私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

さて、再び、矢尾牛骨の「宮内の今昔」を

2013-01-05 18:09:48 | Weblog

 再び、矢尾牛骨の「宮内の今昔」について記します。

 今は庭瀬分にはなっていますが、昔の宮内は東山から始まり片山、三日市、辻小路、熊の小路、大吉野、中吉野、新地、城の内、馬場、白畑十二町に分かれ、遊郭は殆ど全町に亘り、此の地の特色なる角行燈は軒に並んでいたのです。
 この十二町内に当時どれほどの人が住むんでいたかは詳らかにはないのですが、明治初年まで大庄屋を勤め居た中田家の古書類によりと、元禄八年、播州赤穂城主浅野侯の家臣は将軍の命に因り、備中松山城主水谷出羽守に嗣子がなく、お家断絶に及び、それを受けつるために松山城にやってきますが、その宿を、この宮内で一手にひきうけたのだそうです。その代表者が家老の大石内蔵助でした。その時の記録が残っているのです。 時は、元禄八年亥八月五日です。それから七年後にあの旧浅野家浪人の吉良家への討ち入りが有ります。その時には、これら浅野家の人々には予想もつかなかったことなのです。