私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 47

2008-06-08 08:29:58 | Weblog
 おせんは差し出された薬の匂いがぷんとする油紙の包みをそのまま袂の中に押し込み、もう少しゆっくりと歩いてくれはってもいいのでは、と、思いながら、黙々と歩む政之輔と名乗る若い医師の後に付いていきます。
 袋医療処と、書かれた古ぼけた看板のある門を入ると、直ぐ玄関があります。
 「しばらく待っておくれやす」
 と、すたこら入っていきます。入れ違いに職人風のお年寄りの人が腰に手を当てながら、じろりと玄関に佇んでいるおせんに目をやりながら出てきます。薬の匂いでしょうか、その男の人は残して行きました。
 しばらくして
 「これを食事の後にあげるように家の人に言っておいてください。2、3日もしたらよくなると思いますから」
 と、お薬でしょうか、赤い包み紙に入っている袋をおせんに渡します。
 「あの時は助かりもうした。一度、そのお礼と思っておるのどすが、今日の店、ぶそんのあの梅が宿でもおごりますよって、来てください」
 又、何時頃とも言わないで、平気で、これも、何かぶっきらぼうに、本でも読んでいるのかと思われるような言い方です。
 「そんなん、かましまへん。気にしないでおくれやす」
 と、おせんは鄭重に断ります。
 「一度お礼をさせておくれやす。そんんこと言わんと、お願いするよってに。約束違えた罰ですよって」
 と、これは先ほどの言い方とはずいぶんと違って、丁寧で誠に柔らかに頼みます。
 その余りにも違った前と後ろの言い方に、おせんは、また、あの例の「くすん」という含み笑みを浮かべます。この若い先生は、又、どうしてかなと、ちょっと首を傾けます。
 「あっ、そうや。又、忘れておった。何時頃がよろしゅうおます。女の人と話すのは余り得意じゃあないのどす。・・・昔から」
 この昔からと言う先生のちょこんと頭に手をやる仕草にも、又、おせんは何やら可笑しさがこみ上げてきます。「くすん」と、三度目の笑みを浮かべます。
 結局、「頼みます」「いえ、そんなん」と言う押し問答が2、3回繰り返されましたが
 「又、明日にでも、あの娘さんの容態を診てあげねばと思いますので、その時にでも連絡します」
 と、言う若い医師に見送られて、何か心が、ここに来る時とは随分違って、どうしてかは分らないのですが、急に晴れ晴れとしたように思われ、北風に背中を押されながら道の真ん中を通って、とんとんと例の手渡された袋を振り振り、お慶の家に急ぎます。懐に入れてあるあの袋のことなどは頭の中から消え去っていました。
 

 


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