妻のエリカさんが、
高校の修学旅行の思い出の歌で
「思い出のスカイライン」の事を書いていましたが、
それで思い出すのは、
やはり高校三年の時、私の姉が、
北海道での修学旅行から帰って来て、
「北海道のバスガイドさんから教わった」と言って
よく口ずさんでいた歌があります。
函館スッテップ
女子校だったというのに、よっぽど印象が強かったとでもいうのか?
ずっとずっと、いつまでも口ずさんでいたんです。
そんなのを年がら年中聴かされた私が、その歌を覚えない筈もなく、
私の中にも「函館ステップ」は、すっかり刷り込まれてしまいました。
作詞・・高橋掬太郎 作曲・・飯田三郎 歌・・瀬川伸(函館出身)
昭和38年の作品で、
唄っている瀬川伸は、あの流行歌手・瀬川瑛子のお父さんです。
1 青い海函館の 港開ければ出船の汽笛
呼ぶなカモメよ 名残の胸に
切れたテープが すすり泣く
2 夢の街函館の 街は楽しや柳がなびく
行こか大門 戻ろか銀座
招くネオンの 赤と青
3 花開く函館の 山を仰げば月影おぼろ
君と一夜(ひとよ)は あの湯の川で
熱い情けに 夜もすがら
高校の修学旅行の生徒たちにバスガイドさんが唄って聴かせたのは、
2番までで、3番を唄う事は無かった様です。
この歌は地元・函館でも知らない人が居たりするみたいで、
まして世に知られずに、今でもバスガイドさんが、
よそ者相手だけに唄っている歌なんでしょうか?
私には「招くネオンの赤と青」のフレーズがいつまでも印象的なんですね。
高校の修学旅行の思い出の歌で
「思い出のスカイライン」の事を書いていましたが、
それで思い出すのは、
やはり高校三年の時、私の姉が、
北海道での修学旅行から帰って来て、
「北海道のバスガイドさんから教わった」と言って
よく口ずさんでいた歌があります。
函館スッテップ
女子校だったというのに、よっぽど印象が強かったとでもいうのか?
ずっとずっと、いつまでも口ずさんでいたんです。
そんなのを年がら年中聴かされた私が、その歌を覚えない筈もなく、
私の中にも「函館ステップ」は、すっかり刷り込まれてしまいました。
作詞・・高橋掬太郎 作曲・・飯田三郎 歌・・瀬川伸(函館出身)
昭和38年の作品で、
唄っている瀬川伸は、あの流行歌手・瀬川瑛子のお父さんです。
1 青い海函館の 港開ければ出船の汽笛
呼ぶなカモメよ 名残の胸に
切れたテープが すすり泣く
2 夢の街函館の 街は楽しや柳がなびく
行こか大門 戻ろか銀座
招くネオンの 赤と青
3 花開く函館の 山を仰げば月影おぼろ
君と一夜(ひとよ)は あの湯の川で
熱い情けに 夜もすがら
高校の修学旅行の生徒たちにバスガイドさんが唄って聴かせたのは、
2番までで、3番を唄う事は無かった様です。
この歌は地元・函館でも知らない人が居たりするみたいで、
まして世に知られずに、今でもバスガイドさんが、
よそ者相手だけに唄っている歌なんでしょうか?
私には「招くネオンの赤と青」のフレーズがいつまでも印象的なんですね。
地元の人も 知らない人がいるのでは、しょうがないですね。
「妻のエリカさんが・・・」
をさりげなく書くところがにくいですね。
姉が教わったのは曲ができてまだ出来たてのホヤホヤだったみたいです。
世間にはまだまだ知られざる名曲が、きっといっぱいあるのでしょうね。