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若貴ブーム

2018-09-26 13:35:52 | 相撲
1990年代に入ってすぐくらいに若貴ブームというのがありました。



父親である、プリンスと言われた貴ノ花を挟んで、
左が兄の若花田(後の若乃花)と貴乃花。
全くこの親子の四股名は、初代・若乃花が居たりで分りにくい。

今、相撲界に引退騒動を引き起こしている貴乃花と、
その兄である若乃花兄弟が幕の内上位を目指していた頃でした。



この角界のエリート兄弟が、日の出の勢いの時のブームは凄かった。
私は、まだ長女が幼かった時でしたが、
日本に来日してから、まだ5~6年といった、
中国人の元妻も彼等の大ファンとなっていました。

娘を連れてスーパーなどに行っても、
彼等兄弟の取り組み時間になると、
スーパー備え付けの大型テレビ前は黒山の人だかり。
私達も夢中になって声援を送ったものです。
彼等が勝とうものなら、皆は狂喜乱舞の大喝采。
あの光景は今思い出しても鳥肌ものでした。

特に弟の貴乃花は、
1992年1月、19歳5か月で初優勝。



その年の11月に、当時大人気の女優・宮沢りえと婚約発表。
まだ20歳の貴乃花と19歳の若き大スター同士の婚約は、
衝撃的であり、世間をアッと驚かせました。
この時、彼等の未来に暗雲が訪れようとは、誰しも思わなかったでしょう。

この二人の満面の笑顔は、
彼等の輝かしい未来を、相撲界に新しい光となるであろうと・・
みんながそう感じていた筈でした。・・が、

翌1993年1月、彼等の交際は、たった2ヶ月で婚約解消。
そんな事態になろうなんて、考えもしなかった事でした。



しかし、貴乃花はそんな障害をものとせずに、婚約解消の同月に、
20歳5か月で大関昇進を果たします。

1993年7月、兄の若乃花が大関に昇進。



翌、1994年11月。
貴乃花は22歳4か月で遂に角界最高峰の横綱に昇進。
兄の若乃花が横綱になったのは、
それから3年半の後の1998年5月、兄の若乃花も横綱に昇進し、
大相撲史上初となる兄弟での横綱という、
相撲ファンは、あまりの素晴らしさに感涙にむせんだ人もきっと、
沢山いた事でしょう。
他ならぬ私もそうでした。

しかし、若貴ブームもここまでが限界でした。

弟の貴乃花が、整体師による洗脳騒ぎとかの問題が起こり始め、
兄や、父親、母親と不仲になっていったのです。
父親である貴ノ花は、それから7年後に55歳の若さで亡くなりますが、
それまで、家庭内のいざこざは絶えずに、
力士時代が華やかだっただけに、悩みは絶えなかったのでは・・?

その後、この家族のいざこざは世間の話題になる事が多く、
私は、どっちかと言うと、
あまり聞きたくない、知りたくない、そう思っていました。

それで、昨今また、問題児・貴乃花が再びの大騒動。
相撲界から撤退する、引退する騒ぎ。
結局、この人の人間性に最大の問題点がある様な気もしますね。

これから先、一体どうなるのでしょう?

しかし、あの若貴ブーム・・
あの時は日本中が一丸となっての大フィーバーでしたから、
現在の姿を見ると、あまりの落差にガッカリします。

あの時が、大相撲界最大の(良き頃)だったな~。







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