私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

三月に安全唱えし識者らは

2011-06-14 13:25:55 | Weblog

            

 
 山崩れか何かよく分からないのですが、兎に角、人が二人も、崩れてきた土砂にでしょうか、一人は上半身を、その横にいる一人は体が半分、埋もれています。そんな地震直後の有様をリアルに写し取っています。その後どうなったのかは分かりません。更に崩壊が続き、此の二人は完全に埋め尽くされたのかもしれません。左側の人なんかは大きな岩に直撃されていますから、頭んな潰されて即死の状態だと思われます。右の人は助かったでしょうかね。恐らく、必死に脱出を試みるも、その後に落ちてきた沢山の大小の土砂に埋もれてしまったのではないかと、この図からは読む事が出来ます。
 なお、この図は、寛文2年の京都大地震の様子を、30年後の元禄5年の年代記に書かれているものですが、後の解説文「是も先にひとしきことを記せし所の画なれば、因によりてここに写す」、を読んでみると、右にいる半分埋もれている人も、結局、助からなかったのではないかと云う風に読み取れるのではないかと、私は想像しています。

 30年たった後も、猶、当時の悲惨さが言い伝えられたと云う事は、それほど、寛文の京師大震災の事は大災害だったと云う事が分かります。
 その169年後、再び、京都を地震は容赦なく再度襲います。その時の様子を、今度は、城戸千楯先生が見事な文章で臨場感いっぱいに書き留めてくれたのです。

 それは兎も角として、神戸しかり、新潟しかり、外国の中国、スマトラ、ニュージランドしかり、更に、今回の東北地方しかりの大震災は、勿論、地震による多数の死者を伴った災害ですが、太古の昔から、時や場所を選ばず、所々で繰り返して発生しています。地震だけではありません、諸々な天辺地変に、為す術を知らず、ただ、右往左往するだけの人間って、本当に万物の霊長なんて威張っていていいものでしょうか。それこそ、人間のそんな横暴さに対する神からの天罰ではないのでしょうか。

 

 まあそれはそうとして、朝日歌壇5月16日に載っていた名古屋市の諏訪さんのお読みになった歌を、もう一度、ここに書いておきます。みなさんは、地震発生後3ヶ月経った今、どう御読みでしょうか。

 

           三月に 安全唱えし 識者らは
                     いずこに消えしか 泡のごとくに


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