私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

地震の記録

2011-06-12 09:59:12 | Weblog

 千楯先生に付いて、吉備との係りは、ただ、藤井高尚先生と朋友関係にあっただけを頼りにして、その著書「紙魚室雑記」に書かれている地震の話を、例に漏れず長々と書いてきたのですが、「もうこの辺で」としたのですが、またまた、例の筆敬氏から、御親切なメールです。

 「何処から引っ張りでえたんか知らんが、もちいたあみじこうに、ようわかるように かきゃあええもんを、ああじゃあねえこうじゃあねえと いらんことばあ かきゃぁがって、せえから どうなるんかとおもようたら もう、おしめえにするんか」

 とお叱りです。彼は、その後に、御丁寧にも、私が書いた文政13年の地震よりも、百五十六年も前にあった「寛文二年の京都大地震の図」というのがあるから「みてみい、ちいたあ 参考ぐれえにゃあ ならあへんかのう」と、教えてくださいます。その本は「尚古造紙挿」というのだそうです。「インターメットで調べてみろ、早大かどこかにある筈じゃ」と。

 早速調べてみました。ありました。それを載せておきます。(細部まで鮮明にとやや大きめに掲載してみました)
                  

 地震による人々のうろたえ、慌てふためく様子がよく分かる図ですが、、壁などが破れているものの、建物などまだしっかりとしており、そんなに大地震ではないようにこの図からは判断できます。しかし、細かく一つ一つを取り出して、よく見ると、人はぶっ倒れ、歩くにもままならないような様子も読み取れます。この図に描かれている倒れている2人など6人の人物から、それぞれに地震の恐怖を感じさせられます。此の絵からだと、震度5程度の地震ではないようです。それ以上のこれも神戸級の大地震だったようです。中央の御婦人は脊負っている子供を落とすまいと必死になって支えようとしていますが、その声までも聞こえそうですね。
 でも、よく書かれてはいますが、言わずもがなですが、現代の写真の比ではありませんね。そこら辺りに現代の報道写真の役割があるように思われます
 

 

 

 


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