私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

本多正純と後藤庄三郎

2011-10-14 19:36:29 | Weblog
 ビスカイノが書いている家康のどケチな面の演出に本多正純が深く関わっているのではないだろうかと書きましたが、彼は、事実、方広寺の梵鐘の銘文「国家安康・君臣豊楽」事件や大坂夏の陣での外堀の埋め立て事件など豊臣氏の滅亡に深く関わり、それが原因で、この本多正純はあまり人気のある歴史的な人物ではないのですが、ビスカイノが見た正純はそのような策士としての武将ではなく、まさに清廉潔白な政治家として書かれています。

 駿府に到着したビスカイノと最初に合い挨拶を交わしたのが本多正純です。その正純に、ビスカイノは「お土産です」と、羅紗・硝子器・石鹸などを贈ったのです。一度は有難く頂戴しますと受け取った品々を、その後で、今度は直ぐに、そっくり、「これをあなたが使ってください」と、ビスカイノに贈り返したのだそうです。
 
 「彼は潔白且忠実に其職に尽し、君なる国王(家康)に仕えて怠ることなく、其の扱う所の事務に付常に偽りなく陳述することを得ん為め、如何なる外国人よりも物を受くる能はず又之を受けたる例なきを語る」

 とあり、いくらどうぞと進めても、いっさいの贈り物は受け取らなかったのだそうです。彼は全く法律を知らない野蛮な人間ではなく、正当な論理で持って贈りものを拒絶したのだあそうです。

 これに対して、ビスカイノが、次に面会したのが後藤庄正三郎と言う人だそうですが、彼は大変な金持ちであったのですが、武家ではなかったからでしょうが、簡単にビスカイノからの贈りものを受け取ったのだそうです。
 「四のレアル(イスパニアの貨幣)より八のレアルを好めるが故なり」とあります。現在では言えば日銀総裁のような江戸幕府の経済政策の大元締めであったのです。大判小判の製造を任されていたようです。金座の親方です。 
 そんな人にどうしてビスカイノがあったのかはその理由は分かりません。でも。家康は、江戸から将軍職を秀忠に譲り、駿府に引退しておるにもかかわらず、このような武将や経済人を引き連れて駿府に帰っていたのです。
 
 その辺りの日本の政治の仕組みがビスカイノには不明だったのでしょうかが、引退した後の家康を、未だに日本を支配している実質的な皇帝と思っていたのでしょうか???

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