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国宝「赤韋威鎧」

2010-10-31 18:40:14 | Weblog

 「晴れの国の名寶」と銘打って開催されている県立博物館に、今回、展示されている岡山の国宝の内の一つ「赤韋威鎧」を紹介します。

 此の鎧は平安時代末期源平合戦の頃に作られたものだそうです。その頃のものとしては保存状態も比較的に良く、当時の工芸の粋を尽くした、威風堂々たるものです。兜を入れた全体の重さは25kgもあり、此の鎧を着けた武士は、更に、あの重厚な刀を振りかざして相手に立ち向かったのかと思うと、当時の武士の見事なと言うしかない身体的な頑強さには驚かされます。

                   

   これが、その国宝です。800年前のものとは思われないでしょう。それぐらい美しくすばらしいものです。

 考えてみてもください「25kg」の重さですよ。25kgと言っても想像できないかもしれませんが、米一斗の重さが30kgですぞ。そんな重たいもんを体に纏って、ほとんど自由を失ってしまうような重さなのですよ。
 大将しか見に着けていなかったとは言われますが、絵本等から見た源義経などの、あのきゃしゃな体つきの武将に、どうして、それだけの重さに耐えるだけの体力があったのだろうかと不思議てたまりません。此の鎧は、説明書等によると、実際、当時の武将が戦場で使用していたものなのだそうです。

 そんな意味から平安末期から戦国の世までの武士たちが持っていた「強靱な体力」と云うのは、現代社会の我々の考えをはるかに超えた、「ものすごい力強い肉体的な強さ」を持っていたのではないかと想像されます。

 そんなことを考えていると、その時代時代によってその言葉の持つ意味が随分と違ってくるのではないと考えられます。あの那須の與一なんかをお考えいただいても分かるような気がします。25kgの鎧を着けて、その上、馬に乗って、強弓で矢を放ったのです。此の弓とて、現在使われているような、グラスフイバー製の軽いものではありません、随分と硬い竹製の大変重い弓だと聞いていますが。

 まあそんなことを考えながら。博物館に展示してあるこの国宝を、つくずくと面白く拝見してきました。何度でも言いますが、岡山に住むみなさん、どうぞ此の素晴らしい企画を見んに行ってください。若し疑問点がありましたら、館内の入口に坐っている女性に尋ねてみてください。なんなりと親切に説明してくださいますよ。

 此の会場だけで国宝作品が、この「赤韋威鎧」を入れて4点もありました。



  なお、これも蛇足の蛇足ですが、此の鎧に説明書には「伝備中赤木氏」に伝わったものであると、書かれています。備中の何処の赤木氏かは分からないのですが、もしかしたらと言う深い思いがする此の鎧です。というのも、私も、やはり「赤木」ですので。

 何だそれは??????????と、お笑いください。

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