河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ビルマの竪琴・「埴生の宿」

2023-10-15 07:50:39 | 歌声喫茶
『ビルマの竪琴(1956年版)』より「埴生の宿」


歌声喫茶では「埴生の宿」はよく唄われます。
それを唄うといつも思うのは映画「ビルマの竪琴」の水島上等兵です。
映画は1956年と1985年と2回の作品がありますが、
私が思い出すのは、勿論1956年の、安井昌二が演じた映画です。

ビルマ(現在のミャンマー)の戦地で、
水島上等兵の所属していた小隊には、音楽学校出身の兵が、みなに合唱を教えていました。
その中で水島上等兵は楽才に優れ、竪琴の演奏も上手でした。

ある夜、小隊はイギリス・インド軍に包囲されました。
敵を油断させる為に小隊は「埴生の宿」を合唱しながら戦闘準備をしていると、
敵が英語で「埴生の宿」を唄い始めたのです。(逆だったかもしれない)
両軍は戦わないままに相まみえます。
そして小隊は日本が戦争に負けた事を知らされます。

捕虜になった小隊は、いまだ降伏を受け入れようとしない日本兵が、
いづれ全滅する事を感じ、水島上等兵を説得の使者として送ります。
しかし、水島上等兵は、そのまま消息を絶ってしまったのでした。

やがて、日本へ帰る事が決まった隊員たちは、
水島らしきビルマの僧侶に向かって「埴生の宿」を合唱します。
すると、その僧侶は彼等の合唱に合わせて竪琴を演奏するのでした。

『ビルマの竪琴(1956年版) 』より「仰げば尊し」


「やっぱり水島だ、水島だ」
「お~い水島、俺たちと一緒に日本に帰ろう」と叫ぶ隊員たち。
しかし、その僧侶は竪琴で「仰げば尊し」を演奏するのでした。
それは水島が隊員たちとの別れを告げる歌だったのです。

『ビルマの竪琴(1956年版) 』より「日本兵の屍」


水島上等兵は、ビルマの地で死んでいった多くの日本兵の亡骸を目にし、
彼等を葬ってあげたい、彼等の死を無駄にはさせたくない、
見知らぬ外地で非業の死を遂げた彼等の痛恨の思いを、
せめて自分だけは理解してあげたい。
それは自分に課せられた使命だと感じ、ビルマの地で僧侶になろうと決めたのでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「北の国から」のこと | トップ | 最悪の山岳遭難 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歌声喫茶」カテゴリの最新記事