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大好きだった力士、朝潮太郎

2020-12-31 10:28:59 | 相撲


子供の頃、最初に好きになった力士は朝潮太郎でした。
これは3代目の朝潮太郎です。



4代目の朝汐太郎もいましたが、
彼は大関までで横綱にはなれませんでした。
そして、私はこういった(ぶちゃむくれ体形)は好きになれません。





3代目、朝潮太郎は他の力士に比べて全然違っていました。
189センチの(当時は)長身。
それでいて145キロ(当時は凄い大型)の体重ながら、
腹が出っ張っていなく、肩幅が広く、物凄い体形をしていたのです。
若乃花が107キロで腹がかなり出ていたのに比べ、
145キロの朝潮は腹がそれほど出ていません。

私の叔父さんも、私と同じで朝潮贔屓でしたが、
その叔父さんいわく「あの体を見てごらん」と、
朝潮が今までの力士とは全然違う体形に惚れ込んでいたのです。

1929年(昭和4年)~1988年(昭和58年)享年58歳。
第46代横綱。
鹿児島県、徳之島出身(当時は奄美大島出身)とラジオで言ってたのを覚えています。

濃い胸毛と太い眉毛で人気を博し、
当時は、一に朝潮。二に長嶋(茂雄)三に三島由紀夫と、
胸毛の濃い著名人を謳うフレーズが聞かれました。

横綱昇進後は脊椎分離症などに悩まされ、強弱の差が激しく、
強い朝潮と弱い朝潮の2人が居ると言われました。
ライバルはひとつ前の45代横綱、若乃花でした。
その素質は戦後最高とまで言われましたが連勝も全勝も無く、
一時代を築く事はできませんでした。



若乃花は、その前の44代横綱、栃錦と栃若時代を作り上げた大横綱です。
身長179センチ。体重107キロ。
私の姉は大の若乃花ファン(彼は女性ファンが多かった)
それに比べると朝潮には男性ファンが多かった気がします。
朝潮が若乃花に負けたりすると姉は大喜び、私は涙を流して悔しがったものでした。(可愛いね~)

彼等の通算成績を見ると、
幕内通算勝率・・朝潮 63,5%。若乃花 69,9%。
横綱通算勝率・・朝潮 63,8%。若乃花 77,7%。
ですが、彼等の対戦成績は、朝潮から見て、16勝17敗なので、殆ど互角でした。
ただ優勝回数は朝潮5回。若乃花は10回でした。

最終的には若乃花の方が強かったと言えるのですが、
それにしても、朝潮みたいな堂々たる立派な体形の力士は、その後いませんね。
今もって強烈な思い出の残る力士です。


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