私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 73   洗心洞箚記

2008-07-12 10:35:28 | Weblog
 大旦那様は
 「これからも色々おせんの相談相手になってや」
 と、お帰りになられました。
 それから季節も少しずつ替わり緑が一層濃くなり雨の季節に入り、ツバメ達も忙しく舞い飛んでいます。時々、お園の方からおせの部屋を尋ねて、世間話し相手になります。
 親しかった里恵たちからは何も連絡はありません。相変わらずおせんは家から外に出ることはなかったのですが、気が向いた時は、お琴を出して弾いています。それで自分の中にある政之輔から懸命に逃げ切ろうとしているかのように、強く激しく、早く、又、ゆっくりと琴の弦を爪弾いています。そんなおせんの琴の音色を聞くたびに、お園は我ことのように、「かわいそうなおせんさん」と気が滅入ります。
 「近いうちに戻ります。帰りに立見屋に寄ってから」という、平蔵の伊予からの知らせがあった日に、「どうしてもお会いしたい」という、おせんからの使いの者の伝言がありました。とりあえず舟木屋に駆けつけます。
 「明日は七夕さんよって、お園さん、うちにちょっとつきあってくれしまへんやろか」
 宋源寺にお参りして、ついでに、本当に久しぶりで「ぶそん」にも立ち寄って、もう梅が宿は作ってはないと思うのだが、
 「今頃は、水羊羹の美味しいのがおますよって、それが食べとうおます」
 と、にこやかに普通に言いのけます。
 宋源寺の山門は、去年の夏の夕立の時に、政之輔と出会った思い出の場所です。また、七夕は、玄宗皇帝と楊貴妃の連理の枝の故事に因んんで、最初に政之輔とおせんを結び付けてくれた思い出の日なのです。
 それから、おせんは、ここにこんなご本がありますが、なんと書いてあるのかさっぱりわかりません。誰かに教えてもらいたいのだが、
 「お園さん教えてくれはらしまへんか」
 おせんはそういって戸袋の中い置いてある風呂敷包みを大事そうに取り出します。あの政之輔から預かっていた「洗心洞箚記」です。
 「まあとんでもございません。わたしなんかが分るはずもありません。大旦那様にご相談したらいかかですか」
 それが、大旦那様とおせんの絆が今よりもより一層深くなるのではないかとも思いながら言います。
 それからしばらく、明日着る着物のことや紅白粉のことなど話が弾みます。およしさんは最後まで顔は覗けませんでした。家中みんなして、おせんを腫れ物にでも触るようじっと大切に見つめていると言うことが痛いほど分ります。自分の時も義母を始め、みんなで大切に見つめていていてくれたのかと思うと、涙が自然に零れてきます。