽しくて、この世の全てを語り尽くし、
素敵な女性達との数々の思い出。
エリカさんという伴侶を射止め、本当に感謝、感謝。
そして、10月には、地の果て(ブンブンさん、ブンママさんにブッ飛ばされるよ)の、
深浦の歌声。もうサイコーだよ。
日本中の歌声バカ達よ、楽しくやろうね、唄おうね~。
しかし、そこで終わってしまったのではなく、
細々と、しかし根強いファンに支えられて、その文化の根を絶やす事はなく、
延々と現在も生き残り、より根強い日本独自の文化として、
ある意味、栄えているのです。
昔に比べそのスタイルの変化は仕方ない事ではありますが、
自分が生きている限り、その存在感は絶対であると信じているファンは多いのです。
歌声喫茶デビューの遅かった私如きが、エラソーな口はきけないのですが、
歌声喫茶というのは魔力であり、
底知れない魅力で、私達年寄りには掛け替えのない存在なんです。
そういった歌声喫茶の歴史の中で、
これこそ歌声喫茶のビックイベントと言えるのが3つあります。
それは私個人が勝手にそう思っているというだけの事ですが、
まずトップとなるのは、
歌声喫茶界の総本山、ともしびが主催する「大うたごえ喫茶」です。
これには、春に行われる上野公園の歌声と、
いつからだったか秋に新宿文化センターでの大うたも開催される様になりました。
しかし、私は新宿は1回か2回行っただけで、以後行かなくなってしまいました。
大ホールの座席に座ったままだと、観客たちとの交流が無くなってしまうからです。
大うたは、普段逢えなかった歌声仲間達との顔見せ交流が楽しいんですね。
コロナの為に数年間開催されなかった上野公園大うたも、
今年数年ぶりに開催され、それは嬉しかった。
次に、東京府中で行われた「歌声どんちゃか」
別名「府中どんちゃか」があります。
これは、あの有名な歌声企画士、Мさんが府中市で始めた、大イベントです。
これは10回行われ、それ以後は無くなってしまいました。
700~800人が集まる、凄い歌声イベントでした。
個人的には、私はこの「府中どんちゃか」が一番好きでした。
何故かと言うと、休憩時間にあちこちの歌声仲間達との交流が好きだったからです。
更に個人的には、歌声喫茶で(あの女性)と密接になれたからです。
そして3番目、最後は「深浦の歌声」です。
これは第一回が2003年からという事で、
それは私が歌声喫茶を知る、ずっと前でした。
私が初参加したのはそれからずっと後の2009年からでした。
一年に一度だけ遠い青森県の深浦町に、全国から200人という歌バカが集まるのですから、
それがマスコミを刺激しない筈はなく、テレビ、新聞といった取材陣の総攻撃を受けました。
横浜からバイクに跨って来るタイチョーさんという男も居たね。
コロナの為に5年かな、行われなかったけど、
いよいよ本当に最後の「深浦の歌声」が10月に行われます。
深浦の歌声を知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
府中どんちゃかを知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
ともしび大うたごえ喫茶を知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
そして、次点となったのは、
2011年5月29日の山手線一周歌声喫茶でした。
これも、あの歌声企画士、Мさんが立ち上げた、
歌声喫茶界の人達を驚かせた、大企画でした。
芸能人の、アントキノ猪木氏まで、面白がって来ちゃった。
山手線一周歌声喫茶を知らずして、歌声喫茶を語るなかれ。
ホントに歌声喫茶を語らずして、我が人生は無かった。
楽しくて楽しくて、この世の全てを語り尽くし、
素敵な女性達との数々の思い出。
エリカさんという伴侶を射止め、本当に感謝、感謝。
そして、10月には、地の果て(ブンブンさん、ブンママさんにブッ飛ばされるよ)の、
深浦の歌声。もうサイコーだよ。
日本中の歌声バカ達よ、楽しくやろうね、唄おうね~。